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神様奇譚 第2章「神在月」

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第2章「神在月」

 それからしばらくは神社が見える『窓』と、外の世界が見える窓を交互に見ながら過ごした。完成した神社にはあまり参拝客の姿は見えなかったが、時折袴姿の男性が見えた。僕の神社を管理する神主さんなのだろう。箒を手にせっせと神社の周りを掃く姿が見えるたびに、感謝の念が込み上げた。

 窓の外の世界も見飽きなかった。外は日本史の教科書の挿絵を一枚の絵にしたような状態だった。腰に刀を差した人や烏帽子を被った人物がいるかと思えば、Tシャツに短パン姿も見える。通りを走る乗り物は、車、バイクから馬や籠までさまざまだった。

 外の通りを眺めていると、扉がノックされた。開けてみると、扉の前に小型犬が座っていた。じっとこちらを見つめている。

「どうしたんだい?」
しゃがんで声をかけても、犬はじっと動かない。よく見ると、首輪のところに紙が丸めてくくりつけてあった。恐る恐る手を伸ばしてみる。紙に触れても犬はじっとしている。噛みつくことはなさそうだ。そっと巻き紙を取り外す。犬は、紙が外れた途端、くるりと背を向けて去っていってしまった。

 ソファに腰掛け、巻き紙を開いてみる。参拝客の願い事だ。すると先ほどの犬が、遣いの者だったようだ。巫女が恭しく巻き物を掲げて持ってくる姿を想像していたので、なんだか少し残念に思った。あの法被の鉢巻は何かあれば遣いの者に尋ねろと言っていたが、あの犬は言葉を話せるのだろうか。

 何はともあれ、資料に目を落とす。総会の日程も近づいてきているはずだ。同じ名前がたくさん並んでいる。例のあの神主に違いない。願い事というより、日々の感謝の言葉が並んでいる。掃除の後に、毎回お参りしてくれているのだろう。神主以外にも、ちらほらと別の名前がある。中には、外国人のような名前も載っていた。決して多くはないが、ちゃんと参拝客はいるようだ。
 それから、遣いの犬が数日おきに資料を三度持ってきた。

 ソファに腰掛けてそれらの資料を繰り返し読んでいると、再び部屋の扉がノックされた。遣いの犬が見えたので、巻き紙を受け取ろうと手を伸ばした。

「お迎えにあがりました」
 犬が声を出した。僕は驚いて手を引っ込める。
「キミは話せるのか?」
「はい、私はあなた様の神社の狛犬の阿像です。資料をお持ちする担当は吽像でして、かの者は口を開きません。どうぞお許しください」
 狛犬はひょこりと頭を下げる。そして立ち上がって数歩先へ進んで振り返った。

「さ、参りましょう。出雲国いずものくにへ」
「待ってくれ、準備するから」
 僕は慌ててこれまでの資料の束と、クローゼットにあった紺色のジャケットを掴み、部屋を飛び出した。

 狛犬について歩いて行き、建物の外に出る。ビルの前に緑色のタクシーが待っていた。
「では私はここで。あとはよろしく頼みます」
 狛犬は、僕とタクシーの運転手に交互に頭を下げ、走って持ち場に戻った。僕は運転手に促され、タクシーに乗り込んだ。

「お客さん、出雲国まででしたよね?」
「はい、お願いします」と僕。
 タクシーは滑るように走り出した。車窓を流れる景色をゆっくり眺めたかったが、車は雲の中を進んでいるのか、窓からは白い霧の他は何も見えなかった。

 これから、神様の総会に行くんだと、胸が躍った。どんなことが待ち受けているのか、全く見当がつかなかった。部屋から持ち出した資料を握り締める。

「お客さん、出雲へは何をしに?」
 運転手がバックミラー越しに尋ねてくる。
「あ、総会に出席しなくちゃいけなくて」

 途端にブレーキが踏まれ、車が前につんのめった。僕は前の座席にしたたかに額をぶつけた。
「いたた」
 運転手はくるりと後部座席を振り返って言った。
「お客様は、もしかして神様でいらっしゃるのですか?」
「え? はい、そうみたいです。と言っても、最近神様になったばかりなので、あまり実感はないのですが」
「そうでしたか。大変失礼しました。私はこの世界に入って長いのですが、神様をお見かけしたことはなかったので、光栄です」

 運転席から手を伸ばして握手を求めてきた。僕は戸惑いながら応じる。運転手はニコニコしながら再び車を発進させた。僕は「この世界が長い」という運転手の言葉に、逆に興味が湧いた。

