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神様奇譚 第4章「先生と呼ばれた男」

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第4章「先生と呼ばれた男」

 あの初めての「あの世ぶらり散歩」のあと、僕はしばらくいろいろな場所を探検していた。今日の散歩では久しぶりに、あの甘味処の前を通ってみた。店先にいたおかみさんがこちらに手を振っている。

「いらっしゃい、神様。ちょうどいいところにいらした」
「こんにちは、おかみさん」
 僕は目の前を過ぎる二輪馬車をやり過ごしてから、通りを渡りおかみさんに近づいた。
「あんまり大きな声で、僕のことを『神様』と呼ばないでくださいよ」
 僕の苦情に、おかみさんはいたずらっぽく笑うだけだった。
「そんなことより、もうすぐ先生がいらっしゃいますよ」
 おかみさんが通りの左右に目を走らせる。僕もつられて首を伸ばすと、遠くに見覚えのある黄色いアロハシャツが見えた。

「あ、いたいた。源さーん!」
 おかみさんは源さんに向かって大きく手を振る。源さんは一人ではなかった。白いワイシャツを着た男性を連れている。
「やっぱり、『先生』も一緒ね」とおかみさん。

 近づいてきた「先生」と呼ばれた男の顔を見て、僕は息をのんだ。まさか。あれはあの神在月の総会にいた水色スーツだ。今日は、水色のスーツは着ていないけど。

「ちょうど神様も一緒か。よかった。紹介するよ。このしとが俺らの先生だ」
 源さんが紹介した。僕は水色スーツと目が合った。彼は少し微笑みながら、僕に手を差し出した。

初めまして・・・・・。源さんからお話は伺っていますよ」

 僕がおずおずと握手に応じると、水色スーツは手に力を入れてぐいと僕を引き寄せた。
「話を合わせて」
 他の二人には聞こえない声で、僕の耳元で囁いた。同時に左手で僕の肩のあたりを叩き、素早く離れた。

「は、初めまして、先生・・
 

 僕と源さんと、おかみさん、そして先生の四人で、甘味処の店先のベンチに腰かけた。四人の真ん中にはいつものおまんじゅうの山が鎮座していた。
「――というわけで、神様は自分がどうやって死んだのか、知りたいわけ。先生も力になってあげてよ」
 なぜか場を仕切っている源さんが、大雑把に事の経緯を説明した。僕はチラリと先生の顔色を伺う。先生は顎に手を当てて、うーんと考え込んでいた。

 この人は確かに、あの出雲での総会で会った水色スーツの男だ。僕に話を合わせろと言ったぐらいだから、向こうも僕のことを覚えているに違いない。つまり、先生も神様だ。しかし、先日の僕が神様だと知った時の驚き様から見ると、源さんやおかみさんは、この人が神様だということを知らないに違いない。どうして二人に黙っているのだろう。

「あの、失礼かもしれませんが、先生もご自身がどうして死んだのか、覚えていますか?」
僕は、意地悪な質問をしてみた。先生も神様なら、生前の記憶は同じ処理をされているはずだ。きっと答えられないだろう。
 先生は僕の顔をじっと見た。

「はい。私の場合は自殺です」
「あら」とおかみさんが声を出した。
「知らなかったわ」
「聞かれませんでしたから」と先生はおかみさんに微笑んだ。
「源さんから『何年に死んだのか』とは聞かれましたけど、なぜ死んだかは聞かれませんでした。自分から進んで言うことでもありませんので」
「すみません」と僕は目を伏せた。
「いえいえ、ご自身のことがわからなければ、気になるのは当然です。お気になさらず」

 先生は、今は楽しいですよ、と言って笑った。僕はどうして彼の記憶が消えていないのか、不思議に思った。しかし、源さんやおかみさんのいる前では突っ込んで尋ねるわけにもいかない。


「で、先生、神様はどうやったら思い出せると思う?」
 源さんが前のめりになって、先生の顔を覗き込む。
「いやぁ、すぐには答え出ないなぁ。考えてみるから、少し時間をください」
「わかった」と源さん。

