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14 第5章 うねり(2)未来

翌年の春――

「まりか、卒業おめでとう。」
「ありがとう。」
「ところで、大学合格の報告、由梨さんにしたの?」
「それが、由梨さん忙しいみたいで、ずっと会えてないんだ。明日、少しだけ時間が取れそうって連絡をくれたから、ちゃんと会って報告してくるね。」
「ママも行こうかしら。何かと相談に乗ってもらったんでしょう?お世話になったお礼を言わなきゃいけないんじゃない?」
「いいよ。ママが来ると、話がややこしくなるから。」
「どうして?」
「とにかく、いちいち親が出てくるなんて過保護極まりない!」
「そう?」

******

――翌日の<-on the shore->――

「ごめんね。待たせちゃった?」
「大丈夫。まりかも今来たところだから。由梨さん忙しいのにわざわざ来てくれてありがとう。」
「ううん。今日は会えるのを楽しみにしてたの。瑞季君から聞いたよ。大学合格おめでとう!私の後輩になるのよね?」
「えー、知ってたの?驚かせたかったのにー。」
「ごめん。知らないふりしておけば良かったね。それから……まりかちゃんのこと、瑞季君に任せっきりになってしまってごめんね。」
「いいの。瑞季君から水族館のお仕事のこともたくさん聞けたから。最初に紹介された時は、正直チャラそうって思ったけど、全然そんなじゃなかったし。」
「でしょ?瑞季君、凄くいい子よ。だから、安心してまりかちゃんに紹介したんだもの。」

「うん。由梨さんには感謝してる。それより、こうやって会うの半年以上……ぶり?」
「そうね。まりかちゃんもまりかちゃんのご家族もお元気にしてた?」
「弟の蓮は相変わらず。ママは4月からお仕事を始めるみたい。パパは、以前よりもボーっとしてることが多くなったかな。ママはパパのこと、お仕事はできるみたいなことを言ってたけど、本当か怪しくなる。」
「かおりさんがそう言うなら本当なんじゃない?以前、同じ会社で働いていたのよね?」
「うん。そうだけど、そんな話した?」
「したと思う……。」

「ここ、ずっと来たかったんだ。由梨さんの職場にも近いし、待ち合わせの場所、ここにして良かった。テラス席も気持ちよさそうだね。」
店内を見渡しながら、まりかが言った。

「そうね。もう少し暖かくなったら、テラス席も良いわね。」

「そう言えば、由梨さんが家に来た時、<-on the shore->の話をしたの覚えてる?」

「うん?」
由梨の目が宙を彷徨った。

「そうだったかな……あっ、もうこんな時間、そろそろ行かなきゃ。仕事を抜け出してきたから、あまり時間がないの。ごめんね。」

「最後に訊いてもいい?」
先程までの和やかな表情から一変、覚悟を決めたようにまりかが言った。

「うん。何かな?大学のことで心配なことでもある?」
「由梨さん……まりかのこと避けてない?」
「そんなことないよ。」
「昨年の夏までは、時々は会っていろんなお話してくれたのに、LINEの既読がつくのも遅くなったし、まりかのこと嫌いになったのかなって……」
「そんな風に思ってたの?それは絶対にないから!嫌な思いさせてたのね。ごめんね、まりかちゃん。」
「だったら、まりかを避けるようになったのは――パパのせい?」

「え?」
まりかの目からも、由梨が酷く動揺しているのがわかった。

「昨年の7月31日。ママの誕生日の夜、ママから<-on the shore->で由梨さんに会ったって聞いて、由梨さんにLINEしたけど、なかなか既読にならなくて、次の日、藤島水族館に由梨さんに会いに行ったの。由梨さんが、決まった曜日の夕方に大水槽の前で解説員をしてるって知ってたから……。そこで、由梨さんとパパが会っているのを見ちゃったんだ。遠くからだったから、何を話してるかまでは分からなかったけど、パパは暗い顔をしているし、由梨さんは今にも泣き出しそうな顔に見えて声をかけられなかった。」

「あれは…偶然……」

「由梨さんが話したくないなら、もう聞かない。でも、話してくれるなら嘘はつかないで。まりかだってもう子供じゃないし、何かあるんだろうなってことくらいは分かるから。」
由梨の言葉を遮るように、まりかが言った。