「こちらに来てからどのくらいになるのですか?」
「さあ、どうでしょうか。ここではあまり時間の感覚がわかりませんので、なんとも。でも、現世で言うところの半世紀近くでしょうか。あくまでも私の体感です。はっきりとしたことが申し上げられず、申し訳ございません」
「いえいえ。ではここに来てからずっとタクシーの運転手を?」
「いいえ。初めの頃はみなさんと同じように、見物して回りましたよ。好きだった坂本龍馬に会えるんじゃないかと、方々を探し回ったりしてね。しかしそれにも飽きて、少しの間は三途の川の『港』で係員をしたりもしました。ただ、早生した自分の息子と『港』で偶然顔を合わせた人の話を聞いたら怖くなりましてね。それで係員は辞めて、その次が運転手です。もともと生前は今と同じようにタクシーに乗っておりましたから、慣れたものです」

 運転手は笑った。なるほど、市井の人々はそうやってあの世での日々を過ごしているのか。もし、神様に選ばれなかったら、自分はこの世界で何をしていただろう。生前の仕事と同じものを選んでいただろうか。僕は生前、どんな仕事をしていただろう。僕は少しの間、あれこれと想像を巡らせた。

「着きましたよ」
 運転手の言葉で我に返った。車を降りてドアを開けて待ってくれている。
「ここではお代は要りません。どうぞ出雲に到着しましたよ」
 車を降り、タクシーを見送った。辺りを見渡していると、声が聞こえた。

「受付はこちらです。総会にご参加の方、受付はこちらです」
 声のする方に歩いていくと、受付カウンターに女性が二人見えた。すでに僕と同じくらいの年恰好の男性が一人受付をしていた。服装も僕と同じ現代風で、爽やかな水色のスーツを着ている。僕は空いている方の女性に声をかけた。

「総会に出席するのですが」
 隣に立つ水色スーツの男性が気になって仕方がない。ここに来ている人は、みんな神様のはずだ。だったら、この人も抽選で選ばれた神様なのだろうか。

「はい、番号が書かれたカードをご提示ください」
「カード?」
 僕は反射的にポケットを探ったが、そんなカードは受け取った覚えはない。
「ええっと……」

 ズボンやジャケットのポケットをまさぐりながらモゴモゴしていると、受付の女性がハッとしたように名簿に指を走らせた。
「あ、もしかして総会へは初めてのご参加ですか?」
「はい」
「ああ、失礼しました。それではこちらのカードがあなた様の番号です。首からかけてください」

 受け取ったカードには、83512という数字が書かれていた。僕はそれを受け取って首に下げる。なんだか社員証みたいだ。カードの右上には赤い丸のシールが貼ってあった。

 隣では受付が終わったらしく、水色スーツの男性は促されるままに先へと歩き出してしまった。残念だ。話しかけてみたかったのに。八万人の群衆の中では再び見つけ出せるか自信がなかった。

「そのカードは総会の終了後もご自身で管理されて、来年もご持参くださいね」と受付の女性が微笑んだ。
「それでは右手にまっすぐ進んだところが総会の会場ですので、お気をつけてお進みください」

 恭しいお辞儀に見送られながら、受付の女性が指し示した方向に歩いていく。少し歩くと水色のスーツの男性が立ち止まってこちらを見ていた。先ほど受付にいた男性だ。僕が会釈をすると、向こうも会釈してきた。

「こんにちは。初めてのご参加ですか?」
「ええ、そうです」と僕。
「その赤いシール、初めての参加者の印ですから。私のは、二年以上、十五年以下の新人の青です」

 水色スーツは自分の首にかかっていたカードを掲げる。たしかに青い丸のシールがついていた。僕は神様仲間の登場に安堵し、饒舌になった。

「ああ、よかった。僕一人で心細かったんです。ここに来てから戸惑うことばかりで。突然神様だ、神社だと詰め寄られて、神無月の総会に出ろと言われるし。そもそも自分が死んだこともまだ受け入れられないのに、記憶がなくて生前自分がどんな人間だったかもわからないなんて、どう気持ちを整理したらいいのか困り果てていたところです」

 水色スーツは僕が捲し立てるのを聞いて、静かに微笑んでいる。
「あの、もしかして、あなたも抽選で神様に選ばれたのですか?」と訊いてみた。
「抽選? ああ、抽選があると聞いたことがあったけど、あの噂は本当だったんだな。いえ、私は違いますよ。私は権利を購入しました」
 水色スーツは一歩前に出て、ぐいと僕の耳元に近寄った。
「悪魔からね」

 思いがけないセリフに思わずのけ反る。すると、水色スーツはクスクスと笑っている。
「冗談ですよ。さ、行きましょう。遅れてしまいます」
 僕は恐る恐る水色スーツの後ろについて行った。まだ心臓がドキドキしている気がする。あれ、僕に心臓ってあるんだっけ。まあ、とにかく驚いた。

