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神様奇譚 第5章「神の主」

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第5章「神の主」

 先生は、それからしばらくの間、おかみさんの甘味処には来なかった。僕は仕方なく、源さんとおかみさんと三人で、僕の神社に生前の僕を知る人物がお参りに来るための方策を考えた。二人には、先生との「現代人同士の対話」の前半部分は端折って後半だけを伝えていた。

「つまり、先生が突き止めたのは、神様の友達が、神様の神社にお参りに来ればいいってことなんだよな?」
 源さんは口の中におまんじゅうを入れたまま、再度確認する。僕の記憶の捜査会議には、おかみさんのおまんじゅうとお茶は必須のアイテムになっていた。
「それも、一人だけじゃダメなんだ。その人が都合よく僕の死について何か知っているとも限らないし、そのことをお参りで言うかどうかもわからない。少なくとも何人かには来てもらわないと」

 いつの頃からか、僕は源さんに対して敬語を使うのを諦めていた。この馴れ馴れし過ぎるアロハ男には、こうでもしないと渡り合えないことを悟ったのだ。源さんが百五十歳近く年上だという事実には目をつぶっている。

「じゃあ、すごいご利益のある神社だったらいいんじゃないか? それなら遠くからでも参拝したくなるだろ。そしたらその中に神様の友達も混ざってるかもしれない。下手な鉄砲も数打ちゃ当たるってさ」
「それには僕が神様の総会で発言権を持ってないといけない。僕は神様の中では新人だし、総会は一年に一回しかないんだ。僕が仮に総会で出世したとしても、ご利益が評判になるまでには何十年も、ひょっとすると何百年もかかる。それじゃあ、僕を知っている人は死んでしまうよ」

 僕はこの堂々巡りの議論に少々飽きていた。そもそも僕は自分の死の真相を本当に知りたいと思っているのだろうか。心のどこかでは、このままいいアイデアが浮かばないままのほうがいい、とさえ思っていた。源さんは僕と打って変わって、やる気満々だった。とはいえ、やる気だけで名案が思い浮かぶわけでもなく、捜査会議は沈黙した。

「じゃあ、待っていればいいんじゃないかしら?」
 おかみさんが急に口を開いた。
「生前の神様を知っている人も、いずれは亡くなるでしょう? そうしたら、こちらでお会いできる。その時にお話を聞いてみてもいいじゃない?」

 おかみさんの提案に、僕も源さんも黙りこくった。おかみさんは若くして亡くなった息子さんに再び会うためにこの甘味処を始めたのだと源さんから聞かされていた。おかみさんの生前に、甘味処を開くのを後押ししてくれたのは、当時十七歳の次男坊だったらしい。その息子さんは二十歳の直前に事故で亡くなり、おかみさんはそれからますます甘味処の仕事に精を出した。おかげで、おかみさんが店先で突然倒れるまで、甘味処は繁盛が続いた。あの世でもおかみさんの甘味処にはお客さんが絶えなかった。おかみさんが結局、早世した息子さんと再会できたかどうかは、源さんに尋ねてもわからなかった。

 重苦しい沈黙を破って、源さんが勢いよく立ち上がった。
「諦めるなんて駄目だ。自分が死んだ理由がわからないなんて、このままじゃ神様が成仏できないよ」
「う、うん。ありがとう」
 生きた時代も違うのに、ここまで親身になってくれる源さんに、僕は感激した。いや、待てよ。源さんの口ぶりだと、僕はいま成仏できていないということになる。神様が成仏できないとは、どういうことだ。


 その時、先生の声がした。
「まったく、私がいないと会議が捗りませんね」
 一同は振り返った。先生が笑顔で立っていた。
「遅いよ、先生」
 源さんはそう言いながら立ち上がって、先生に椅子を勧めた。おかみさんは、もう先生の分のお茶を淹れて戻ってきた。しかし先生はその場から動かなかった。

「なかなか顔を出せていなくて、すみません。今、いろいろと調べているところでして。今日は神様にちょっと確認したいことがあって、寄ったのです。神様、少しよろしいですか」
 先生は僕に訳あり顔を向けた。僕は頷いて立ち上がる。
「また現代人だけかよ」
 口を尖らせて文句を言う源さんを、おかみさんが「まあ、まあ」となだめている。僕は二人に手を振った。

 少し歩いて、甘味処が見えなくなった頃、先生は立ち止まった。
「実は、お願いがあるのですが」
「お願い?」
 僕はてっきり前回の土手で話をすると思っていたので、困惑した。
「神様の神社を見せてほしいのです」
「僕の、神社?」
「はい。自分の神社の様子を『窓』から確認できますよね? ぜひあなたの神社を拝見したい」
 

