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神様奇譚 第3章「ずっと前に死んだ男」

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第3章「ずっと前に死んだ男」

 神在月の総会を終え、肩の荷が降りた僕は、この世界に来てからずっとやってみたかったことをした。居住地から出て、街を散策してみたのだ。
 街は観察するだけでも面白かったが、実際に歩くとさらに面白かった。馬が駆けた後には砂埃が立ち、武士たちが歩くと刀が擦れる金属音が小さく響いた。街の片隅で立ち話をする人々の言葉は、聞き取れるものとそうでないものとがあった。

 奇妙なことに、僕が街の人々を興味津々でジロジロ見ているのと同じように、街の人々もまた僕のことを好奇心の宿った目で見つめていた。僕が神様であると気づいているのだろうか。いや、総会にいた神様のように派手な装束を纏っているならともかく、Tシャツにジャケットの僕は、神様には見えないはずだ。ではなぜ、みんなして僕を見るのだろう。解けない疑問に首を傾げつつ、街を歩いた。

 ふと、小さな商店のようなものを見つけた。甘味処のようだ。軒先のベンチに数人が腰掛け、お茶を飲んだりまんじゅうを頬張ったりしている。僕が近づいていくと、ちょうどベンチにいた人たちが立ち上がった。
「まいどー」
 和服の上に割烹着を着たふくよかな女性が、出ていくお客さんを笑顔で見送っていた。女性が振り返り、僕と目が合う。
「あら。お茶を一服して行きませんか」
「あー、えっと」
 僕は居住地から手ぶらで出てきたことに気づく。総会へ行くタクシーではお代は支払わなかったが、この世界での通貨はどうなっているのだろうか。僕は手持ちがないことを示すために、両手をポケットに突っ込んだ。
「お代ならいりませんよ。ここではお金は使わないんですよ」

 少しお待ちくださいね、と女性は店の中に入り、湯呑みとおまんじゅうを乗せたお盆持って戻ってきた。緑茶のいい香りが漂ってくる。
「どうぞ。あなた、新しくいらした方?」
「え?」と僕。
「最近、亡くなられた?」
 女性は声を落として再度尋ねた。その目には優しさが満ちていた。
「ああ、はい。そうです」
「そう。甘い物は元気になるから。ゆっくりしていってくださいね」

 女性は僕に微笑みかけて、店の中に戻っていった。女店主は、僕が自分の死のショックからまだ立ち直っていないと思ったようだった。確かに僕は死んでいるが、そのことに対して不思議と何も感じてなかった。神様に選ばれるというそれ以上に大きな出来事が起こったせいかもしれないが。
 お皿の上のおまんじゅうを手に取り、一口かじる。口の中に柔らかな甘みが広がり、なぜだか懐かしい気持ちがした。緑茶を一口啜る。これは美味しい。

「お兄さん、お兄さん」

 声の方を振り返ると、黄色いアロハシャツを着た若い男が、僕のすぐ後ろに立っていた。

「わ! 熱っ」
 驚いた拍子に、湯呑みのお茶がこぼれ、手にかかった。くそ、神様でも火傷はするのか。

「ごめん、ごめん。驚かせるつもりじゃなかったのよ。それで、お兄さん、最近死んだしとなんでしょ?」
「ちょっと、源さん。なんてこと言うの!」
 店の中から女店主が飛び出してきた。すごい剣幕でアロハ男を怒鳴っている。

「まったくもう、この人は小さじ一杯分の繊細さも持ってないんだから」
「おかみさん、怖いよー。ごめん、ごめん。新顔がいるって町のしとの噂を聞いたから、急いで走ってここまで来たんだよ」
 アロハ男は女店主に向かって、手を合わせている。どうやらこの二人は以前からの知り合いらしい。

「で、どうなの? お兄さん、新入り?」
 源さんと呼ばれたアロハ男は、こちらに向き直った。女店主は呆れた顔で成り行きを見守っている。
「はい、そうです」と僕は背筋を伸ばして答えた。