「今わかるのは、神様が甘い物好きだったということだけですね」
 先生は僕が手にしたおまんじゅうを指差して、冗談めかして言った。確かに、源さんや先生の話を聞きながら、僕は休まずおまんじゅうを口に運び続けていた。先生の意見に、源さんもおかみさんも声を上げて笑った。
 源さんとおかみさんが同時に立ち上がり、僕の記憶の捜査会議はお開きになった。

「神様」と先生が声をかけてきた。
 僕は振り返った。自分も神様のくせに、どうしてこの人まで僕のことを神様と呼ぶのだろう。

「少し、二人で話しませんか。現代人同士で」
「もちろん、いいですよ」と僕は言った。
 僕もこの男に訊きたいことは山ほどあった。おかみさんが、僕たちのことを穏やかな目で見つめていた。


 先生は「静かな話せる場所を知っていますので」と言ったきり、沈黙したままスタスタと歩いていた。目的地ははっきりとあるようだ。僕はその少し後ろを黙ってついていく。往来から人影が途絶え始め、やがて大きな川に出た。僕の知らない場所だった。見渡す限り、僕たちの他に人の姿はなかった。

「ここは三途の川なんですよ」
 ようやく立ち止まった先生は、口を開いた。
「ただしこの向こうは現世ではない。噂によると、向こう岸は地獄だそうです。だから、ここにはあまり人が寄りつかない。内緒話をするにはもってこいです」

 先生は川の土手に手足を投げ出して座った。僕も少し離れて隣に腰を下ろす。
「あの、あなたは……」
「出雲の総会で会った。その通りですよ。お久しぶりですね。源さんから話を聞いた時、あなたではないかとピンときましたけどね」

「どうして、あの二人に歴史を教えてるんです?」
 この男に最初に訊くべき質問は絶対にこれではないのに、なぜか口をついて出てきたのは、この疑問だった。

「そうですね。簡単に言ってしまえば、暇だからですね。ここでは暇を持て余して労働を始める人が多いけど、我々にはもう仕事がある。だから、あの物好きな二人に歴史の授業をしているんです。正確に言うと、彼らにとっては未来の出来事ですが。あの二人は熱心な生徒ですよ。教え甲斐もある」
 先生は川の水面に目を向けたまま、そう話した。僕は先生のことがあまり好きになれない気がした。でも、この人しか、頼れる人はいない。

「先ほど、ご自身の死因は自殺だとおっしゃった。それは、死んだ時の記憶があるということですか? 僕は神様になった時に、生前の自分の体験に関する記憶は消されました」
 核心をついた質問だった。自然と体が前のめりになる。
「私も同じですよ」
「え?」
 先生からは意外な答えが返ってきた。先生は水面から目を離し、僕の目を真っ直ぐに見た。僕は固唾を飲んで続きを待った。

「少し長い話になります。私は生前、テレビ局で働いていました。ニュース番組やドキュメンタリーを作っていました。ああ、それで私は近現代の歴史についてちょっとだけ詳しいのです。この時の知識は『世界に関する情報』に分類されますから、消されることもありません。
——まあ、それはともかく。テレビの仕事は激務だった。そんな中、いつものように深夜に帰る途中、地下鉄の駅で線路に降りようとしている人を見かけたんです。身体が咄嗟に動きました。私も線路に飛び降り、周囲の人の助けも借りてその人をホームに引き上げた。迫ってくる電車のヘッドライト。次の瞬間、世界は真っ白になりました」

「では、自殺ではなく、事故だった?」
「私は英雄になった」
 先生は僕の質問には答えずに、話を続けた。目線は再び、水面を向いている。川にはさざ波が立っていた。

「そのあとは、いかにもお仲間のテレビマンがやりそうなことです。テレビ局の一角に、私を祀る小さな神社ができた。神社と言っても、神棚と言っていいくらいの小さなものです。赤の他人を救って、自ら犠牲になったヒーローを祀る神社です。それで私は神様になった」
 先生は一呼吸置いた。僕は黙っていた。というより、口を挟む勇気がなかった。先生の声に冷たい響きを感じ取ったからだ。

