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17 最終章 潮騒

数日間、僕は、自分自身と向き合いこれからの人生について考え、二度と会うことはないと思っていた由梨に会いに行くことを決めた。最後に会った日の事を謝ろうと思ったからだ。例え、彼女が僕を許さなかったとしても、それは、僕が先へ進むために必要な通過儀礼のような気がしていた。


******

(水中を)イルカがはしゃぐように行き交う、チューブ状の通路を抜けると、長いスロープがあり、その先には色とりどりの熱帯魚やエイ、サメがいるフォトジェニックな世界が広がっていた。夏休みということもあり、親子連れに若いカップル、近年増加しているお一人様まで、藤島水族館はかなりの混み具合だった。

僕は、海の生き物や魅力的なアトラクションには目もくれず、館内を足早に周りながら、彼女を探した。傍から見ていると、男が独り、何がしたくて(水族館に)来ているのか不思議に思ったことだろう。

一時間程経った頃、僕が謝ることで、彼女の傷ついた心は癒せるのだろうか。僕の謝りたいという思いは、僕のエゴであって、彼女にとっては迷惑でしかないのかもしれない――そんな風に思いを巡らせていた時、藤島水族館のユニフォームを着た男性とすれ違った。

思わず駆け寄り、「あの、僕は藤野といいます。こちらで働いている川島由梨さんにお会いしたいのですが……ご結婚されて苗字は変わっているかもしれません。」そう言うと、男性は一瞬怪訝な表情を見せたが、すぐに警戒を解いた。

「藤野……さん?ああ!まりかちゃんの……いつだったか<-on the shore->でお会いした方ですよね。川島さんなら今日はお休みを取られていますよ。」

そう言われて、あの日由梨と一緒にいた男性だということに気づいた。

「そうですか。」

「川島さん、結婚されるんですか?」男性は不思議そうに訊く。

「いや、そんな噂を聞いたような……」

「川島さんが結婚するなんて初耳だったから、びっくりしました。でも、昨日ソワソワしていた川島さんを、今日はデートかもね?なんて、みんなが噂していたので、そんな日も近いかもしれませんね。」

「そう……ですね。」

訊きたいことは沢山あったが、休みと聞いて落胆しているところに、彼女がまだ結婚していないことを受け入れるのに時間が掛かり、僕が混乱していることに気づかれないようにするのが精一杯だった。

「今日はお一人なんですね?」辺りを見渡して男性は言った。
「僕も休みの日に、一人で各地の水族館を巡ったりします。一人でも楽しめるのが水族館の良い所ですよね。夏休みで、新しいイベントも始まったので楽しんで行ってください。」

「ありがとう。」

******

しばらくは放心状態だった。外に出ると、痛みを感じるほどの光の矢が、屋内から出たばかりの目に差し込んでくる。水族館の中に入るまでは鉛色をしていたはずの空に太陽が輝いていた。

目的を失い、当てもなく歩いていると、いつの間にか知らない道を彷徨っていたようだ。そのまましばらく進むと、温かみのある木とガラスでできた外観が特徴の店が、閑静な住宅街の中にしっくり馴染むように佇んでいるのが見えた。店の前まで行って、ガラス越しに中を覗いてみると花屋のようだ。立ち去ろうとすると、中から店の主人らしき男性が出て来た。

「こんにちは。暑いでしょう。中で涼んで行きませんか?」

「いや、僕は、ちょっと道に迷ってしまっただけで……」

「この辺りの道は入り組んでいて、僕もまだ道に迷ったりします。話しているうちに、行く道を思い出すかもしれませんよ。」

遠くでゴロゴロと空が鳴り出した。先程までの攻撃的な陽射しは、あっという間に厚い雲に遮られ、ぽつりぽつりと雨が降り出した。

「少し雨宿りをして行きませんか?」

******

僕は花屋には縁がない、というか、昔から敷居が高いイメージを勝手に持っていた。僕が気後れしていると、「日中は暑くてお客様が少ないんです。話し相手になってもらえると嬉しいです。」店の主人はそう言った。
その誠実そうな笑顔に誘われて店内に入ると、炎天下の中を歩き続けて体力を奪われていたのか、急に体が重くなるのを感じた。疲れていた体に空調が効いた店内は思っていた以上に心地良く、店の奥にあるカウンター席で少し休ませてもらうことにした。

