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休んだ日の大事件|ショートエッセイ

子どもの頃、体が弱かった。
体が弱かった、と書くとなんだか高尚な感じがするが、ただ単に風邪をひきやすい子どもだった。

学校を休むこともしばしばで、2、3日休んで、治りかけの頃に昼間のテレビを眺める背徳感が好きだった。当時は、マイケル・ジャクソンのゴシップなニュースをお昼のワイドショーが流していた。

学校を休んだ時に、いつも気がかりなことがあった。
幸いにも学校の勉強が遅れることの不安は特になく、食いしん坊でもなかったので給食も特に気にならなかった。私の分のゼリーを巡ってじゃんけん大会が繰り広げられようと、別に構わない。
ただ唯一気になっていたのは、何か面白い事件が起きなかったか、である。

学校に復帰してまず初めに「何か面白いことあった?」と友達に尋ねる。
すると、友達は嬉々として「教室にデカい蜂が入ってきて、それを〇〇くんが捕まえた」とか、そういう教室で起こった事件を教えてくれる。私はそれを聞いて「えー、見たかった」と悔しがるのである。

中でも「昨日ね、〇〇くんと××くんがケンカしたんだよ」と聞くと、一世一代の出来事を見逃した気がして、とても残念な気持ちになった。別にその場にいても、特に止めに入るわけでもなく、むしろ飛び火しないように早々に避難するはずなのだが、なんとなく自分が欠席の時にそんな事件が起こっていたというのが悔しくてたまらないのだ。

我ながらなんとも下世話な性質である。


なんでそんなことを書いたかというと、最近になってそれと同じ気分を味わったからだ。

今の職場はシフト制で、同じ部署でも休みがバラバラである。
私が休日シフトで、他の大半の人が出勤であった日に、何やら事件が起こったらしい。

発端は部署間の予算問題である。突発的な経費をどこの予算として計上するかで揉めた。「そっちで計上しろ」「こっちじゃない」のすったもんだがあったり、調整役だった若手スタッフが板挟みになったりと、その日はチャットと電話が飛び交ったそうだ。

しかし私は休日だった。
私が出勤した頃には、一時は頭に血が上っていた部長もクールダウンし、部署間で話はまとまっていた。この事件、全くの蚊帳の外だった。

なんと、悔しい。損した気分だ。
実際にその場にいたら、飛んでくる火の粉を消したり、他部署の人と気まずい思いをしたりと大変だったのだろうとは思う。でも…見たかった、と思ってしまう自分がいる。

小学生の頃に「昨日クラスで取っ組み合いがあった」と聞いて抱いていた気分を思い出し、あぁ人間は変わらないんだなと痛感する。

歳を重ねればもっと大人になっていくと思っていたのに、変なところの性質はずっと変わらない。こんな下世話な気持ちは、そっと胸の内にしまっておこう。

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