「その時に、生前の体験に基づく記憶はなくなりました。それは先ほど言った通りです。ではなぜ、私が今言ったことを知っているのか、不思議に思われているでしょうね。実は覚えているわけではないのです。全部、神社に寄せられた『願い事』で知りました」

 先生は土手の芝生に寝っ転がった。腕を左右に伸ばし、大の字になっている。その目は真っ直ぐに空を見つめていた。
「私のは神社と言っても名ばかりですから。みんな願い事ではなく、好き勝手なことを神社の前で手を合わせて唱えます。こっちには全部筒抜けだっていうのに。それで自己犠牲がすごいとか、そんな感想じみたことをたくさんもらったので、なんとなく事の次第が推測できたというわけです。もちろん、全部私のただの推測です。そして、これは重要なことですが、こちらに来てから自分の過去について知ったり考えたりすることは、神様界のルール違反ではないようです」
 考える時間だけはたっぷりありますからね、と先生は笑った。

「では、さっきの話は全て想像ということですか? 『迫りくる電車のヘッドライト』とか、僕にも映像が見えるようでした」
 先生は僕の質問に声を上げて笑った。
「ははは。私はテレビマンですよ。台本や映像を作るプロだ。あなたが私の話で映像が見えるようだったとおっしゃるなら、私はかなり腕の立つテレビマンだったということでしょう。どうやら、生前の記憶はなくても、考え方や性格は引き継がれるようですからね。そしてその考え方や性格は、往々にして経験から生まれるものです」
「すごい、お話ですね」
 僕は先生に倣って草の上に大の字になった。なんとなく、そうしたい気分だった。風の音を聞きながら、深呼吸する。

「というのは、表のお話です」

 僕は驚いて、起き上がる。先生の顔には、なんと笑みがあった。背筋がゾッとするような冷たい笑いだった。
「裏の話はこうです。私は仕事に疲れていた。とにかく逃げ出したかった。電車が近づいてきた時、一歩出ればここから逃げ出せることに気づいたんです。それで一歩踏み出そうとした途端、先を越した奴がいた。その男は私より先に線路に降りた。それで私は悔しくなったんです。だからそいつの体を引っ張り上げて命を救った。そして自分はわざと線路に残った。間に合わなかったフリをしたんです」
 僕は殴られたような衝撃を覚え、声が出せなかった。

「またこれをなんで知っているのかと疑問に思われるでしょう。ご丁寧に、私が命を救った男がお参りに来たんですよ。私の神社に。もしかしたら、何かの番組の企画とかだったのかもしれません。テレビは、そういう悪趣味なことをしますから。実際の彼の態度はどうあれ、心の内では私に対する恨みつらみでいっぱいでしたよ。『俺はお前を知っているぞ。あの時、俺と同じ暗い目をした奴がいると思っていたんだ。お前も死のうとしたんだろう? でも俺が先に行った。だからお前は俺の自殺を邪魔した。結果、お前は英雄で、俺は惨めな自殺志願者だ。どうしてくれる』とね」

 先生はフッと笑った。僕がこれまで聞いたことのない悲しい笑いだった。その表情は仮面のようだった。

「その男の言うことはおそらく真実でしょう。わざわざテレビ局の中にある小さな神社に、作り話をしに来る人なんて、そうはいない。その他にも、『お前は最近死んだ目をしていた。本当は自殺ではないか?』と言う同僚なんかもいました。まぁ、なので、真相はそういうことなんだろうなって思っています。だから、私は自分の死の顛末を知っているというわけです。ただし、これは私が推測した、というだけで、本当の意味で思い出したわけではない。記憶は消えたままです」


