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【短編】同級生

みんななんてしっかりしたのだろう。正装をしたウェイターから、グラスにシャンパンを注いでもらいながら、三嶋爽子は少しほてった顔で、そう思った。地元駅からほど近い、クラシックなホテルの最上階で行われている宴席は、華やかなドレスを着た元女子高のクラスメイトたちのかしましい笑い声で、いっぱいだ。

「うちら、今年で28歳でしょ。高校卒業してからちょうど10年。ここらで同窓会、しようよ」

同窓会の企画は、元生徒会長だった笹山理央が音頭をとり、あっというまにLINEを通じて、ほとんどの同級生に広まり、5月の連休の最終日に日程が決まった。爽子も、出席することをためらわなかった。高校卒業してから、隣の県の大学に行ったものの、結局生まれ故郷に戻って来て、職を転々とした後、いまは派遣社員として地元の中堅メーカーに勤めている。結婚の予定も、とくになかった。

そういう経歴もまあ普通だと思っていたし、他人をうらやむことなどあまりいままではなかったのだ。今日の会に出席するまでは。あまり目立つ格好ははずかしい、と思って選んだ、グレーベースのスーツは、華やかなパーティドレスの集団の中ではしょぼかった。でも、私はこんなものだった、子供のころから。そう思えば思うほど、今日はみんなと自分との落差に、うちのめされた。

くじびきで爽子と同じ席に座った、5人のうち、3人がもうすでに子持ちであり、あとの1人は既婚で小学校の先生をしていて、もう1人は独身だが、県外の化粧品メーカーの研究職としてばりばり働いているということだった。

すぐに、3人のママたちは、自分の子供たちの話をはじめ、とりのこされた二人も、すぐにお互いの仕事の話を聞き合い始めた。爽子にも仕事の話題は振られたが、派遣社員をしているというと、「自分の時間がたくさんあるのもいいよね」と笑顔で言われて、そのまま二人は爽子を無視して会話を続けた。

おいしい料理と、お花で飾られた卓上で交わされる会話は、とても現実的なものだった。子供がさー、自分でごはんを食べられるようになったんだけど、テーブルがぐちゃぐちゃで。ああ、どこもそうよ、2歳だもん。しょうがないわ。月これだけ残業してるのに、評価がいまいち上がらないのよね。でも、お給料はいいんでしょ?まあね。ローンでマンション買う予定立ててるくらいにはね。

爽子は自分が一人、小さな子供であるかのような錯覚を覚えた。みんなは、階段を一段一段踏みしめるようにして大人になり、年相応の会話をしている。ママ同志の会話にも、全力で仕事に打ち込む同志の会話にも、どちらにも加われない自分は、28歳にもなってなんて半端な人間なのだろうと。

いたたまれない気持ちで食べるコース料理は、おいしいはずなのに、全然味がわからなかった。そのまま誰とも喋らないまま、会はお開きになり、二次会へ向かうクラスメイトの集団と別れて、爽子は実家方向へのバス列に並んだ。

ほどなくバスがやってきて、すいている中一番後ろの席に座り、窓にもたれて暗い外を見ていたら、気付けば泣いていた。同窓会に出席したのは、単に自分も人並みにやれている、そう確かめたいためだった。なぜなら、二十代前半、爽子は無職だったのだから。

大学を卒業して、最初に社会人となった会社は激務につぐ激務で、爽子はあっという間に体調を崩し、鬱気味になり、心療内科の薬を手放せない日々が続いた。優しい両親は心良く爽子が調子をとりもどすまで部屋にこもるのを許してくれたけど、無職の日々は自分の自己肯定感を削るばかりだった。

社会復帰したあとは、派遣を繰り返しながら、今の職場で、1年半。仕事はできるほうではないけれど、なんでもはいはいと返事をして、なんとか溺れないように日々をやり過ごしている。でも、爽子がそうやってもがいている間に、同級生たちは、どんどん先へと人生のコマを進めている、そう痛感した同窓会の席だった。

