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【小説】最後の夏のソフトクリーム

八月のかんかん照りの太陽がアスファルトを焦がしていて、僕はほくそ笑んだ。こんな真夏の日は売り上げに期待できる。ここは長野県のとある山の中腹にある道の駅で、僕はここで休憩するお客さんのためにソフトクリーム販売をしているのだ。


「牧場直送の、しぼりたてミルクでつくったソフトクリーム、美味しいから買っていってー、ねー、そこのお姉さんたち、ぜひぜひ」

僕は声を張り上げて、駐車場から道の駅の建物に歩いてきた若い女性二人組に声をかけた。


「ミルクと、抹茶と、イチゴと、チョコ。どれでも、二種類ミックスでもすぐつくるよ」

薄い茶色のサングラスをかけた女性の片方が、少しはにかむと「どうする?」と連れの子に聞いた。「食べちゃおうか」ともう一人の口が動いたのを見て、僕は心の中でガッツポーズする。売れたも同然。

一人は抹茶、もう一人はイチゴとミルクのミックスのソフトクリームを買ってくれて、僕は二人に笑いかけた。

「信州へようこそ。楽しんでいってね」

女性たちはにこにこしながら、これから戸隠のほうへ行くのだと伝えてくれた。

「おいしいです」

クリームをなめた小柄なほうの女性の声に、僕は思わず頬をゆるめた。

「うまいでしょ。僕の父が、牧場をやっていて、そこでしぼったミルクでつくったソフトクリームです」


「へえー」


「おいしいはずだね」

上がった歓声に、また次の客が彼女たちの後ろに並んだ。よし、今日もたくさん売ってやる。そう思いながら、僕はまた「美味しいソフトクリームだよっ」と声を張り上げた。


大学を卒業して、東京で六年働いたあと、長野に戻ってきた。東京を去ることに決めたのは、いまいち生きていることに手応えを感じられなかったからだ。なんていうとかっこよく聞こえるが、要は課される営業ノルマに応えられず、逃げ出したようなものだった。

僕の実家は、「小山牧場」という小さな牧場を営んでいる。父と、母が始めた牧場の仕事は、今は姉の紗世と姉の旦那さんである康司さんが中心となっていた。家を継がねえと都会へ飛び出した長男である僕は高校生だった。

農学部畜産課に行った大学生の紗世はやれやれと溜め息をつき「賢人がそうするのなら、牧場は私と、将来の旦那さんがもらうからね」と当時の僕に言ったのだった。


紗世は宣言通りに、畜産課で知り合った康司さんを連れて帰り、めでたく結婚し、男の子を三人も産んだ。僕にとっては甥っ子が三人もいることになる。

長野に帰ってみたものの、牧場はもう姉夫婦のものとなっていて、僕の居場所はない。考えた末に思いついたのが、うちの牧場でしぼったミルクで、ソフトクリームを売って販売することだった。

東京での前職は、食品加工会社だったから、当時の伝手を頼り、知恵を貸してもらい、なんとか販売にこぎつけたのが五年前のこと。僕は今年三十四歳になるが、なんとかこのソフトクリームで評判をとって、ブランド化できないかと考えている。そんな壮大な夢は、いまのところ家族のだれも理解してくれず、僕は道楽息子ということで通っているのだった。


結婚もしておらず実家で暮らしている僕なので、しぜんと食卓は大家族の一員として囲むことになる。母と姉が作った料理の皿が、大きいテーブルにところせましと並べられている。


「またピーマンっ」

紗世の二番目の息子である、拓郎が声を上げた。


「夏場はピーマンとなすがめちゃくちゃ獲れちゃうから、仕方ないんだよ。あるものに感謝して食べなさい」


康司さんが拓郎を、穏やかになだめた。康司さんはとても人間ができていて、婿として家業に加わっていることへの不満は一切出さないし、働きもので優しくて、両親にとってはできすぎた義理の息子だろう。実際の息子である僕が、たまに自分のふがいなさにいたたまれなくなるくらいに。


「タク、ピーマンはね、お肉と食べるとおいしいよ」

紗世がそう言って、拓郎の口に豚肉の切れ端を箸で持っていくと、拓郎はぱくりとそれを呑み込んだ。

「こら、ちゃんと噛んで食べるのよ」

紗世の長男である芳郎は意に介さずにぱくぱくと自分の皿を次々と空にしているし、三男の哲郎はコーンスープを大人しく飲んでいる。良い子で扱いやすい上と下の甥に比べて。真ん中の拓郎はやたらと口が立ち、不満が多い。性格って、やっぱり出るんだなあと感心しながらも、拓郎を見ると、昔の自分と重ねてしまって、なんだか切なくなる僕だった。

日付が変わって翌日、今日は少し暑さのやわらぐ日だった。お盆が近づき、八月も折り返しに入る。ソフトクリームがよく売れるのは、どう見積もっても十月までで、そのあとは店は出していてもあまり売り上げが見込めない。