 僕は先生と二人で、僕の居住地に鎮座している『窓』を覗き込んだ。この場所に初めて人を連れてきたので、お腹の底がそわそわしていた。真剣に『窓』の中を見つめる先生の横顔を盗み見る。お客さんが来るなら、もう少し部屋の掃除をしておけばよかった。僕はまだ巻かれたままのお願い事の資料を横目で見た。最近は神様の仕事をサボっていることが先生にバレなければいいが。

「人の姿が見えますね」と先生。
 水槽のような『窓』の中では、袴姿の男性が箒で掃いていた。よく見かける光景だ。
「はい、この人がおそらく、神主さんです」
「神主」と先生が僕の言葉を繰り返す。
「立派な神社ですね」
「え、あ、ありがとうございます」

 僕はなんとなくきまりが悪く感じて『窓』から目を離した。自分自身を褒められているようだった。少しでも整頓しようと、机の上にあるお願い事の資料を整える。

「狛犬もいる」と先生は独り言のように呟いた。
「はい、その狛犬が遣いの者です」
「遣いの者?」と先生は怪訝な顔で『窓』から顔を上げた。
「はい。その狛犬の吽像が、このお願い事リストの資料をここに持ってきてくれます」
 僕は手にした紙の束を掲げてみせた。先生は再び『窓』に視線を戻して、狛犬を観察する。
「そして阿像が総会の時に迎えにきてくれました。先生の神社には狛犬はいないんですか?」
「私のには、もちろん狛犬なんかいませんよ。それは毎回新聞のようにドアの前に置いてあります」と先生は僕が手にした資料の束を指して言った。
 新聞配達の人が玄関ドアに向かって新聞を投げる姿を想像してみた。うん、狛犬はきっと恵まれているほうだ。

「あ、誰か来ましたよ」
 僕は反射的に居住地のドアを振り返った。しかし先生は『窓』の中を覗き込んでいる。僕も急いで『窓』に駆け寄った。先生が指差した先には、確かに箒で掃く手を休めて、神主さんが誰かと話している姿が見える。実際に参拝客を見るのは初めてだったので、興奮して『窓』にさらに鼻を押し付けた。
 神主さんが話しているのは、若い男のようだった。僕と同じくらいの年齢か、少し若いくらいだ。リュックサックを背負っているので、ハイキングに来たついでに、小さな神社を見つけたので参拝に立ち寄った、というようなことなのだろう。どんな理由であれ、参拝に来てくれるのは嬉しいことだ。
「何の話をしているのでしょうか……?」
 僕は思わず思っていることを口にした。
「わかりませんね。でも、二人のうちどちらかが、お参りで報告してくれるかもしれませんよ」

 先生はそう言って、くるりと僕に向き直った。
「さあ、遅くなりましたが、本題に入ります」
 僕は再び背筋を伸ばす。
「この人と直接話ができます」と先生は『窓』の中を指さす。
「え? 誰と?」
「自分の神社の神主です。神主さんと神様は直接、コンタクトを取ることができます」

 にわかには信じられなかった。生きている人と話せるなんて。
「信じられないという顔をしていますね」と先生はニヤリと笑った。
「私も信じられませんでしたよ。自分が体験するまでは」
「え? 先生は、自分の神社の神主さんと話したのですか? 何を? どうやって?」
「はい、先日話をしました」と先生は頷いた。
「何を、という話はここでは重要ではないので置いておきましょう。これは、一般に『神託』と呼ばれている現象です。私たちが現世の人々とコンタクトをとる唯一の方法です。なので、頻繁に行うことはできません。ですから慎重に実行しないといけない。あなたの生前のお知り合いが、この神社に参拝に来るように仕向けるためには、ここの神主さんを利用するしかない。私はそう思います」

 先生は確信に満ちた目を僕に向けて、そう主張した。あまりの驚きに、僕はソファに身を沈めて頭を抱えた。
「まあ、混乱するのも無理はないと思います。それに『神託』はそう何度も実行できないので、ゆっくり作戦を検討していきましょう。実行方法についても、追々説明します」と先生もソファに腰を下ろしながら言った。
 生きている人と話せる。そのことが嬉しいのか、悲しいのか、よくわからなかった。自分の神社をいつも綺麗に管理してくれている人と直接会えるのは嬉しかったが、生きている人と話すことは、自分が死んだということを改めて突きつけられるような気がして、恐ろしかった。それに、見ず知らずの神主さんと直接コンタクトをとったところで、先生の言うように神社に僕の知り合いが参拝に来るようになるとも思えなかった。