「わかった。嘘は言わない。でも、話したくないことは話さない。それでもいい?」
「うん。」

「まりかちゃんのお家に行った時、教えてくれたじゃない?近くにのんびりできる穴場の海があるって。帰りに寄ってみたくなって……その時、まりかちゃんのパパ……藤野さんに会ったの。それから週に一度、海で会ってお話するようになった。でも、それだけよ。それに、まりかちゃんが二人を見たっていうその日を最後に一度も会ってない。」

「……パパのこと好きだった?」
「ごめんなさい。」由梨は俯いた。

「パパは?パパも由梨さんのことが好きだったの?」
「それは安心して。私の片思いだったから。」
「片思い?」
「そう。私の完全な片思い。連絡先さえ聞かれたことがないっていうのは、そういうことでしょ?」そう言って、由梨は寂しそうに笑った。

「だったら、どうしてあの日パパは藤島水族館に行ったんだろう。」
「それは……わからない。」
「そっか。正直に話してくれてありがとう。そんなことだろうと思った。あのパパがおかしなことできるわけないもん。それに……安心した。由梨さん、新しい恋してるんだよね?」
「どうしてそう思うの?」
「だって、そのリング……。普通、左手の薬指にするのは特別なものでしょう?」
「ああ、これ?これはフェイクよ。少し困ったリピーターのお客様がいてね。忘れた頃に現れるんだけど、お仕事にも支障が出るから、職場の人たちと相談して、婚約者がいるということにして館内ではつけるようにしてるの。急いで職場を抜け出してきたから、取るの忘れちゃってた。」

ネームプレートを見て知ったのか、由梨を名指しで繰り返し電話を掛けてきたり、館内でもプライベートな事を聞き出そうとしつこく絡んでくる男性客がいて、由梨の左手の薬指にあったリングは、その為の苦肉の策だった。

「ストーカー避けってこと?」
「大切なお客様でもあるから無下にもできなくて。」

「そっか。<-on the shore->で男の人と一緒にいたって聞いてたから、その人と良い感じになったのかなって。」
「あの時、一緒にいたのは瑞季君よ。」

「えー!もしかして、由梨さんと瑞季君って……」
「違う違う。そんなわけないじゃない。瑞季君は、よくできたかわいい後輩。あの日はちょっと付き合ってもらってただけ。」

「良かったぁぁぁ。あっ……」
「あれ?もしかして……まりかちゃん、そういうこと?」
「瑞季君には、絶対に黙ってて。」
顔を真っ赤にして焦るまりかが、由梨の目にかわいらしく映っていた。

「もちろん言わないけど、瑞季君もまりかちゃんのことかわいいって言ってたよ。」
「それは、妹みたいってことでしょ。いつも子供扱いだもん。」
「そうかなぁ。」
「絶対にそう!あっ。由梨さん、時間は大丈夫?」
「ありがとう。さっきは気まずくて……」
「もう大丈夫だよね?」
「うん。まりかちゃんに話せて良かった。」

「それにしても、由梨さん、パパのどんなところが好きになったの?パパとママが結婚したのもね、ママからの逆プロポーズだったんだよ。あんな平凡なパパのどこにそんな魅力があるのか不思議……。あ、ごめん。余計なこと話しちゃった。」

「いいのいいの。過ぎてみれば、あれは恋だったのかどうかも……。ただの憧れだったんじゃないかって思ったり……。でも、藤野さんと話してると、なぜか心が温かくなって幸せな気持ちになるのは本当。誠実だけど不器用で……嘘なんてついても、すぐにバレちゃいそう。」
「嘘?」
「例えばの話。」
「そうかも。パパは嘘ついても顔にすぐに出そうだもん。」

藤野への気持ちは、本当に恋だったのだろうか――
ただ、今でも時々無性に会いたくなる。あのやさしい笑顔の隣りにずっといたかった。由梨は、そんな気持ちを、まりかには言えずにいた。

帰宅後、まりかは何もなかったように、由梨の所へ大学合格の報告に行ったことだけをかおりに話した。

******


「まりか、本当に寮に入るの?明後日には、寮に引っ越し荷物を送らなきゃいけないんだから、止めるなら今よ。」
「家から大学までは微妙に遠いし、寮に入る方が早く友達ができるかもしれないじゃない?」
「品川なら、ここからでも通える距離なのに……」

「そんなこと言って、寂しくなってすぐに帰ってくるんじゃねーの?」
近くでテレビゲームをしていた蓮が、二人の会話に茶々を入れる。

「うるさい。蓮は自分の進路の心配でもしてなさいよ。春休みなんてすぐに終わっちゃうんだから。2年、3年なんて、あっという間よ。」
予想を上回る反撃に合い、蓮は自分の部屋へ退散した。

