【小説】ピアノ弾きの娘
鍵盤の上に、そっと指先を置き、ポーンと鳴らした。ドレミファソラシドのミの音。音は静かな部屋の中に、響いてすぐに消える。音は思ったより暗い感じに聞こえて、私自身のつまらなさや退屈さを現しているようだった。
黒いカバーのかかった、大きなグランドピアノがうちにはあって、私はそこで毎日中学校から帰るとピアノの練習をしていた。とはいっても熱中するほどではなくて、来週の先生のレッスンで叱られない程度に。こんなぬるいやり方を続けていても、上達するはずはないのだけど、ピアノを習い続けているのには理由があった。
私の母は、隣町の高校で音楽教師をしている。音大こそ出ていないものの、合唱の指導などで、そこそこ名を知られるほどの指導者でもあった。母は私がものごころつくと、ピアノをすぐに習わせた。私はすぐに楽譜が読めるようになって、簡単な曲なら、小学校に上がるころには普通に弾きこなせた。
仕事で忙しく、あまり私のことに構えない母が、たまに気にかけてくれるのが、私が新しい曲を覚えたときだった。亜麻色の髪の乙女が弾けるようになったよ。トルコ行進曲をこのあいだ習ったよ。そうすると、母はテストの採点の手をとめて、聞いて、ほめてくれた。普段笑わない彼女の、笑顔も、見ることができたのだ。
ママ、もっと、私のことを見て。そういいたいがために、私はピアノのレッスンを、続けていたのだった。ピアノの発表会も、小学校から中学二年の今に至るまで、毎年の春と秋に出て、ピアノを舞台で弾いている。でも、私は、舞台がとても苦手だった。とても上がり症の私は、大勢のお客さんの前に出ると、体がすくんで、弱音ペダルを踏む足ががくがくと震え、指先も上手く動かなくなり、いつもろくな演奏にならなかった。
そうして、同じ発表会には、私よりもずっと上手い同年代の子が出ていて、その音を聞くだけで、自分とは違う、と思い知らされるのだった。
発表会が終わり、夕食の席で、熱いシチューを食べながら、母が言う。
「みさきちゃんのママと、発表会のあと話したんだけど、みさきちゃんは音大に行きたいみたいね。音大のピアノ科は、そうとう難しいけど、あの子なら行けるかもしれないわね」
それは一見雑談のようだったが、私はすぐに、母の言葉に隠された意味がわかった。
(で、あなたはどうやってピアノと向き合っていくの? 音楽大学へ進みたいなら、もっと真剣に向き合わなきゃだめよ)
私は黙って、シチューの鶏肉を噛んでいた。ママ、本当はわかってるくせに。私にピアノの熱意がないのも、だからといって、何をしたらいいのかわからないのかも。私はそのとき、少しだけ母のことを嫌いだと思った。
ピアノは自分の意志で始めたのではなかった。ある程度は弾けるけれど、それ以上にならないことは、私にもわかっていた。私は、ピアノと、どう向き合えばいいのか、母と、どう向き合えばいいのか、両方ともわからなくなっていた。
***************************************
中学校も中間テストが終わり、私は放課後の校内を、どこに行くともなしに歩いていた。階段を中庭に向けて降りていくと、ふと、きれいな音色が耳に入ってきた。バイオリンの音。すごくいい。そして、この曲は知らない曲だった。あまりに上手いので、いったい誰なんだと思い、私はつい、バイオリンを弾きこなす学ランの小柄な背中の後ろに立ち、聞き入ってしまった。
彼が最後まで弾き終えると、彼は私の気配に気づいたのか、じろりとこちらを見て、言った。
「タダで聞くなよ、金よこせ」
「えっ」
「ばーか、冗談だよ」
ちょっと彼の表情がゆるんだので、私は思っていたことを口にした。
「それ、なんて曲? はじめて聞いた」
「だから、俺がこの曲作ったの。誰も知らなくて当然だ」
「作曲するの!!??」
私が息を呑むと、彼は当然というような堂々とした態度で言った。
「俺、作曲家になりたいもん。こんくらいできないと、話になんない」
私はその言葉に、カーッとコンプレックスを刺激され、つい憎まれ口をたたいてしまった。