「よしっ」とアロハ男は、なぜかガッツポーズした。そのままの勢いで、僕の隣に何も言わずに腰掛けた。肩が触れそうなほど近い。
「じゃあ、次の質問。お兄さんが死んだのは、何年?」
「は?」と、僕は予想外の質問に面くらった。「死ぬ直前は何年だった? ほら、天保五年とか、安政三年とか。あ、西暦っていうのでもいいよ。俺、計算できるから」

 アロハ男は、ポケットからくしゃくしゃになった紙の束を取り出した。何やら文字や数字がたくさん書いてある。どうやら元号と西暦の早見表のようなものらしかった。右耳に引っ掛けた鉛筆を手に取り、メモを取る用意をして、アロハ男は期待顔でこちらを見つめている。

「源さん。自分が死んだ時のことを思い出したくない人もいるんだから、ダメよ。強引に訊いちゃ」
 いつの間にか、女店主も僕の目の前のベンチに腰を下ろしていた。
「ごめんなさいね。この人、自分が死んでから、現世ではどのくらい時間が経ったのかを計算するのが趣味の人で。新しい方がこの世界に来られると、みんなにこの質問をしてまわっているんですよ」
 女店主がうんざりした口調で説明した。
「へえ、なるほど」僕はアロハ男に向き直って咳払いした。

「僕が最近こちらに来たということは確かですが、実は自分がいつ、どうやって死んだのか覚えていないんです」と僕は正直に言った。
「えー!」
 アロハ男と女店主は声を揃えて叫んだ。あまりの大声に、通りを歩いている人も、何事かと振り返っている。僕は慌てて付け加えた。

「そんな、驚かせるつもりでは。お役に立てず、すみません……」
「いやいや、それはどうでもいいんだけどさ。じゃあ、お兄さん、どうして自分が死んだのか、気になったりしない? いや、気になるよねぇ」
 アロハ男は、自分で質問しておいて、自分で納得してしまっている。そうか、僕は自分がなぜ死んだのか、知らないんだ。アロハ男に訊かれるまで、そのことに気づいてさえいなかった。

「みなさん誰でも、自分がどうやって死んだのかを覚えているものなのですか?」
 僕は二人を交互に見ながら尋ねた。
「ああ、俺が話を聞いた限りだと、だいたい覚えてるね。そりゃあ中には、道歩いてたらいきなり後ろからドーンと何かが来て即死、という場合もあるけど、その直前の記憶はあるから本人もおおかた察しはつくわけよ」
 女店主も頷いている。僕は自分が死ぬ瞬間のことを想像してみた。今の年齢くらいで死ぬなら、交通事故か、病気か、それとも殺……いや、それ以外のことはあまり考えたくない。いずれにしても、そんなことを覚えていたら、とてもじゃないが街の見物を意気揚々とはできないだろうと思った。ここの人たちは、みんなそういうのを乗り越えて、気持ちの整理をつけているんだ。

「あの、失礼かもしれませんが、お二人も、その、覚えているのですか?」
 僕はおずおずと訊いてみた。
「ええ。わたしは明治の生まれなんだけど、今で言うところの脳卒中。突然死。五十三歳でした。でも、まぁ寿命ですよね。当時はみんな、そんなに長くは生きなかったから」
 女店主はあっけらかんと言った。

「俺はね、『桜田門外の変』で死んだんだ」とアロハ男。

「さくらだ……。え、あなたは武士?」
 僕はまじまじと目の前の若い男を見つめた。どう見てもこの男が着ているのは、黄色いアロハシャツだ。
「違いますよ」と冷たい声で女店主が言った。
「この人は確かに桜田門外の変で死んだんですが、たまたま近くを通りかかった町人で。乱闘に巻き込まれて、どさくさの中で斬りつけられたそうですよ」

 アロハ男が真面目な顔で頷いているのを見て、僕は吹き出しそうになったが、この人が亡くなった時の話だということを思い出し、必死に笑いを噛み殺した。
「コホン。それは、大変でしたね」
「ああ。できれば、江戸幕府の行く末をこの目で見てみたかったねぇ」
 アロハ男は遠い目をして言った。これには耐えきれず、笑った。見ると、女店主も腹を抱えて笑っている。アロハ男の抗議の声は、二人の笑い声にかき消された。