 スタスタと歩く水色スーツの横顔を盗み見る。平然とした顔だ。やはり冗談なのだろう。この業界の新人イビリの常套手段なのかもしれない。

「ここが会場です。この辺りに座りましょうか」と水色スーツ。
 そこはとてつもなく広かった。八万人以上の神様が集うのだから、それもそのはずだ。椅子は楕円形に並んでいて、みな中央を向いている。一見すると、サッカー競技場のようだ。ただ、中央のサッカーコートにあたる部分はかなり狭く、中央だけ切り取れば裁判所のような雰囲気もあった。頭上をふわふわとした白い雲が覆って天井を作っていた。

 会場はすでにたくさんの神様でひしめき合っていた。皆さまざまな格好をしている。見回す限りでは、現代風の洋服を着ているのは僕らだけだ。色とりどりの装束に、目がチカチカした。僕の座っている席からは、中央にいる人物は米粒くらいの大きさにしか見えず、会場の反対側に至っては、動いている人を認識するので精一杯だった。これでどうやって会議を進めるのだろう。

「あそこに話す人が大写しになりますから、みなさん中央ではなくあっちを見ている方が多いですね」
 見上げると、天井の雲の中に一際派手な装束を身にまとった大男が映し出されていた。中央に座っている人物らしい。あれが大国主大神か。複数の映像が空中でさまざまな角度を向いており、どこにいても今誰が話しているかが見えるようになっていた。

「このイヤホンをつけて」
 隣の席から水色スーツが僕の肘のあたりを小突いた。黒い小さなイヤホンを差し出している。小声で説明してくれた。
「私たちの時代の言葉に自動翻訳されますから」
「ありがとうございます」
 僕も小声でお礼を言う。

 大国主大神が立ち上がり、ざわめきは水を打ったように静かになった。僕は椅子の上で背筋を伸ばした。
「また一年が経った。神々の衆は大変ご苦労であった。今年も日本国は息災であったようだ。謹んで感謝する」
 大国主大神の野太い声が会場に轟いた。鋭い眼光でぐるりと会場を見渡す。僕は上空の映像に釘付けだった。

「今年も多くの現世の人々が、我々の元を参拝し、数え切れぬほどの願い事を託した。無論、中には取るに足らぬ煩悩の類も多かろう。しかし、我々はその声々に、真摯に耳を傾けようじゃないか」

 大国主大神の演説に拍手が起こった。そこからは、平安貴族のような格好をした神様が進行役を務めた。数人の神様を指名し、指名された者は、その神社に預けられた民衆の願い事の中から選んだ一つを朗々と読み上げた。

「我の預かりし願い事は、『医大に合格できますように』であります。医大とは医術を学ぶ学び舎のことで、かの願いの主はそこで学ぶための通過儀礼で認められなければならないのです。どうか神々の衆のお力でこの願い事を叶えとう存じます」
 指名されたほうも平安の貴族のような格好だった。話す度に烏帽子の先が揺れる。

 最初の意見陳述のあとは、大国主大神と担当の神様の間で二、三問答が交わされた。
「なぜそれを選んだのだ?」
「かの願いの主は、病に倒れた父親のために医術を学びたいと願うも、通過儀礼において認められるだけの学力を未だ有しておらず。それ故、我が神社に参ったのであります。我としては、かの者のような願いを叶えられるからこそ、我が神社の『学問の神様』としての現世での名も、さらに確固たるものになりましょう」
「しかし、願い主が学び舎に認められるだけの力を有していないならば、我々の助けなしでは通過儀礼を通るまい。そのような者の手助けは、そなたの神社の評判を汚すことに繋がりはせぬか?」
「いえ、それは逆であります。願い主が学術を志すのは、病に倒れた父親のためで、決して名声を欲してのことではありません。かのような者が我々の助けを借りて願いを叶えしとあれば、我が神社の評判は上がりこそすれ、汚されることは一切ありません」 


「あの神社は、今年式年遷宮だったのですよ」
 神様同士の議論に聞き入っていた僕に、水色スーツが耳打ちをする。
「しきねん……何ですか、それ」と僕。
「ある一定の周期で神社の社殿を造り替えて、御神体を移すことです。二十年周期とか三十年周期とか。つまりそれは、神様界で今年功績をあげたということになるのです。この神在月の集会も、発言権のある者とそうでない者がいるというわけです」