「ずいぶん大きなこというのね。音楽の道って、すごーく、すごーく、険しいんだからね。そう簡単に、音大行けたり、プロになれたりしないんだから」
彼は明らかにむすっとした。
「やーだなー、その、自分ができないからって、マイナスなことばっか言って、人の足をひっぱる奴。いるんだよなあ、ほんと、やな女。いい加減、その言動で自分自身の足もひっぱってること気づけよ」
これは本当にぐさっときた。どうせできっこない。音大なんて自分には行けない。ピアノなんて私に最初から合ってなかったんだ。それは私が自分自身に繰り返し、繰り返し、言い聞かせてきた言葉だった。そういう言葉を自分にかけると、自分なんてこの程度って思うと、安心できるから。
「あんたも音楽、やるんだろ? ピアノだっけか。合唱祭であんたが伴奏してるの見たことあるよ。普通にいい演奏だったけどな」
「嘘」
「嘘じゃねえよ。あんたはやな女だけど、演奏は、普通に良かった」
「そんなわけない、私、いっつも、つまんないと思って弾いてるんだから! どんどんレッスンの曲は難しくなるし、ついていけないと先生に叱られるし、このままじゃママにも……」
口をそこでつぐんだ私に、彼は先をうながした。
「ママにも、なんだよ」
「……見捨てられちゃう」
これが本心だった。話しているうちに、ぼろぼろ涙があふれてきた。私は本当は、母に認められるだけの演奏家になりたかった。音大へこともなく受かる才能があって、母がおそらくは本当になりたかったピアニストへの夢を、娘の私が叶えてあげたかった。なのに、私のピアノは固いまま、下手なまま。どんどん、母が何を考えているのかわからなくなった。
「ふーん、よくわかんねーけど」
彼はちょっと口をつぐんでから言った。
「お前、俺と組まね?」
「は?」
「実は俺の母親が老人ホームで働いてんだけど、そこで来月、演奏してほしいって言われてんだよ。俺のバイオリンだけでもいいんだけど、ちょっとそれだけじゃ寂しいじゃん。お前くらい弾けるんなら、俺と一緒に演奏しない?」
「ええ」
「決まり決まり。ちょうどそういうことできる奴、探してたんだ。メール教えてよ。連絡する。最初の練習は次の土曜日な」
「はあ!?」
……そんなわけで、ついさっきまで見知らぬ男子だった彼――坂本義人との約束を、私はなんでだけ受けてしまった。理由のひとつが、義人の演奏が、感動するほど上手かったから。それと、そんなにも上手い彼から聞いて、私の演奏が「良かった」という、信じがたい言葉をもらったからだった。メールを交換し、私は義人と別れて帰り道に着いた。心臓は、すごくどきどきいっていた。
***********************************
土曜日はすぐにやってきて、私は、メールで教えられた通り、学校の音楽室へ向かった。義人いわく「うちの中学の音楽のセンセに、老人ホームのじーちゃんばーちゃんたちに演奏を聴かせたいから練習のため貸してくださいって言ったら、君たちのような子がいるなんて日本はまだ明るい!とかっつって楽々貸してくれた」そうだ。
音楽室の前で私は一瞬立ち止まった。中からピアノの音色が聞こえてきたのだ。少し止まっては、また流れ出すその曲は、唱歌の「さくらさくら」だった。引き戸を開けて、義人に向かってぽつんと言った。
「あんた、ピアノも弾けるんだ」
彼はうーっと頭をかいて、私のほうを見ると言った。
「バイオリンとギターをメインでレッスンついて練習してっけど、ピアノも弾けて損なことないから、久しぶりに弾いてみた。けど、やっぱなまるな。しばらくやらないと」
腹の中でこの天才! と毒づいてから私は話をすすめる。
「で、何の曲を弾けばいいの?」
「そうだなー、やっぱりじーさんばーさん向けってことを考えて、愛唱歌集の中から、選ぼうと思ってさ。さくらさくらだろー、早春賦だろー、あと、上を向いて歩こうとか」
「全部懐メロかあ」
「それが、受けるんだって、いやマジで。あ、なんならクラシックも入れる? お前の弾けるやつ」