「ははは。いや、すみません。じゃあ、その『桜田門外の変』から今は何年経ってるんですか?」と僕は話題を変えるために尋ねた。
「えっとね。今わかってるところで言うと……」
 源さんは「先生も同じ年だって言ってたから」とぶつぶつ呟きながら、あちこちメモ用紙をひっくり返した。
「最後に声をかけた爺さんが2009年に亡くなっていたから、149年だな」
「わあ、もうすぐ150年の節目じゃないですか」と僕は驚いた。
「そう。だからお兄さんを見つけて慌ててやって来たんだ。記念すべき150年を過ぎたのかどうか、知りたくってさ」
「期待外れでしたね。すみません」と僕は首を垂れた。

「ところで、あなたは江戸時代の人なのに、どうしてアロハシャツを?」
 僕はアロハ男に尋ねた。このアロハ男が、桜田門外の変で死んだ人だと聞いた今、どうしても気になって仕方がなかった。
「あ、これ?」とアロハ男はシャツの肩のあたりをつまんでみせた。
「これはハワイで死んだしとと、服を交換したのよ。旅行中に事故に遭って、ハワイに行ったことをめちゃくちゃ後悔しててさ。ここでは死んだ時の格好になっちゃうから、この洋服をすごく嫌がってて、可哀想だったから俺のボロ着物と交換してあげた」
「そうでしたか。それ、似合ってますよ」
「ありがとう」とアロハ男は、満面の笑みを見せた。

「あと、俺のことは『源さん』でいいよ。生きてる時に、みんなからそう呼ばれていたんだ。こっちは『おかみさん』。こっちの世界に来る前から営んでいた甘味処をここでもずーっとやってる。おかみさんのおまんじゅうは絶品よ」
 僕は源さんの言葉に頷く。

「あ!」

 突然、おかみさんが大声を出した。
「びっくりした! 心臓止まるかと思った」
 源さんは椅子から弾かれたように立ち上がった。
「あ、もう俺の心臓止まってるんだった」

「おかみさん、どうされたんです?」と僕。
「思い出したわ。前に『先生』が言ってたのよ。ここに来る時に、手続き上、生前の記憶がなくなる人がいるって」
 おかみさんが僕を見た。源さんは、おかみさんと僕の顔とを交互に見比べている。僕は黙って、次の言葉を待った。
「あなた、もしかして、神様でいらっしゃるの?」とおかみさんは囁いた。
「はい、そうです」と僕は頷いた。
「えー!」
 再び二人の声が揃った。
「と言っても、まだ新米ですから。そんな、大したことないんです。本当に」

 僕は手のひらを振りながら、声を落として言った。抽選で選ばれただけですから、という言葉は飲み込んだ。この二人に質問攻めにされるのは御免だ。

 二人は、そんな僕の説明などお構いなしに、高揚していた。おかみさんは僕の肩のあたりをやたらと触り、「ご利益、ご利益」と呟いている。源さんはといえば、僕に対して両手を合わせて拝んでいた。
「ちょっと、本当にやめてくださいよ」
 僕の大声にやっと二人の興奮もおさまった。おかみさんは急に立ち上がってお店に戻ったかと思うと、山盛りのおまんじゅうをお皿に乗せて戻ってきた。

「はい、お供え物」
 僕の前に、お皿が置かれる。僕は無視した。
「さっきから出てくる、『先生』というのは誰なんですか?」
「そうか、神様はまだ会ってないか。先生は俺らに近代史の授業をしてくれるんだ。つまり、俺やおかみさんが死んでから国がどうなったのか、人々の生活はどうで、技術はこんなに進歩したとかね。だから俺、現代人っぽいだろ? これは先生のおかげなのよ」
 源さんは話しながら、僕の目の前のお皿に手を伸ばしておまんじゅうを一つ掴んだ。コラ、それは神様へのお供え物だぞ。というか、僕を神様と呼ぶな。