暑いあいだにある程度稼いでしまわなければ、なかなか厳しい。しかし先のことばかり考えて、今をおろそかにしてはいけない。とりあえず、今日のソフトクリームを売らなければ。

自慢のソフトクリームサーバーは、自前で買った。味にも自信がある。だからなんとか、人気を出せないものか――そう考えていると、俺の目の前に小銭をにぎった手が差し出された。


「ソフトクリーム、ください」


小学校高学年ぐらいの男の子が、買いに来てくれた。

「おお、ボク、何味がいいかな? いろいろあるよ」
「バニラの、ふつうのやつ」
「バニラのな。ちょっと待ってな」

サーバーからソフトクリームを抽出してコーンの上にぐるぐると巻き、僕はその子にソフトクリームを差し出した。

「ありがとう」
「おお、うまいからな。あわてないで食べな」
「はあい」


男の子はコーンを受け取ると、ぱっと笑顔を見せ、家族のものであろう車のほうへ駆け戻っていった。ちょうど年齢が、甥の芳郎くらいだな、と思う。

姉と僕は、年が二つしか違わない。僕も二十代で結婚していれば、あのぐらいの子供がいておかしくないのだ。そう思うと、いつまでも人生のバケーションを過ごしているような気になって、少し居所のないような気持ちになる。


風来坊。スナフキン。プー太郎。姉の紗世は言いたいように僕のことを言う。僕だって、自分がこのままうだつが上がらなくていいとは思わない。だけど、次の手をどう打つのか、考えあぐねている。

僕だって、やればできるのだ。そう思いたい気分は、真夏のふたを開けたサイダーのようにしゅわしゅわ消えていく。

結局この日の売り上げは、真夏日の昨日よりも減ってしまい、僕はしおしおと夕方片付けをして帰った。


その日、晩飯の前に父に呼ばれた。


「どうしたの」
「ソフトクリーム、売り上げはどうだ」


真向から父が聞いてきたので、うろたえた。


「あー、まあまあ、かな」
「今年度いっぱいで、スタッフの山里くんがやめると決まった。お前、ソフトクリームを売るのは、今年で最後にしろ。来年度からは、一年通して牧場を手伝え、手が足りない」

僕は言葉をなくした。でも同時に、この言葉を父がずっと用意していたのであろうこともすぐわかった。牧場の仕事はきつい。スタッフは一人でも多くいたほうがいい。思えば父は、牧場を継がねえとこの家を飛び出した時も、帰ってきてソフトクリームを売り始めたときも、十年以上自分を好きにさせてくれていたのだ。

たしかに、僕のソフトクリームは、まあまあ評判はよかったが、大ブレイクはしなかった。もともと、道の駅のスペースを借りて出しているものだから、そこそこ美味しくても、それなりではあるのだ。

「――わかったよ。今年で最後にする。だけど、今年だけは精一杯やらせてほしい」
「ああ、いいぞ。すまんな、よろしく頼む」

半袖のつなぎを着た父からは、藁と牛糞の匂いがほのかにして、かぎなれた匂いだけど父の生きざまを思わせた。この人は、ずっと牧場で生きると決めているのだ。思いのほか、その背中が小さく見えて、僕の胸はぎゅっとしぼられた。

夕食時、白飯をかきこみながら、姉の三兄弟を順々に眺めてみた。上から、小学五年生の芳郎、二年生の拓郎、保育園年長組の哲郎。この子たちは、将来、どうするのだろうか。

なんとなく、芳郎と哲郎は、素直だからすんなり人生プランを先に進めていきそうだけれど、拓郎ははねっかえりだから、こいつは苦労しそうだな、と思った。僕のように。


芳郎が、カレーライスを口に運びながら僕に聞く。

「賢人おじさん、僕、夏休みの調べ学習で、街のお店にインタビューするという宿題が出たんだけど、おじさんのソフトクリーム店のことを発表してもいいかなあ?」

ふいに嬉しいことを言われて、一瞬言葉につまったが、僕は答えた。

「もちろん、いいよ。じゃあ明日、道の駅に一緒に行こう」
「俺も行きたい!」

拓郎がすかさず、カレーのスプーンをふりまわしながら大声で割って入った。芳郎は、

「えー、タクも来るの?」

と、少し迷惑そうな顔をしている。たしかに、しっかりした芳郎一人ならなんとでもなるが、拓郎のお守りまでこっちがやらねばならないと困る。僕と芳郎が困っていると、紗世が助け舟を出してくれた。