そんな感じで、義人が持ってきていた楽譜のコピーを受け取り、私はピアノの前に座って練習をはじめた。義人もバイオリンを持ってきていて、私とは離れた場所で練習をしていた。一時間ほど個人練習したあと、合奏してみた。思ったより、二人の息は合った。何度も合奏の練習を重ね、夕方には解散した。
家に帰ると、母が高校の部活指導から先に帰ってきていた。
「あら、圭子。今帰ってきたのね」という母に「うん、ちーちゃんたちと遊んでて」と思わず嘘をついた。義人とのことを、あまり話す気はなかった。
母が「ちょっと座りなさい」と言って、私はダイニングテーブルで母と向かい合った。母はかばんの中から封筒を取り出した。中から取り出したパンフレットには、真新しい校舎の写真が載っていた。
「圭子も来年は中学三年生、受験生でしょう。母さんね、考えてたんだけど、授業の中にピアノレッスンが組み込まれてる、芸術学科のある高校へ行くのもどうかなって。もちろん、このへんの公立に行ってもいいんだけど、でも、今から進路をそっちにするのも、いいと思って……」
瞬間、すごく悲しくなった。母は私の中の葛藤――ピアノの練習を、高いところに向かってやっていくのがつらくなってるってこと、全然気が付いていないんだ。義人の話を受けたのは、老人ホームでの演奏、という、プロへ向けてのステップとは全く関係ないところにある話だったからだ。母にとって私は、ピアノが弾けなきゃ、きっといらない存在なんだ。
「圭子、時間を上げるから、考えてみ」
「ママは私の気持ちなんて全然わかってない!ピアニストになりたくて、なれなかったのはママでしょう! 私にママの夢を押し付けないで!ピアノを弾くのが、今はつらいの!」
大きな声に、母の肩がびくっとしたのがわかった。圭子、と声をかけようとした母をキッチンに置き去りにして、私は自分の部屋に飛び込むと、内鍵をかけた。涙はどんどんあふれてきたけど、今はどうしようもなかった。
母が「夕食は?」と夜になって聞きに来たけど「いらない」と言った。そのままベッドにくるまって、私は眠ってしまった。
日曜日の朝が来て、目が覚めると、義人からメールが夜中のうちに届いていた。『コンサートの日程決まった。来月の14日な!』という簡単なメールで、私は泣き疲れてもう世界中を呪いたい気分だったので『もうなんもかもやだ。コンサートのセッションもできないかも』と返した。
即、義人から電話がかかってきたので、私は不承不承取った。きっと怒られると思っていたのに、声は思いがけず、私への心配にあふれていた。
「お袋さんと、なんかあった?」
「……あんた、今時の中学生男子でおふくろさんとか言う奴初めてみたよ」
「馬鹿、そんなことどうでもいいだろ。声がガラガラしてる。喧嘩したんだろ。コンサート反対されたか?」
「コンサートのことは言ってない。ママがピアノの授業がある高校に進学を考えてみたらって。ママは何にも気づいてないんだよ。私が、ピアノを、もう続けるのがしんどいことも、全然気づいてない」
「三宅はさ、あ、呼び捨てにしてごめんな。三宅は、本当にピアノが嫌いなのか? プロを目指して続けるのが辛いってだけだろう。そりゃ、お前の実力じゃ、プロピアニストは無理さ。俺だってわかる。俺だって、音楽の道行きたいと思ってるから、なおわかるんだけど、プロを目指すだけが、ピアノ弾きの道じゃないぜ。お前のピアノは、ピアノを弾くのが嫌いな奴のピアノだとは思わない、なんか、感じるものがある。だから、やめるの勿体ねえよ。
プロピアニストにならなくても、幸せなピアノ弾きって、世界中にいるんだぜ。俺、他人の母子のことは、よくわかんないけど、お袋さん、音楽の先生なんだろ。あんたのピアノで音大に行けるほどかどうかなんて、プロになれるかどうかなんて、聞いたらすぐにわかってるはずだよ。それでも、音楽を習う高校に行ったら、っていうのは、お前をピアニストにしよう、ってことだけじゃなくて、なんか考えがあるんじゃないかなあ」
――母の、考え。本当にそんなものがあるの?