「そうなの。技術の進歩でとっても楽しい娯楽が誕生したそうね。わたしは……何だったかしら、そう、『テレビ』というものを見てみたかったわ」
 おかみさんは頬杖をついて、夢見心地の顔で言った。なるほど、そういうことか。言われてみれば、源さんもおかみさんも現代的な言葉遣いだ。源さんがハワイを知っているのも、おかみさんがテレビを知っているのも、その先生と呼ばれている人物が、この二人にいろいろ入れ知恵をしているからなのだろう。

「どうして未来のことを知りたいんですか?」
 僕は思わず尋ねた。後から考えると、それはとても失礼な質問だったのかもしれない。
「そうねえ、どうしてかと聞かれると……」
 おかみさんは頬杖をついたまま、首を傾げて押し黙った。

「俺は死んでからも生き続けたいからだね」
「生き続ける?」
「今を知ることが大事ってことだ。死んでからやることと言ったら、昔を振り返るしかないからな。それじゃあ、つまんない」
 源さんの言葉の真意を捉えることは難しかった。僕はなんと応えたらいいかわからず、曖昧に頷いた。


「それはそうと、先生も比較的最近こちらに来た方だから、きっと、あなたと同時代の人じゃないかしら」
 いつの間にかおかみさんまで、おまんじゅうをパクパクと口に運んでいた。ふと見ると、目の前にあったはずのおまんじゅうの山は、なだらかな丘ぐらいになっていた。油断も隙もありゃしない。僕も負けじと、一つ手に取った。

「じゃあさ、神様がなんで亡くなったのか、そしてそれは何年なのか、これを知る方法はないのか先生に聞いてみようよ」と源さんが提案した。
 僕はおまんじゅうを喉に詰まらせそうになった。なんと突拍子もないことを。おかみさんが止めるだろうと思って振り返ると、僕の予想に反して、その顔は輝いていた。
「いいじゃない、そうしましょう」
「いやぁ、いくら先生でも、そこまではわからないんじゃないですかね」
 慌ててお茶を飲み、口を挟んだ。暗に乗り気じゃないことを示したが、二人は顔を見合わせて頷き合っていた。

「じゃあ、今度先生に会ったら聞いてみる」
 源さんは僕の意見を無視して、朗らかにそう言うと、じゃあまた、と去っていった。僕もつられて腰を浮かす。
「よかったですね。また、ここに寄ってくださいね」
 おかみさんは優しく僕に微笑みかけ、空になったお皿と湯呑みを片付けた。僕はおかみさんにお礼を言って、甘味処を後にした。随分と長居をしてしまった。 


 居住地に戻ると、ドアの前に巻紙が置いてあった。留守中に遣いの狛犬が訪ねてきたらしい。僕は紙を拾って、部屋に入った。届いたお願い事の資料を握ったまま、僕はソファの上で脱力した。刺激的な初散策だった。

 源さんの言うように、本当に自分の生前の記憶が蘇る方法があるのだろうか。自分がどうして死んだのか。知りたいような、知りたくないような感じがして、胸の奥がザワザワとした。万が一、誰かに殺されていたらどうしよう。想像しただけでも、身震いがする。いや、僕はおそらく平凡な人間だ。そんな事件に巻き込まれるはずがない。だとしたら、この歳で死ぬのは事故か、病死か。自分でいくら考えても、何の手掛かりも掴めない。

 僕は嫌な想像を追い払うように、頭を振った。いくら疲れていても、神様の責務は怠ってはならない。手の中の巻き紙を広げ、寄せられたお願い事に目を通す。その中のひとつが目に留まった。

『本当の自分を見つけたい』

 自分探しか。自然と苦笑いが込み上げてきて、僕はハッとした。僕にも本当の自分を見つけたいと思った経験があったのだろうか。「過去を振り返るだけじゃ、つまらない」という源さんの声が頭の中で蘇った。僕は僕の過去を知りたいのだろうか。本当の自分を見つけたい気持ちはあるのだろうか。今の神様の職務に集中すべきだろうか。
 自問自答を繰り返しているうちに、そのままソファの上で微睡まどろんだ。

 夢の中で、ずっと前に死んだ、アロハシャツの男が笑っていた。


第4章に続く

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