「花屋って、入り辛くないですか?」
店の主人が僕に訊いた。

その質問に素直に答えて良いのか迷い、曖昧な返事をしていた。

「僕は入り辛かったんですよね。学生の頃、好きだった女の子に花をプレゼントしたくて、花屋まで行ったものの、店の前を行ったり来たりするだけで帰ってしまうことが何度もありました。勇気を出して花屋の中に入っても、雰囲気に呑まれて何も買えずに店を出てきてしまったり……」

「僕は、そもそも女の子に花をプレゼントするなんて発想がなかったです。その気持ちだけでもお相手の方は嬉しかったと思います。その後、女の子とはどうなったんですか?」

「実は、その時の女の子は、今は僕の妻です。彼女は1つ上の先輩だったんですけど、彼女が卒業する日、このまま会えなくなってしまうのが悲しくて、最後のチャンスと、勇気を振り絞って買った花をプレゼントしてからの付き合いです。」

「良かったじゃないですか。そのことがきっかけで花屋を?」

「はい。大学時代に花屋になるのが夢になって、ずっとバイトに明け暮れて、社会人になってからも開店資金を作るために頑張りました。途中、自営業は大変だからと両親に猛反対されて挫折しそうになったこともあるけど、僕の人生ですから、後々になって後悔したくない……そう思って両親を説得して現在に至ります。まだオープン仕立てで試行錯誤ですけど、お客様が入りやすくて、気楽に花が買える店を目指しています。」

******

店の主人と小一時間話をしただろうか。雨も上がったようだ。涼ませてもらったお礼に、柄にもなく、花を買って帰ろうと店内を見渡していると、ひと際目立つ真っ白な花に目を奪われた。

百合ゆりがお好きなんですか?」
その様子を見ていた店の主人が言った。

「強く凛とした佇まいの花だなと思って見ていました。」

百合ゆりは、真っすぐに伸びた太い茎と厚い花びらで頑強に見られがちですが、本当は繊細な花なんですよ。」

店の主人はそう言って、百合ゆりの束から1本抜き取り、セロハンで簡単にラッピングすると僕に差し出した。

「話し相手になって頂いたお礼です。」

「お礼をしなければいけないのは、こちらの方なのに……」

「今のあなたには、この花が必要な気がするんです。僕の気持ちなので受け取ってください。いつか、誰かに花をプレゼントしたくなったら、この店を思い出してくれたら嬉しいです。」

そんなやりとりをしていると、小さな女の子を連れた女性が店に入ってきた。

「いらっしゃいませ。」

「新しいお店ができたんですね。近くにお花屋さんがなかったから嬉しいわ。」

「ありがとうございます。ゆっくり見て行ってください。」

「好きなお花を選んでいいわよ。」その女性が女の子に声をかけると
「このお花がいい!」女の子は僕が持っていた百合ゆりを指さした。

「ママ、知ってる?このお花、”LILYリリー”っていうの。幼稚園で英語の時間に習ったよ。」

女の子が発した、”LILYリリー”という言葉がかわいらしく、なぜか懐かしい響きがした。

「何本にしましょうか?」

「今日は、娘の5歳の誕生日なので5本にします。5本ください。」

「ありがとうございます。オープン記念に、こちらの杏子色のミニバラをサービスさせていただきますね。」

店の主人は手早くアレンジすると女の子に手渡した。

「5歳のお誕生日おめでとう。こうすると”LILYリリー”とミニバラが美しさを引き立てあって、花嫁さんのブーケみたいでしょう?」

「わぁ、きれい!」女の子の声が弾んだ。

誕生日―― 
スマートフォンの待ち受け画面を見ると、8月4日と表示されている。
そう。今日は8月4日で、亡くなった上司、本宮さんのお嬢さんの誕生日。そして、果たせなかった由梨との約束の日でもあった。この日が誕生日の女の子に、偶然入った花屋で巡り会うなんて……つくづく、この日には縁があるのだと思った。

