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【小説】深夜に食べるデザートのあと

夜の十一時を回ったファミリーレストラン内に、客はもうまばらにしか残っていない。案内されたソファ席でカラフルなメニュー表を眺めていると、ウェイターが注文をとりにきたので、私はおもむろに胸の前で片手を振った。

「あとからもう一人来るんで、そしたら注文します」

去っていったウェイターが、ストライプ柄の半袖制服を着ているのを見て、ああもう初夏なのだな、と思った。

六月の、雨上がりの匂いが立ち込める夜のなか、自転車に乗って大学近くの自宅アパートからここに来た。それというのも、桧山さんからいつものように呼び出しがあったからだった。

大学の授業が終わって、狭いアパートでシャワーもあびて、髪もかわかし、もう寝るだけ、というときになって、桧山さんから「いま会社終わった」というメールがスマートフォンに届いた。こういうとき、私は決まってあらがえない。馬鹿な犬よろしく、尻尾を振って、呼び出しに応じてしまう。

待ち合わせ時刻から十五分ほど遅れて、桧山さんは私の前に現れた。

「ナツ、遅れてごめん。会社出ようとしたところで、ちょっとつかまっちゃって」

桧山さんのシャツとネクタイは少しよれていて、残業帰りの疲労感が顔つきにもにじみ、私は疲れてる社会人の男の人って、ちょっとセクシーだな、って思った。もちろんそんなことは言わないで、桧山さんの前にも、メニュー表を広げてあげる。

「ねえ、何食べるー?」
「ナツはもう夕食食べたんだろ」
「ん、食べたよ。でも、デザートの時間」
「いいよなあ、大学生はめいっぱい食べても太んなくて」

桧山さんの言う通り、私の体には、食べても肉がつかないほうだ。きっと代謝がいいのだと思う。桧山さんがジャンバラヤを頼み、私はチョコレートパフェを注文した。料理が運ばれてくるまでの間、私は桧山さんが首元のネクタイをゆるめるのを見ながら、私はいつものように聞いた。

「桧山さん、今日はどうして呼び出したの?」

桧山さんは目じりを細くして笑いながら言う。

「ナツ、知ってるだろ、俺が飯食う友達すらいないって」
「でも、美菜さんがいるじゃん」

「美菜は何度も言ってるように、俺にとってはもうただの同居人でしかないから」

桧山さんには、二十歳のときから十年同棲している彼女の美菜さんがいて、でも私の前では、美菜さんをただの同居人と呼ぶ。それが嘘だとわかっているけど、私は何度も何度も、桧山さんが私をこうして夜中のファミレスに呼び出すたびに、重ねて聞いてしまう。

「だからー、桧山さんがー、私をー、呼び出すのはー」
「ナツのことが好きだからだよ」

この一言を聞くためだけに、私は今夜も桧山さんを尋問する。

運ばれてきたチョコレートパフェは、うずたかい生クリームの上に、ブラウニーとウエハースとバナナがトッピングされていて、私よりも桧山さんのほうが写メを撮りたがった。「インスタ映え」とか、流行語を使いたがる姿が、なんかもう流行遅れだ。

パフェに銀の長いスプーンを差し込み、一心に食べていると、桧山さんが言った。

「で、ナツはどうなの、大学生最後の夏休みはどうするの。誰かと卒業旅行でも行くの」

私は「そうだね」と少し考えるフリをしてから、思ったことをぶつけてみた。

「桧山さんと、旅行に行くのはどう? 私桧山さんとならどこでも行くよ」

桧山さんはうつむいてくくっと笑い「俺は休みとれないから無理」と笑っていなした。

ジャンバラヤを最後の一粒まで食べてから、桧山さんは立ち上がると言った。

「ナツ、今日もつきあって」

私はこくりとうなずくと、会計をすませて自動ドアをすり抜けた桧山さんの背中を追った。


桧山さんの車の助手席は、ほんのり澄んだ香りがする。たぶん芳香剤なんだろうけど、その香りにくるまれると、私はいつもほっとする。今日も、桧山さんと私の、夜中のドライブが始まる。

「音楽かけてよ」

私がそう言うと、桧山さんは小型の音楽プレーヤーをナビの下あたりの箇所につなぎ、スイッチとエンジンを入れた。流れ出したのはスピッツで、その声は六月の暗がりに淡くにじんで溶けていく。

