俳句甲子園を観に大街道へ
2024年8月24日。今年も俳句甲子園を観戦するために大街道まで出かけた。
8月も末だというのに(暦の上では秋。俳句の世界でも秋)やたらと暑かった。
暑さの売り尽くしセールなのかと悪態をつきたくなるような、やけっぱちな暑さである。
北海道から来た選手たちのことを心配していたら、沖縄から来た選手たちが「松山は沖縄より暑くて〜」と挨拶したので心の中で「ぎゃふん」と鳴いた。(押すと鳴くぬいぐるみのイメージでお願いします。)
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ところで、俳句甲子園というのは通称で、正式名称は「全国高等学校俳句選手権大会」という。
大街道(おおかいどう)というのは、松山市の中心部にあるアーケード街で、信号を挟んで銀天街(ぎんてんがい)というアーケード街に続いている。
子どもの頃から慣れ親しんでいるので深く考えたことがなかったけれど、どちらもイキっている漢字感じが……否めない。(地方都市あるある。)
この大街道で、毎年、俳句甲子園の全国大会の予選リーグと予選トーナメントが開催されている。
アーケード街なので屋根(?)はあるが、オープンスペースである。
つまり、空調はない。暑い。
三越前の第1会場だけが、自動ドアが開くたびに三越店内から流れてくる冷気でまだらに涼しいが、第2会場から第8会場は、基本的にどこも暑い。(ドラッグストアの前などは少しマシ)
ちなみに決勝リーグと決勝戦は、予選の翌日に、松山市総合コミュニティセンター(通称コミセン)で行われる。
こちらはエアコン効いているので安心してほしい。(ただし座席は硬くて腰に悪いです。)
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俳句甲子園のルールはこちら↓↓↓
https://haikukoushien.com/2024/wp-content/uploads/2019/12/practice.pdf
簡潔に言うと、
チーム戦で、
事前に提出した俳句を鑑賞(ディベート形式)しあって、
作品点と鑑賞点の合計で勝敗が決まる、というルールである。
これではさすがに簡単すぎるので、少し補足すると……。
事前に投句する俳句には兼題がある。
今年度の大会だと
地方大会が「長閑(のどか)」「蝌蚪(かと)」「薊(あざみ)」「風車(かざぐるま)」(すべて夏の季語)
全国大会が「ハンカチ」「翡翠(かわせみ)」「メロン」「暑し」「稲妻」「馬肥ゆ」「鶏頭(けいとう)」(すべて秋の季語)
敗者復活戦が「休暇明け」(秋の季語)
そして、決勝戦のみ「栄」という文字を詠み込むというお題だった。
ちなみに俳句をやらないオット(理系)は、地方予選の兼題について「風車以外の漢字が読めん!」「蝌蚪って何?」「休暇明けが季語?」という反応だった。
蝌蚪はおたまじゃくしのことである。
そう答えるとオットは「それは……俳句をやっている人には常識なの?」と慄いていた。
そう。俳句を始めると漢字の読みにそこそこ強くなるし、ちょっとした教養が身につくのだ。
鑑賞とは?
俳句甲子園の鑑賞はディベート形式である。
攻撃(?)側は相手の句について
「この句は、この季語でなくてもいいのではないか?(これを「季語が動く」と言います。そう、季語は油断すると動くのです。頼むからじっとしていてほしい。)」とか
「詩というより散文的ではないか?(説明 or 報告じゃないですか?)」とか
「(俳句が描こうとしている)景が見えてこない(ちょっと何が言いたいのか伝わりません)」など、オブラートに包んだ文学的な批評を繰り出す。
それに対して守る側は、この季語でなければならない理由や、散文的ではないとする根拠や、表現の意図を説明することで(つまり相手の指摘を使って)、自分たちの句の良さをアピールする。
審査員長がすごい
作品点と鑑賞点を採点するのは、13人の審査員長(俳句をやらない人にはピンとこないかもしれないけれど、錚々たるメンバーです。)と審査員。(各地で活躍している俳人。これまた俳句をやっている人ならその名前を見たり聞いたりしたことがある人たち)。
俳句甲子園では対戦ごとに審査員の講評を聞くことができるのだけれど、これが俳句をやっている私にとって学ぶところが多くて面白い。
毎年いそいそと出かけて観戦している理由のひとつが、普段は雲の上人のような存在の審査員長(しかも13人も)の講評を目の前で聞けることである。気分は夏フェス。俳句的には秋だけど。
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他にも楽しみにしている理由はいくつかあって、例えば全国から観戦にやってくる句友さんたちと会えることなんかも含まれるのだけれど、なにせ俳句の沼にハマっている人間ばかりなので、挨拶もそこそこに各自が観たい対戦を観るために別々の会場に分散して、行ったり来たりしているのが通常運転である。
回遊する句友さんを見つけるのは意外と難しい。どちらも大街道にいながら、ニアミスで会えないままの人も珍しくない。
そうかと思うと、選手のお母さんや各学校のOBの方と会話が盛り上がることもある。
ある選手のお母さんは「部活で俳句をやっていると言われても何をやっているのか全然分からなくて。学校から帰ってきても、通話でまだ話し合っていて。そんなに?と本当にいろいろと謎だったんですけど、こんなすごいことをやっていたんですね……」としみじみおっしゃっていて、同じ年頃の子を持つ親としてもらい泣きしそうだった。
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もちろん、選手の俳句とディベートが楽しみなのは言うまでもない。
新しい才能に出会える瞬間はいつも心が震える。
私はこの2年ほど、同じ会場で定点観測をすることを好んでいるのだけれど、それは選手たちの1試合ごとの成長を実感できるから。
どの選手も見ているこちらが襟を正したくなるくらい真剣だ。
無理もない。俳句は一生の趣味になりうるけれど、俳句甲子園に出場できるのは高校生活の3年間だけ。
しかも、今年のメンバーで出場できるのは今年だけだ。
その現実を前にすると、地元の学校や知っている選手がいる学校を応援しつつも、対戦相手のことも応援しないというのが難しい。
もはや応援するというより、どの学校のことも見守っている感じだ。
この感覚はニュージーランドにいた時にYouTubeでコミセンでの決勝を観戦していた時にはなかった。
そもそも大街道で行われる予選のYouTube配信はない。
現場に行って観戦するしかない。
そこで初めて分かる感覚があった。
コミセンの試合は去年初めて会場で観戦したのだけれど、その時もやっぱり、その場に立ち会うことでしか伝わらないことがあるんだなと実感した。
興味関心がある人はぜひ観に来てほしいな、と思う。
ちなみに今年の決勝は、諸事情で自宅からYouTubeで観戦した。
地元だから観に行きやすいのだけれど、地元ゆえに日常生活もあって、なかなか2日連続で朝から晩まで俳句甲子園三昧とはいかないのがもどかしいところだ。
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最後に、過去の俳句甲子園の最優秀句の中から私の好きな作品をいくつか紹介したいと思います。
カンバスの余白八月十五日 神野 紗希(第4回 2001年)
夕立の一粒源氏物語 佐藤 文香(第5回 2002年)
月眩しプールの底に触れてきて 佐藤 雄志(第15回 2012年)
旅いつも雲に抜かれて大花野 岩田 奎(第20回 2017年)
↓他の作品もこちらで見られます。
https://haikukoushien.com/4996
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