8月4日には苦い想い出しかないけれど、それでも、なぜか胸の奥をぎゅっと掴まれるような愛しさに包まれてしまう。
夏の日の想い出は、良くも悪くも、他のどの季節の想い出よりも感傷的になるのは僕だけだろうか。

店の主人に、海に出るまでの道順を教えてもらい、ようやく知っている道に辿り着いた。歩き始めると、無意識に、ずっと避けていたあの海に真っ直ぐに向かおうとしている自分に驚く。由梨に会いに藤島水族館に行こうと決めた時、すでに心のブロックは外れていたのかもしれない。

******


煙が立ち上りそうなほど熱を帯びていたアスファルトの歩道は、先程の夕立で幾分か落ち着いていた。歩道から砂地に降りると、靴が砂地にめり込んでいく。

白いスニーカーを履いていた僕は、裸足になり濡れた砂の上を歩き始めた。体に籠っていた熱が足の裏から逃げて行くようで気持ちが良い。

遠くに、波打ち際をこちらへ向かって歩く男女の人影が見える。
大型犬を連れているようだ。

スリムで無駄のないボディライン、風に揺れる長い被毛を持つその犬と
洒落た風貌の飼い主に、僕は見覚えがあった。

女性は僕に気付くと、僕から視線を外そうとしない。あの日のことを覚えているのだろうか―― 

程なくして、二人は軽く会釈をして、僕の横を通り過ぎようとしていた。
その時、僕のすぐ後ろで懐かしい声がした。

「こんにちは。いつもお二人でお散歩なんて素敵ですね。」

「この3年程はそうでもないのよ。二人とも仕事が忙しくなっちゃって。最近、この子のお散歩は交代でやっているから。」

「そうなんですね。私がお見掛けする時はいつもお二人なので。」

「それは……あなたと、この海でお会いするのは、いつも8月4日だからよ。」

「8月4日?」

「実は、私達一度お別れしていてね、8月4日は、この海で私と彼が再会した日なの。私達こう見えてよくケンカするのよ。だから、再会した日のことを忘れないようにって、8月4日だけは二人でこの海に来ようって決めているの。今朝も、彼とあなたのことを話していたのよ。今年もあのお嬢さんとお会いできるかしら?って……いつか機会があったら訊こうと思っていたの。あなたが年に一度、8月4日にだけ、この海に現れるのにも何か理由があるの?」

「8月4日は、私の誕生日なんです。ある人とこの海で一緒に祝う約束をしたから……でも、忘れられていたみたいで。」

「そうだったの。お誕生日おめでとう。それにしても、あなたとの約束を忘れるなんて酷い人ね。」
女性が僕の方を見て、ふふふと笑った。

「あまり長話をするとお邪魔になるよ。さぁ行こう。」
男性が会釈をし、まだ話し足りなさそうな女性の肩をやさしく抱くと、エスコートするように歩道がある方向へ去って行った。

二人が視界から消えても、見送ったままの由梨の後姿を僕は静かに見ていた。あの頃より、少し長く伸びた髪が風に揺れている。どれくらい時間が経ったのだろう。僕の方に振り返った由梨の目が赤い。涙を堪えていたのが丸わかりなのに、何でもないふりをしている由梨がかわいらしく思えた。

「藤野さんって、相変わらずぼんやりしているのね。随分前から後ろを歩いていたのに気づいてなかったでしょ。」
そう言うと、来た道を振り返り、濡れた砂の上に続いている僕の足跡を指差した。

「足跡は、一人分しかないけど……」

それは遠い夏の日、僕をお兄ちゃんと呼んで慕ってくれた女の子が言っていた言葉だった。

――お兄ちゃん、見て見て。こうすると足跡が一人分しかないよ――

濡れた砂の上に続いている僕の足跡の上を辿るように、小さな自分の足跡を重ねるように必死に歩く少女がいた。

「そのお花は、私への誕生日プレゼント?」

僕は、左手に握りしめていた花の存在をすっかり忘れていた。

「え?」

そう言えば、由梨はさっきの女性に8月4日は自分の誕生日だと話していた。

花屋で会った女の子が発した”Lilyリリー”という音の懐かしい響き。
幾つもの過去の記憶が折り重なり、僕をある夏の日へと連れ去った。

******

由梨リリー!キョウモゲンキデスネ!