 僕はしばらく沈黙していた。三途の川の土手の草が、風にたなびく音だけが耳に響いた。
「なんと言えばいいのかわからないんですけど——」
僕は恐る恐る口を開いた。今の正直な気持ちだった。
「無理に何かを言おうとしなくていいですよ」
 先生は身体を起こし、背中についた草を軽く払っている。

「——だから、悪魔って言ったんですか?」
 先生はきょとんとした顔で僕を見る。
「総会で、僕にそう言ったでしょう。悪魔から権利を買ったんだって。その時は『冗談だ』と言っていましたけど」
「ああ、あれは本当に冗談ですよ。新人をからかいたくなっただけです。まぁ、でも、確かに、悪魔に魂を売ったようなものだとも言える」
 先生は笑った。先生は人間らしい表情に戻っていた。僕はひどいなぁ、と一緒に笑った。二人の周りの気温が少しだけ上がった気がした。

「さて、私の教訓から言えることは、二つです。一つは、お参りに来た人物が神社の前で心の中で言ったことは、それがたとえお願い事でなくても、神様には筒抜けだということ。そして二つ目は、生前の自分を知っている人物が自分の神社にお参りに来れば、何かヒントとなることを言ってくれるかもしれないということです」
 先生は真剣な顔で言った。
「つまり、あなたが自分の死の真相を知るためには、生前の神様を知っている人物が、神社にお参りに来なければいけません。そしてそこでお参りしながら、あなたの死についていろいろと語ってもらう。『なんで病気だったって教えてくれなかったんだ』とかなんとかね。それ以外の方法は、残念ながら思いつかないですね」

「なるほど。でもそれは難しそうです」と僕。
「どうして?」
「僕はあなたと違って、抽選で選ばれた神様です。その場合、神社は生前の僕とは縁もゆかりもない、ランダムな場所に建てられるそうです。こぢんまりとした神社ですし、そこに祀られているのが僕だと、僕の知人が知ることはまずないと思うんです」
 それを聞いて、先生は考え込んだ。どうやら僕の記憶の捜査に、本気で手を貸してくれる気らしい。もはや「記憶」というより「死の真相」の捜査になってしまったが、自分の死の真相を探る、なんて怖くて受け入れられないので、「記憶の捜査」のままでいい。

「そうだなぁ。それは確かに一筋縄では行かなそうですね。また考えてみることにします。今日はもう遅いので、帰りましょうか。変な話を聞いて疲れたでしょう」
 僕は同意した。正直に言うと、まだ先生の話を消化しきれていなかった。


 来た道を戻りながら、僕は先生に声をかけた。
「なぜ、源さんたちに、神様であることを黙っているのですか?」
「別に、わざと嘘をついているわけではありません。聞かれていないから、話していないだけです。でも、源さんに何年に死んだか訊かれた時には、適当な数字を答えました。もちろんこれまで得た情報から推測して。おそらく一、二年のずれはありますが、源さんは百数十年もこっちにいるので、誤差の範囲でしょう」
「なるほど」

「それに二人にとって、私は『先生』なので、それでいいのです。役割は一つでいい。神様の座はあなたに譲りますよ。それに、あなたは神様らしくなくて、面白いです」
 先生は笑う。僕の顔を見て、慌てて付け加えた。
「あ、でも、もしあなたがあの二人に言いたければ、それは止めませんよ。もちろん、嘘をついて言い逃れたりもしません」

 僕はあの二人に先生の正体に話したらどうなるかと想像してみた。途端に頭の中で二人が騒ぎ出す。僕は苦笑いした。
「まあ、今はやめておきます」
 先生も同じ場面を想像したのか、いたずらっぽく笑って頷いた。
「でも、時が来たら、暴露しますからね」
 覚えていてくださいよ、と僕は念を押す。気がつけば、僕の居住地の近くまで戻ってきていた。
 

 一人になって、先生の話を反芻してみる。すごい人生だ。
「僕のは、きっと平凡だ」
 自分自身に言い聞かせるように、声に出して言った。

 先生と呼ばれている男のようなドラマチックな人生は、僕には似合わない。


第5章に続く

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