 水色スーツは僕の手の中の資料を顎でしゃくった。僕の神社に寄せられた願い事の数々。そうか。法被の三人組の説明では、神様一人ひとりが自分の神社に預けられた願い事を持ち寄るという話だったので、均等に発言機会が与えられると想像していた。しかし実際には八万人の神様の中でこの集会で発言できる機会を得るのは限られた大物だけだということだ。僕のような平社員は、ただ黙って座っているだけ。一生懸命に資料に目を通し、大事にここまで握りしめてきたことが少し恥ずかしくなった。僕は資料をそっと折り畳んでジャケットの内ポケットに滑り込ませた。

「おっと。だからと言って卑屈になってはいけませんよ。私たちにも大事な役割がありますから」
 水色スーツは椅子の下からコードのついた丸い押しボタンを取り出した。
「投票の時間です」と水色スーツがウィンクした。

「さあ、神々の衆、かの願いについて是か非か問いかけたい」
 大国主大神が声を張り上げた。上空の映像を見ると、いつの間にか発言者の顔ではなく文字に切り替わっていた。

『医大に合格できますように』

議題となっているお願い事が、斜体の飾り文字で記されていた。提案した神様の顔も右下に小さくワイプで映っている。急にお昼の情報番組のような演出になったことに戸惑いを覚えつつ、僕も水色スーツに倣って椅子の下から投票ボタンを取り出す。

「では、こちらの願いを是とする者は、その意を表明されたし」
 僕は親指でボタンを押した。水色スーツを横目で見ると、左手でボタンのところを柔らかく覆っている。なるほど。そういうマナーなのか。僕は慌てて自分の親指を左手で隠す。上空の映像の上半分には0が6つ並んでいる。下半分の左側には先ほどのお願い事の文字、右下には相変わらず担当の神様の顔がワイプで出ている。

「結果はいかに」

 大国主大神の声が轟くと、数字が動き出した。勢いよく増えていき、すぐに1万に到達した。
「5万票で可決です」
 水色スーツが言った。目は増えていく数字に釘付けのままだ。3万になったあたりから数字が増えるスピードが落ちてきた。バラエティ番組のような演出に、僕は笑い出しそうになったが、会場の空気は真剣そのものだ。担当の神様は顔の前で両手を組んでいた。一体、誰に祈っているのか。自分自身が神様だというのに。

 数字はすでに4万を超えていた。観衆は固唾を飲んで見守っている。なおもゆっくりと数字は増え、万の位が「5」に切り替わった。

「おめでとう」

 歓声と拍手が鳴る中、大国主大神の声が響いた。担当の神様は今にも泣き出さんばかりに顔を歪ませて、喜びを噛み締めている。

「いやぁ、ハラハラさせられましたね」
 水色スーツは興奮した声で言った。
「本当ですね。まったく、すごい盛り上がりです」
 僕は初めての神様の総会の雰囲気に圧倒されていた。会場の中央では、たったいま逆転満塁ホームランを打ったかのような騒ぎになっている。
「この会、なかなか面白いでしょう?」
 水色スーツは僕にニヤリと笑った。

 それからさらに二人の神様が議題を持ち出し、その度に緊迫した投票が行われた。二人目のお願い事は否決され、三人目では一人目を上回る得票数で可決された。大国主大神の最後の挨拶のあと、総会はお開きになった。初めての神様の総会の緊張と、投票のドキドキハラハラのせいで、僕はどっと疲れていた。

 水色スーツとは会場の出口の手前で別れた。どうやら知り合いの神様を見かけたらしい。「私はこれで」と言い残して、人混みの中に消えた。僕は重たい足を引きずりながら、人波に押されて会場の外に出た。ここからどうやって帰るんだっけと考えた途端、目の前に見慣れた狛犬が現れた。
「お迎えにあがりました」
 行きに乗ったタクシーに、今度は狛犬と一緒に乗り込んだ。総会を無事に乗り越えた安堵からか、僕は車内で眠ってしまった。
「着きましたよ」
 狛犬の声で目を覚ますと、いつもの居住地が見えた。なんだかすべてが夢だったような気もする。
「総会、お疲れ様でした。次は一年後です」

 狛犬は頭を下げて、走り去った。僕は居住地に戻り、折り畳んだお願い事の資料をジャケットのポケットから取り出した。机の引き出しに丁寧に仕舞う。無事に一回目の総会を終えることができた。次は一年後。僕の提示した願い事が議題に上がるのは一体いつになるんだろうと考えた。僕は願い事をしてくれた人たちに報いることができるだろうか。
 そもそも、あの水色スーツを着た男の言うことをすべて信じてもいいのだろうか。そういえば、あの人の名前を訊きそびれた。来年あった時には名前を尋ねてみよう、と心に決め、『窓』を一瞥してからベッドに入った。長い一日だった。

 神在月のお務めを終え、やっと神様の一員になれた気がした。


第3章に続く

#創作大賞2024 #ファンタジー小説部門


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