本宮さんの家の庭先で女の子と遊んでいると、どこからか声が掛かった。
声がした方向を見ると、亜麻色の髪に青い瞳の立派な髭を生やした男性が微笑んでいる。本宮さんが右手を挙げて応えた。女の子も笑顔で小さな手をひらひらと振っている。

――先月引っ越してきたお隣さんだ。娘の名前の由来を訊かれて、夏生まれだから夏に咲く百合ゆりの花から取って名付けたと答えたら、それからは、百合のの英名”LILYリリー”と呼んで、とてもかわいがってくれているんだ。娘もその呼び方を凄く気に入ってね――

僕の中に奥深く閉じ込められたまま、置き去りにされていたあの夏の記憶。

「君は……(いったい)誰?」
由梨は、困ったような表情で僕を見つめている。

Lilyリリー?」
僕が小さく呟くと、彼女の目から涙がとめどなく流れ出した。
頷くだけで精一杯の由梨とあの夏の日の少女が重なった。

「ごめん。ずっと気づかなくて……二度も君との約束を守れなかった……」


******

石崎が車の中から玄関に荷物を運び入れる。それを手伝う蓮。

「ねぇ、荷物ってこれだけ?」玄関先で3つ積み上げられた段ボールの箱を見て、かおりが言った。

「あとは、仕事で必要な本を放り込んだスーツケースが1個あるだけかな。取り合えず必要なもの以外は全部処分してきた。今日から新しい人生の始まりだからさ。蓮君、ありがとう。ここからは自分で運ぶから。」

「うん。それじゃ、バイトの時間だから行くね。」

「いってらっしゃい。」かおりと石崎の声が重なった。

「お母さんと石崎さん、息ぴったりで結構お似合いかもね。」

「何言ってるの。ほら、バイトに遅れるわよ。」

蓮は、くしゃくしゃの笑顔で二人に手を振って出て行った。

「蓮君、相変わらず忙しそうだね。」

「そうなの。バイトもいいけど、お勉強の方が疎かにならないか心配。でも、最近のあの子を見てると心配いらないかな。」

「蓮君なら大丈夫。俺たち大人よりずっと先を、未来を見てる。ところで、本当にいいの?」

「シェアハウスのこと?石崎君から言い出したのよ。」

「それにしても急だから。」

「人生が有限であることを思い出したの。先延ばしにしていたら後悔するかもって。」

「そうだな……。で、この荷物はどこに入れたらいい?」

「こっちよ。まりかが使っていたお部屋を空けておいたから使って。そうだ。蓮が出て行ったら、もう1つお部屋が空くし、石崎君のお姉さんもここに呼ばない?お仕事のことで教えてほしい事もたくさんあるし、夜は、3人でお酒を飲みながら語り合うの。想像するだけで楽しそうじゃない?」

「…….ああ見えても姉は絡み酒だからなぁ。後で後悔するぞ、きっと。」

何も後悔することがなければ、人生はとても空虚なものになるだろう。フィンセント・ファン・ゴッホの言葉よ。私は決めたの。考えてばかりで行動できない自分にさよならするって。里香さんの絡み酒、楽しみだわ~」

「本当に後悔しても知らないからなー」

「ねぇ。石崎君は知ってたの?由梨さんが本宮さんのお嬢さんだってこと。」

「え、まさか……」

「由梨さんに、確かめたわけじゃないけど、たぶんそう。その分じゃ、藤野も気づいていないのかしらね。」

「かおりは、いつから知っていたの?」

「最初に、由梨さんを紹介された時は、気づかなかった。”由梨”ゆりって名前、そんなに珍しいわけでもなかったから。でも、まりかから、由梨さんが過去に藤沢に住んでいて、お父様が亡くなられた後、お母様の実家がある金沢へ引っ越されたって聞いて思い出したの。施主さん宅からの帰り道、車の中で本宮さんがお嬢さんのことを愛おしそうに話していたこと。”夏に生まれたから、夏に咲く百合ゆりの花のように”純粋”な女性に育ってほしくて”ゆり”という名前に決めたけど、本宮さんのご両親が姓名判断で観てもらったら総画数が悪いからって、仕方なく別の字になったって……」