私にはとても信じがたかったが、幸せなピアノ弾き、という言葉は単純に好きだと思った。階段を上がって来る母の足音が聞こえてきたので、私は急いで義人に「じゃ、またね」と言ってスマホを切った。
「圭子、入るわよ」
「……うん」
私の返事を聞くと、母は部屋に入ってきた。
「昨日の話だけど、いいかしら」
「うん、いいよ」
「ママがピアニストになりたかったって話、あれね、あなたは小さい頃からそう思い込んでいたようだけど、実は、誤解があるの。ちょっと、違うのよ」
「違う、って」
「ママの時代は、ピアノが弾けたからといって、音楽大学に行けたりするような時代ではなかったの。だから、音楽大学へ行けたらよかったな、ピアノの勉強をもっと続けたかったな、っていう思いがすごく心残りで。小さいあなたにピアノを教えたら、すぐに上達したから、もっともっとこの子は先に行けるんじゃないか、私に見れなかった景色を、ピアノを弾くことで、開いていけるんじゃないか、って思いがあって。だから、ピアノ、続けたかったら、続けられる環境を、あなたにあげたかった。
音楽を仕事にしなくても、音楽と幸せに生きていける、そんな道を、あなたには選べるようにしてあげたかったんだけど、ピアノを弾くのがつらいほど、思い詰めていたのね。ごめんなさいね」
母の言葉は思いがけないものだった。お互いの気持ちのすれ違いを、ようやく二人とも理解できたのだ。私も、ぽつぽつと母に向けて話した。
「ママが、音楽の先生を一生懸命やって、私を育ててくれてること、それは本当に感謝してる。でも、仕事ばっかりで、私、ママがどんな音楽を好きなのか、ママ自身はどんなピアノを弾いてきたのか、全然知らない。だから、これからは少しずつ教えて? ママの好きなもの、好きな曲、それを知ったら、私もピアノが前よりちょっと好きになれるかもしれない。
それと、私、音楽を習える高校には行かないよ。私、まだ、何がやりたいのかわからないもの。ピアノをずっと続けたいかも、じゃあそのかわりに何ができるのかも、全然わかんない。未知数。だから、今はちーちゃんやよりちゃんと一緒に通える、公立高校の受験勉強をする」
ママは、わかった、とうなずいた。そんなママに、私は言った。
「ピアノね、弾きおさめをいったんしようと思ってて。ピアノ、将来やりたくなったらまた始めると思うけど、今はいったんやめる。最後の舞台として、友達と、老人ホームでコンサートやるんだ。バイオリンと私のピアノのセッション。5月14日の日曜日。……ママも、来てくれる?」
――その日が母の日だと、私も母も気づいていたが、口にはしなかった。口にしなくても、お互いがほの温かい気持ちを共有しているのがわかった。
5月14日の本番を目指して、私と義人は毎週土曜日必ず早朝の音楽室を使わせてもらって、練習した。なぜ早朝かというと、そのあとの時間からはまるまる吹奏楽部の子たちが部活を始めるからだった。最初はその子たちからも「二人は付き合ってるんー?」と冷やかされていた私たちだったが、だんだん、みんな演奏に聞き入ってくれるようになった。あ、今の私、ちょっぴり「幸せなピアノ弾き」だなってそう思えた。
そして、迎えた本番の日。客席には、老人ホームのおじいさんおばあさんたちに混じって母の姿があった。義人のお母さんが特別に入れてくれたのだった。
鍵盤の上に、両手を乗せる。今日で、しばらくピアノとはお別れだ。最後の演奏を、母に聞いてもらえて、すごく嬉しかった。義人が、目で合図をする。私は、大きく息を吸い込み、最初の一音を鳴らした。
いつも温かい応援をありがとうございます。記事がお気に召したらサポートいただけますと大変嬉しいです。いただいたサポ―トで資料本やほしかった本を買わせていただきます。