「どうやって神社に僕の知り合いが来るように仕向けるつもりですか?」
 僕の質問に、先生は考え込んだ。
「うーん、ここは源さんのアイデアを採用するといいと思うんです」
「源さんの? すごいご利益のある神社っていうやつですか?」
 さっき三人で話していたアイデアだ。先生はいつから僕たちの後ろに立っていたんだろう。僕は盗み聞きされていたことに、少々ムッとした。

「まあ、ご利益で売っていくのは難しいにしても、何らかのきっかけで神社が有名になったり、話題になったりすれば、参拝客は増えますよね」と先生。
「ええ、まあイメージはできますね」と僕は頷いた。
「メディアが取り上げる時には、その神社には誰が祀られているのか、みたいなことも調べると思います。調べてみて、一般人が祀られていると分かれば、メディアは必ず食いつくでしょう。元テレビマンの私が言うのですから、間違いありません。私たちはただ、その有名になるきっかけとなる作戦をこちらで考えて、それを『神託』として、神主さんに伝える、というのがいいかもしれません」
「なるほど」

 テレビマンらしいアイデアだ。それから二人で色々と話し合ったが、神社が有名になるためのアイデアは浮かばなかった。そこで、これは後日、源さんとおかみさんの四人で話し合うことになった。
「やはり、おかみさんのおまんじゅうがないといい考えが浮かびませんね」
 先生は帰り際にそう言って笑った。
「はい、まったくです」と僕も笑う。

「先生」と僕は呼び止めた。先生が振り返る。
「この作戦は、うまくいきますかね?」
「うまくいくと思いますよ。神主さんもきっと力になってくれるはずです。彼はあなたの、神主なのですから」
 先生は力強く頷いて、僕の居住地を後にした。
 

 次の日から、僕の記憶の捜査会議は、広告代理店の企画会議に様変わりした。今日は甘味処には「臨時休業」の張り紙を張って、お店の中で会議をする気合の入れようだった。僕たちは料理道具が並ぶ狭い厨房に四人で向かい合っていた。

「美味いまんじゅう屋を近くに建てるっていうのはどうだ? おかみさんの製法を伝えれば大行列間違いなし」と源さん。
「いいですね。おかみさんの製法は明治時代のものです。一周も二周も回って、現代では新しいかも」と先生が応援する。
「わたしの製法に特別なものなんかないわよ」
 おかみさんは口では謙遜しているが、内心まんざらでもなさそうだ。口元に笑みがこぼれている。

「戦争や飢饉になれば、神頼みする人が増えるんじゃない?」とおかみさん。
「いやいや、それは僕には荷が重すぎます」
 僕は慌てて否定する。

「日本一おっきな大仏さんを建てるのは?」と再び源さん。
「大仏はお寺です」と先生。

「お茶のおかわりを持ってきますね」
 おかみさんが湯気の立った湯呑みを四つ持ってきた。緑茶の香りが四人を包み込む。しばし一同は考え込んだ。

「神社をキラキラ光らせるっていうのは、どうでしょう?」と僕。

 僕の意見には三者三様の反応が返ってきた。
 源さんは「どういうこと?」と首を傾げ、おかみさんは「後光が射しているのね。ご利益ありそう」と呟いた。
「それはいいかもしれませんね。若者が写真を撮るために集まりそうです」
 先生は、これはいい、と何度も頷いた。突拍子もないアイデアだと思っていたので、先生の好反応に自信をつけて、さらに言った。

「クリスマスのイルミネーションみたいな感じで、神社を飾り付けするんです。これならあまり手もかからないし、神主さんも採用してくれそうだと思うんですけど」
 クリスマスはキリスト教だけど、と僕は小さな声で付け加える。
「現代の日本では、クリスマスと呼ばれる異国の習わしを取り入れています。その習わしでは、夜になると電飾という安全で小さな松明のようなもので、建物なんかを光らせて飾るんです」
 先生は源さんのために早口で解説した。源さんは「おう」と頷く。源さんはきっと正しくイメージできていないだろうと思ったが、僕も先生より上手に説明できる自信はなかったので黙っておいた。

「日本では宗教の違いにも寛容ですから、イルミネーションも面白がってくれるかもしれません。何より、若い人にも、マスコミにも響きそうですね」と先生は僕の意見を補強する。
「でも、『神託』は神主さんにとっては夢の中の出来事なのよね? 神社を光で飾る、なんて突拍子もない考えを神主さんがすぐに受け入れるかしら」

 おかみさんの指摘も、もっともだった。先生の説明では、『神託』は神主さんの夢の中でコンタクトを取ることになるらしい。変な夢だったなぁ、で終わらせられては、せっかくのこちらの努力が水の泡になってしまう。
「一番の問題はそこですね。では、一旦『光の神社』案で、神主さんを説得させるための材料を作っていきましょう」
 先生はそう言うと、どこからか持ってきた大きな紙を広げた。厨房の壁に貼り付ける。即席のホワイトボードのできあがりだ。先生は、紙の一番上に「光の神社(案)」と大きな文字で書いた。
「さあ、始めましょう」と先生は宣言した。
 

