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国宝の宝庫奈良 興福寺~ 見聞録①


国宝の宝庫 法相宗大本山興福寺

GW前半まで奈良に出張で行っていました。
出張中、今回頑張って時間を作り早速興福寺へ。興福寺は天皇家、藤原氏と深くゆかりのあるお寺で1300年位の歴史が有ります。国宝と重要文化財の宝庫です。72体もの国宝仏像が安置されており、仏像ブームの先駆けとなった東京国立博物館「国宝 阿修羅展」(95万人来場)の阿修羅像もここにあります。仏教女子、仏女なる言葉もある様ですね。今回、帰りがけ含め法隆寺、興福寺、春日大社、伊勢外宮と行き、充実した出張となりました。
それにしてもGWに入るや宿泊しているビジネスホテルは凄い人で、朝食ビュッフェの補充が追い付かず、殆ど食べ尽くされていました。
座席もつい立ては有るにせよ皆隣り合って食べており、ここ暫く見なかった賑わいのある光景でした。

興福寺東金堂と五重塔

五重塔は戦火等で五度ほど喪失・再建されており、現在のは約600年前のものです。かなり大きく、真近で見ると結構迫力が有ります。

東寺の五重塔に次ぐ規模

興福寺は日本における現存最古の仏教である法相宗の大本山で有り、平安時代には春日社の実権を手中におさめ、大和国を領するほどになったとあります。明治始めの廃仏毀釈の頃までは今の奈良公園も興福寺の地領だったようです。パンフレットに法相宗の事が書かれているので少し引用します。

法相宗の根本教義は弥勒が説いた「あらゆる存在は唯だ自己の識(心)の現われに過ぎない」とする「唯識」の思想です。この教えは4~5世紀のインドの僧である無著(むじゃく)・世親(せしん)が大成し、その後インドから膨大な仏典を請来した中国の玄奘三蔵が、インドの護法論師の解釈をまとめて『成唯識論』を著しました。その玄奘に師事した慈恩大師基(き)は特に唯識を学問として体系づけたことによって、法相の宗祖として尊敬されてきました。

とあります。日本の道昭が長安に至り、大慈恩寺の玄奘大師に師事して興福寺に教えをもたらした様です。日本の法相宗では行基が一番有名です。近鉄奈良駅前には噴水の真ん中に行基菩薩像が建立されています。

東金堂「維摩居士像」と北円堂「弥勒仏」

さて、興福寺には時間の関係で2回に分けて行ったのですが、《北円堂特別開扉》期間(4/23~5/8)だったので運慶一門作の北円堂の弥勒如来坐像、無著・世親菩薩像も拝観する事が出来ました。北円堂は1年に春・秋の2週間ずつしか開扉していないので今回は幸運でした。
私は、維摩会の日常を修行と捉える在り方や、唯識思想などを学んでいますので、東金堂の維摩居士像(国宝)や、北円堂の唯識を発展させた無著・世親像(国宝)を拝観する事が出来たのは学ぶ者としてありがたい事でした。

それにしても東金堂の薬師瑠璃光如来と補佐する月光菩薩、日光菩薩は人の背丈を超え、迫力がありました。後背が大きく、デザインも精緻で金箔が美しかったです。その周りを四天王立像や十二神将立像が取り囲んで守護しています。
そして、その中で普通(?)の恰好の「維摩居士」が何故か薬師如来の真横で座っています。恐らく訪れた大半の方が誰この方?と思っていると思います。
https://www.kohfukuji.com/property/b-0039/

維摩居士は、商人(長者)でありながら仏の在家弟子として衆生を救う菩薩様(阿閦〈あしゆく〉仏の東方妙喜国より来たるとある)なのです。和光同塵となり俗世の中、衆生と交わり導く存在です。そういう意味では懐の深い偉大な存在と言えます。
お金持ちですが、どちらかというと痩せた厳しい御顔で作られていました。同じく薬師如来の隣の文殊菩薩の方がふっくらして菩薩様然としています。『維摩経』の中では、維摩居士と文殊菩薩とで壮大な問答が展開されて行きます。
中央に座します薬師如来も菩薩行を行じ、十二の本願を完成されたと言われます。衆生の病と苦しみを救うとされ、中国、日本で信仰されて来ました。

北円堂の方は、平城京造営を成した亡き藤原不比等のために時の天皇が造営された供養塔の様です(現存のは800年前のもの)。中の「弥勒如来」というのは弥勒菩薩が56億7000万年後に成仏した姿の様です。56億7000万年後というのは謎の数字で、567はコロナと読めますね(笑)まあそういう話はおいておきましょう…。
1000年近く前の建物の空間で1000年近く昔の仏像を見るというのは貴重な体験でした。法隆寺にも今回行ったのですが、1400年前~1000年前後のものを沢山見ると、江戸とか、数百年前なんてつい最近だと感じる不思議が有ります。1000年以上前でも十分精緻で凄い建造物や美術品がある事が良く分かりました。人の美意識や知性は大きく変わっていないと思います。

後は、国宝館の巨大な1300年前の仏頭や金剛力士像、阿修羅像なども凄かったのですが、興福寺で一番迫力があったのは5m超の「千手観音」でした。御顔も威厳が有ります。という事で、御朱印は「千手観音」を選びました。

興福寺「千手観音」 と法隆寺「和を以て貴しと為す」

御朱印帳は法隆寺で初めて購入したのですが、こういうものを持つとやはり集めたくなりますね。若い人も結構並んでいました。自分も流行に流されるなんてと思いつつ、記念に持つ分には満足度が高かったです。

神鹿

興福寺にも春日大社の鹿が沢山居ました。彼らは見ていると落ちた八重桜の花やとがった松葉を食べたり、立ち上がって寺の新緑を食べたりしていました。でも栄養なさそうな鹿せんべいが一番反応が良く、好きな様です。
人と同じでしょうか。
仏縁に感謝しつつ興福寺を後にしました。
(つづく)

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