椅子を勝ち取って正社員になる強い意欲も、結婚して母になる意志も、どっちも自分はいまのところ持ち合わせていなかった。このままゆるく流されていって、それで自分はいいのだろうか。そう思いながら、涙が頬を伝うのにまかせていたら、あっという間に実家のそばのバス停に着いた。

泣いている顔を母に見られたら、また面倒なことになる。いらぬ心配をかけてしまう。爽子はそう思い、近所のコンビニまで歩くことにした。24時間営業の青いあかりにたどり着くころには、涙はもう引いていた。コンビニのガラス扉を押し開けて、中に入り、陳列された商品を見て歩く。

甘い菓子パンと缶コーヒーを棚から取り、レジへ持って行くと、ふっと店員と目があった。そのまままじまじ見られるのに驚いて、思わず見返し、あっと気づいた。

「能代くん?」

コンビニのくたびれた制服を着ていたのは、たしかに爽子の小中学校の同級生の能代和孝だった。

「あーやっと気づいてくれた。三嶋さんやんな」

「えー、中学卒業以来やね。いままでどうしとったん」

「東京の大学でて、そのままあっちで建設会社に就職したんやけど、最近親父が倒れてさ。うちおふくろ昔出て行っていないし、介護できるんが、俺しかおらんくて。それで先月会社やめてこっち戻って来て、今はネットでちょっと稼ぎつつ、コンビニの店員もやって、とりあえずその場しのぎの暮らししとるわ」

「大変やったんやね。偉いなあ」

「ぜんぜん、偉くない。格好悪い話。三嶋さんは?」

「派遣で働いてる」

「そっか、実家におるなら、ご両親も嬉しいやろ」

「うん、そう…なのかな。私、今日女子高の同窓会でね」

ほかの客が一人もいないことをいいことに、気が付いたら自分の思いを能代に喋っていた。

「みんな立派にママやったり、正社員で働いてたりして、すごいなあ、って思って、それに比べて自分は、っていう思考の沼に入ってた。私こそ、恰好悪い話やね。でも、自分もなんかしら変わらないといけんのやろうな、って今日のみんな見て思ったわ」

「ああ、それで今日綺麗な恰好しとったんやな。デートの帰りかと思った。俺、このバイト一カ月前に入ってから、ときどき三嶋さん来るの知っとったんよ。でも自分から声かけられんし、気付いてくれてよかったわ」

「ごめん、気付くの遅れて」

「なあん、いいんよ。三嶋さん、仕事帰りにときどきここ寄るやろ。いつも、お疲れさまって思って、見てたわ。毎日会社の仕事がんばってるんやなって」

「私なんか、ちっとも。みんなに比べたら」

「いまの俺だって、見る人見れば、底辺やで。でも、さっき三嶋さん、言ってくれたやろ、偉いねって。人にはそれぞれ事情があるんやし。外見だけ比べてもしゃあない」

「そう、かな。ありがとう」

大学生らしき客が連れ立って入ってきて、そこで二人の会話は中断された。能代は爽子に向かって軽く「またお越しくださいー」と声をかけて、レジの仕事に戻った。気持ちが少しあたたまったのを感じて、爽子は夜の住宅街へ出る。

缶コーヒーのプルタブを開けて、ちびちび口をつけながら、本当はどうしたいんだろうな、と爽子は考える。私は、何を求めて、今の仕事をしているのだろう。結婚しようと思っていないのは、なんでなんだろう。爽子は、改めて、自分は自分自身のことを何も知らないと思った。

みんなを見てショックを受けたのはきっと、自分の中に大人になりたいという感情がちゃんとあるからなのだ、と爽子は考えた。大人になりたい、しっかりしたい。だとしたら、このままの自分から、何か、どこか変わらなくては。

家の前に着くと、爽子は深呼吸をひとつして、引き戸を開け、家の中で帰りを待っているだろう母に「ただいま」と声をかけた。

#小説

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