「賢人は仕事をしないといけないから、私も一緒に行ってタクを見るよ。テツもおいで。美味しいソフトクリームをみんなで食べながら、賢人の仕事をヨシは学べばいい」

「いいなあ、楽しそうだなあ、とは言っても、僕は牛の世話があるから抜けられないけど。みんなで楽しんでおいで」

にこにこしながら、康司さんも話題に入ってきた。自分も行く、とは絶対言わないのがこの人だ。あくまで、僕らの両親のことを慮ってのことで、頭が下がる。

僕は三兄弟の顔を見回すと、言った。

「さっき、君たちのおじいちゃんとも話したんだけど、来年の春から僕は牧場を手伝うことになった。だから、ソフトクリームを売るのは今年で最後なんだ。だから、僕の仕事を芳郎が記録してくれるというのは嬉しい。よろしくな」

僕の言葉を聞いて、まっさきに拓郎が「えー!」と言った。

「俺、将来賢人おじさんのソフトクリーム屋を継ごうと思ってたのに」

大真面目に悲しむその表情に、みんなつい笑ってしまった。僕は拓郎の頭をがしがしとなでて言った。

「うん、将来タクがまた僕のソフトクリームを再開してくれるというのは、いいかもしれないな。ソフトクリームサーバーは、いつかあげるよ」

みんなで和やかに食卓を囲み、カレーとサラダを平らげた。紗世のつくったポークカレーはとても美味しかった。



翌朝、僕の車に三兄弟と紗世を乗せて、ソフトクリームのコーナーを出している道の駅へと出発した。

アイスクリームの販売時間は10時からで、二時間半前の7時半についた僕はさっそく、サーバーの準備にかかった。

「食べ物を扱うお店ではなんでも、食中毒を出してはいけないから、必ず殺菌を営業前にすることが大事なんだ。殺菌とは、ばい菌をきれいになくすことだよ」

兄弟は三人とも、食い入るようにいろんなボタンがついているサーバーを眺めている。

「そして、原料ミックスをサーバーに仕込むんだ。この原料ミックスは、僕たちの牧場でとれたミルクを加工してもらって、特別につくってもらったものだ。それをこうして、サーバーに入れてから、加熱殺菌する。約二時間くらいかかるよ」

「そんなにっ」

芳郎が驚いたように声をあげる。紗世が三兄弟に言う。

「じゃあ、おにぎりを持ってきたから、ここでみんな食べちゃおう。賢人のぶんもあるよ」
「おお、ありがとう」

紗世の持ってきたおにぎりは、塩気が効いてとても美味しかった。食べているうちに、どんどん腹がすいて、見るまにみんなが手をのばし、おにぎりを入れてあったかごは空になった。三兄弟は、殺菌が終わるまで、道の駅の周辺で鬼ごっこをして無邪気に遊んでいる。

殺菌が終わり、サーバーに「保冷」のランプがついたので、僕は三人と紗世を呼んだ。

「さあ、もうソフトクリームが食べられるよ。みんな、手をしっかり洗って、僕がまずつくってみせるから、順番にソフトクリームをつくってみようか」

もうすぐ開店の15分前。ちょうどいい時間だ。芳郎が、見よう見まねをしてソフトクリームをサーバーからコーンに盛り付ける。

「わあ、すげえ」
「俺もやりたい!」


拓郎がまた騒いで、地団駄を踏んだ。拓郎も、僕にアシストされながらサーバーからソフトクリームをコーンに載せて、嬉しそうな顔をした。

哲郎はまだ小さいので、紗世がつくってあげて、三人は口の周りを真っ白にしながら、ソフトクリームを嬉しそうになめる。

「賢人おじさん、すごく美味しい」
「俺やっぱり、将来ソフトクリーム屋をやるっ」

芳郎と拓郎の交互の言葉に嬉しくなった。

「さあ、開店時間だ、みんな、呼び込みをがんばってな」

――この日は、夕方の閉店になるまで、芳郎と拓郎が、道の駅に来る観光客に「ソフトクリームいりませんかー」「おいしいですよー」と声をかけ続けてくれて、その姿をほほえましく思われたのか、ソフトクリームがかなり売れた。

夕暮れのなか、閉店のあとしまつをしながら、僕はしみじみと店舗ブースを眺める。


僕にしかできないことを、探した五年間。たぶん、何もかもが無駄というわけではなかった。父の牧場のミルクを使って、またいつかお店をやりたい。そのときには、拓郎もだいぶ大きくなっているだろうから、片腕になってくれるかもしれない。

そこまでふと考えて、拓郎の性格を思い出し、(あの生意気坊主を扱うのはだいぶ難しいな)と苦笑する。

「さあ、みんな帰るぞ!」
「今日はおばあちゃんが、ハンバーグを作ってくれてるからね」

僕と紗世の言葉に、三兄弟が飛び跳ねた。少しだけ先週より涼しさを感じて、夏の名残を惜しむ気持ちになる僕だった。



※お友達からのお題リクエスト「山小屋でソフトクリームを売る親子」を、少しアレンジして書かせてもらった小説です。


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