 おまんじゅうの山が三回入れ替わり、数えきれないほどのお茶がおかわりされた結果、先生のホワイトボードに、神主さんへのプレゼン案が完成した。

「できたぁ」と源さんが立ち上がって、大きく伸びをする。
「もう一度だけ、復習しましょう。みなさん、初めて聞いた気持ちで、おかしなところはないか、確認してくださいね」
 それを聞いて、しぶしぶ源さんは再び椅子に座った。おかみさんは、新しいお茶を淹れてくれた。

 先生はシャツの袖を腕まくりして、ホワイトボードの脇に立っていた。僕はテレビマンとして働いていた頃の先生に出会った気がした。きっと生前の先生の周りには、エナジードリンクの空き缶がそこら中に転がっていたに違いない。仕事が辛くて自ら命を絶った先生が、再び仕事に没頭している姿を見ると、胸が熱くなる。
 それに、もしかしたら、と僕は思った。この光景を見て、こんなことを考えるということは、僕にも目の前の先生と同じく、汗水たらして働いた経験があったのかもしれない。

「神様、聞いてますか?」
 僕は現実に引き戻された。
「あ、はい」

「実際に、これを神主さんに話すのは、神様なんですから、集中してくださいよ」
「はい、わかりました」
 僕は気を引き締めて、椅子に座りなおした。
「まずは神主さんと出会ったら、この状況をしっかりと伝えてください。『参拝客を増やすための方策を考えたので、聞いてほしい』と。ここは臨機応変に言うことは変えてもらって構いません。とにかく大切なのは、怪しまれたり、騒がれたりしないことです。基本的に『神託』は神主さんの夢の中にお邪魔する形ですが、覚醒されると強制終了してしまいます。絶対に起こさないように注意してください」

「はい」
 僕はここが最初の関門だ、と頭の中にメモした。僕たちの作戦では、神主さんにこの作戦の本当の目的は伏せておこうということになった。神様になった時に記憶が消されたので自分の死因について探っていると言っても、それを信じてもらえるまでに時間がかかりそうだし、何よりその説明だけで時間切れになってしまいそうだ。単純に参拝客を増やしたいと思っているということだけを伝えるつもりだった。

「次に、神社の現状の課題について説明します。神様のところに来たお願い事の一覧から割り出した、一か月あたりの平均参拝客の推測値と、参拝客一人あたりのお賽銭の平均単価を推定した結果を伝えて、そこに課題意識があると伝えます。その点については神主さんも共感してくれるでしょう」
「つまり、客もぜにも少ないってことだよな」と源さんがあけすけに言った。源さんの繊細さを欠く発言に、僕とおかみさんは非難の目を向けたが、当の本人は何食わぬ顔だ。

「そして、その課題を解決する我々のアイデアを提案します。イルミネーションによる光の神社案です。これならコストもかからず、メディアの受けもよさそうなので、かなりの効果が期待できます。プレゼンの最後には、我々で計算したメディア拡散による波及効果と経済効果も忘れずにお伝えください」

 先生は高揚しているからか、源さんのためにカタカナ語を言い換えるのも忘れて、まくし立てた。僕は、先生が代わりに神主さんにプレゼンしてくれればいいのに、と思った。先生ほど上手に伝えられる自信はなかった。僕はきっと、華々しいテレビ業界とは真逆の、地味な仕事をしていたに違いない。

 先生が復習を終えると、おかみさんは「素晴らしかったわ」と拍手をした。源さんは威勢よく「よっ日本一」と掛け声を飛ばした。

「これで大丈夫そうですね」と先生も頷く。
 僕は立ち上がって、三人に向き直り深々と、お辞儀をした。
「ありがとうございました。みなさんがこんなに協力してくれるなんて、なんと言い表せばいいのか、感謝の気持ちでいっぱいです。素晴らしい友人たちに恵まれて、僕は幸せです」
「お礼を言うのはまだ早いんじゃないか? この策がうまくいくと決まったわけじゃない」
 源さんはそう言って、鼻の下を指でこすった。源さんなりの照れ隠しだ。
「きっとうまくいきますよ」とおかみさんは落ち着いた声で言った。

「さあ、今日はこのあたりでお開きにしましょう」
 先生はポンと手を打って、そう宣言した。源さんは大欠伸をして、立ち上がった。僕も腰を上げる。無事にプレゼンを完成させた。やり切ったあとの高揚感があたりを支配していた。

 あとは僕の神主さんを味方につけるだけだ。


第6章に続く

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