桧山さんが「今日はね、埠頭のほうまで連れてくから」と静かに言った。

「ふとう、って何?」
「知らないの。海のほうだよ」

桧山さんが車を発進させ、私は助手席を倒して楽な姿勢をとった。柔らかなスピッツの音楽に、うとうとしてしまいそうだったけど、フロントガラスを通して見える街明かりが、ただきれいだと思った。

桧山さんが私を、夜のドライブに誘うようになったのは、知り合ってすぐ、ちょうど一年前のいまごろだった。二人の出会いは、私がフリーペーパーをつくる大学内サークルに所属していて、その中の一環として社会人の方にインタビューする機会があり、とある大手企業の広報員として、インタビューに応じてくれたのが、桧山さんだった。

学生のつたないインタビューに桧山さんは真剣に答えてくれて、その後部員たちと会社の人たちで飲み会もした。桧山さんと帰りの電車が一緒になって、私はつい連絡先を聞いていた。少したれ目の目元も、通った鼻すじも、ふわふわの猫っ毛も、はじめて桧山さんに会ったときから、私は好きだと思っていた。

知り合った当初、桧山さんは大きなプロジェクトが終わったばかりで疲れ、私もいっこうに上手くいかない就職活動に疲れ、お互いぐだぐだのぼろぼろだったけど、なぜかどこかが共鳴するように、私の思いが通じたかのように、桧山さんから時折連絡が来るようになった。

決まって呼び出される場所は深夜のファミレスで、そのあとドライブというコースは変わらなかった。桧山さんにとって、音楽をかけながらの深夜のドライブはいちばんのストレス解消なんだそうだけど、美菜さんは夜は眠くなってしまうタイプで、ドライブには一緒に来てくれないのだそうだった。

かといって、一人のドライブはつまんないから、ナツに隣に座っていてほしい、そんな桧山さんのわがままを私は聞き続けている。

夜中の道路はすいていて、車は桧山さんと私を乗せて、海の方角を目指して走り続ける。かかっていたアルバムが、一周し、二周する。ぽつんぽつんと等間隔に灯る街灯の明かりが、私たちの行く手を照らしている。

私はいつも、桧山さんの車に乗るたび、このまま日常に帰ってこれなくなるんじゃないかな、って錯覚してしまう。二人で、どこまでも真夜中を落ちていく気がする。

戻れなくなりそうだ、と思う頃にようやく、埠頭に着いた。車から降りると、潮の強い香りが、夜風と一緒に頬をなでた。

遠くのきらめく明かりを、桧山さんが指さす。

「あっちが灯台。あっちが船の明かりだよ」

桧山さんはすぐ隣に並んでいるのに、いつだってすごく遠くに感じる。桧山さんは、夜こうやって私を呼び出して、ファミレスでパフェを食べさせ、ドライブに連れ出し、あまつさえ好きとまで言うけれど、私に触れてくれたことがない。私のアパートにも来ない。

こういうとき、美菜さんと自分との、埋められない何かを感じる。

「帰ろっか」

埠頭まで来て、満足したらしい桧山さんが私に声をかけた。小さい声で、言ってみる。

「帰らない」
「え?」

「――なんでもない」

結局、大きい声で言う自信がないまま、言葉は夜の海風に飲み込まれた。運転席に戻った桧山さんのあとについて、私も助手席に乗り込む。

触れそうで、でもぜったい触れられない二人の距離が憎たらしくて、わざとバタンと内からドアを閉めた。

「あ、雨」

ぽつぽつと、フロントガラスをこまかな雨粒が叩いた。上手に帰らなくちゃ、桧山さんの機嫌を損ねないように、また呼び出してもらえるように。そう自分に言い聞かせながら、帰りの車で、私は黙りこくったまま、我慢で熱くなるお腹を抱えていた。

美菜さんがただの同居人なら、私でいいじゃん。
私と付き合ってよ、私を選んでよ。
付き合わないなら、私をもう呼び出さないで。

桧山さんもずるいけど、これらの言葉を言えない私もたいがいずるい。桧山さんと逢えなくなるのが怖くって、関係性を平行線のままから、進めることができない。

ファミレスについて、車から降りると、私は言った。
「桧山さん、ばいばい、おやすみ」
「おう、またな」

クラクションを軽く鳴らして、桧山さんの車の影が夜闇に溶けるのを見ながら、私は大きく息をついた。今夜は眠れるかなあ、そう思いながら、自転車にまたがると、雨の中家路についた。いっぱいに立ち込める雨の匂いと、湿った空気に、涙が頬を伝っても、誰にも気づかれずにすみそうだった。

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