「そっか……あの子が由梨さんだったなんてな……」

「あの子?」

「本宮さんのお葬式で奥さんにしがみついて泣きじゃくっていた女の子を思い出したんだ。」

「そうだったわね。あの子を見て、私は泣いちゃいけないって必死で堪えてたのよ。えらいでしょ。」かおりは切なげに笑った。

「俺の記憶では、式場から駅までの帰り道、ずっと子供みたいにしゃくり上げて泣いてたと思うんだけどなぁ。」

「あれは……式場を出て、気が緩んじゃったの。それに、あの日は満開の桜の樹があまりにも綺麗で……」

「そうだったな。桜の花弁が風に踊るように舞っていた……来年はお花見できるかなぁ。」

「できるといいわね……みんなで。」

******

それから僕と由梨は、短い時間で遠い過去の答え合わせをした。
淡いブルーのドレスにプリンセスの真似をしたご挨拶、コバルトブルーの空と【雲の展覧会】。一人分しかない砂の上の足跡。本物の貝殻で縁取られたフォトフレーム。

昨日までのことが嘘みたいに、僕と由梨の間には穏やかな時間が流れていた。

「さっきから気になってたんだけど、何を持っているの?」
僕は、由梨が大事そうに手にしている袋の中身が気になっていた。

「これ?今朝、強い海風が吹いていたから、もしかしたら会えるんじゃないかと思って……」そう言って、そっと袋の中身を見せてくれた。

ガラスの容器が入っている。
その中には――青く透き通る ”カツオノエボシ” の姿があった。

「こんなにきれいな個体が生きたまま採取できるなんて珍しいのよ。あっ!絶対に真似しないでね。遊び半分だと、本当に危険なんだから。」

由梨は、3年ぶりに会えた僕にはお構いなしで、カツオノエボシを嬉しそうに眺めながら、訊いてもいないカツオノエボシの生態について語り続けている。

「――今日、君は誰を待っていたの?」僕がため息交じりに言うと、由梨は、カツオノエボシが入った瓶の袋を静かに砂の上に置き、勢いよく僕の胸に飛び込んで来た。  

「――ずっと会いたかった……。」
由梨から、この海で初めて会った日と同じ ”夏の匂い” がした。

「だから、誰に?」
思わず由梨の背中に回しそうになる腕を持て余したまま、できるだけ冷静を装って言った。

「………………。」

「波の音がうるさくて聞こえないな。」
二人の足元に打ち寄せている主張の強い波を、僕は味方につけた……つもりだった。

っ!」
由梨は、真新しいサンダルを履いた足で無防備な僕の足を踏みつけていた。
そのはずみで、僕から離れて行ってしまいそうな由梨を抱き寄せた。

「ねぇ。季節はいつが好き?」
こんな時にも君は訊くんだ――

「私は、やっぱり夏が好き。夏は、他のどの季節よりも大切な想い出を残してくれたから……」

以前の君なら、いつまでも僕の答えを待ってくれていたのに、今日は、そんなの必要ないとばかりに、ぷいっと顔を背けた。その、照れた横顔を僕はこの先もずっと忘れないと思う。

僕はもう、傷つくことを恐れて心を隠したりしない。

「好きだ。」
「――え?」
「好きだって言った。」
「え――っ」
「え――って何……」
「藤野さんがそんなこと言うの、らしくないから……」
由梨は小さく笑った。

人は、本気で恋をすると、らしくないことも平気で出来てしまうんだってこと、君が教えてくれたんだ。

――紛れもなく、(あの頃も)僕たちは惹かれ合っていた。時に穏やかに、時に荒々しく――それは、寄せては返す潮騒にも似ている。

カツオノエボシ

おわりに
『カツオノエボシ~潮騒~』をお読み頂き、ありがとうございます。
恥ずかしながら読書の習慣がない為、語彙力もなく拙い文章だと承知の上で、それ故に、絵本のようにわかりやすく、サラっと読めるものを目標に書きました。少しでも楽しんで頂けたなら幸いです。
最後になりましたが、創作大賞2023に参加できたことを嬉しく思っています。本当にありがとうございました。        Shiho(詩歩)😊   

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