「まりかがこの家を出て行ったら寂しくなるわ。」
「大げさだなぁ。電車で1時間ちょっとの距離なんだし、週末には帰るようにするから。」

「まりかから、将来水族館で働きたいって言われた時、子供の頃の夢だとばかり思っていたから驚いたし、寮に入るのだって心配なのよ。応援しなきゃいけないことは分かっていてもね。」

「ママだって、4月からお仕事が始まるんでしょう?そうなったら忙しくて、そんな心配してられなくなるって。」

「由梨さんのご両親は、確か金沢にいらっしゃるのよね。由梨さんが家を出られた時も、今のママと同じ気持ちだったはずよ。金沢から東京の大学に入る為に家を出るなんて尚更だと思うわ。」

「そうかもね。でも、由梨さん、生まれたのは藤沢だって言ってたから……」

「藤沢?神奈川県の?」

「うん。由梨さんのお父さんが亡くなって、お母さんの実家がある金沢に戻るまでは藤沢に住んでいたんだって。今のお父さんとは再婚で、お母さんの幼馴染だった人らしいよ。」


******


「川島さん、お知り合いの方がいらしてて、少しお話できないかって。藤野さんって方なんだけど。」

「……!?」

「正面玄関の辺りで待ってるっておっしゃってたわ。もうすぐお昼休憩だから、そのまま行って大丈夫よ。」
「ありがとうございます。」

――藤野さんが?どうして?
由梨は正面玄関へと駆け出して行った。

正面玄関前――

辺りを見回している由梨に、かおりが声を掛けた。
「由梨さん!」

「かおりさん!?」
待っているのは、藤野優一だと思っていた由梨は、かおりが現れたことに酷く驚いていた。

「ごめんなさい。まりかだと勘違いされたのね。近くまで来たものだから、まりかの大学合格のお礼を言いたくて。お仕事先にまで押しかけてごめんなさいね。」
「いえ、私は何も……」
「それとね……由梨さんにお訊きしたいことがあって……。まりかから聞いたんだけど……」

かおりの深刻そうな物言いに、昨日まりかに話したことが、かおりの耳に入ったのだと由梨は思った。

「ごめんなさい。本当に藤野さんとは海でお話をしていただけで他には何もありません。」

「藤野?なんのこと?」かおりは目を丸くした。

「今、まりかちゃんから聞いたって……何でもないです。ごめんなさい。」
由梨は慌てたようにそう言って、そのまま立ち去ってしまった。

******

「まりか、ちょっと話があるの。」
「ママ、なんか顔が怖い。」
「何か私に隠してることない?」
「隠してること?ママが大切に取ってたプリンがなくなってることなら、まりかじゃないよ。犯人は蓮だから。」
「違う。今日、由梨さんに会って来たの。藤島水族館の近くまで行く用事があったから。」
「えー。あれだけ、過保護極まりないって言ったのに。」

「由梨さん……変だった。」
「――何が?」
「私の顔を見て、すごく驚いて「藤野さんとは、海でお話をしていただけで他には何もありません!」なんて言うの。藤野さんって、パパのことよね?どういうことなのか訊こうとしたら、まりかから聞いたんじゃないのかって……。由梨さん、そのままどこかに行っちゃって……。どういうことか話を聞かせてくれる?」

まりかは、観念したように大きくため息をつき、これまでの事の一部始終をかおりに話した。

「そういうことだったの。パパと由梨さんがね……だから、<-on the shore->でお会いした時の由梨さんの様子が変だったのね。あの後、パパも全然話さなくなっちゃって……シャンパンで酔いが回ったのかなと思ってたんだけど。」

「ごめんなさい。ママが心配すると思って黙っていたの。もう、ずっと会ってないって。それに、由梨さんの片思いだったみたい。あの不器用なパパがおかしなことするはずないよ。」

「何年パパの妻をやってると思ってるの。そんな心配してないわよ。ただ、由梨さんの片思いっていうのはどうなのかな。」
「どういう意味?パパも由梨さんのことが好きだったって言いたいの?」

「覚えてない?去年のママの誕生日の後くらいに、パパが夏風邪をひいたって言って、一日中寝室に籠ったまま出てこなかった日があったの。あれから急にリモートワークは自分には合わないからって、週の半分は出社するようになったし、お散歩にも行かなくなって、家にいてもボーっとしてることが多くなった。」

「パパがボーっとしてるのは前からだけどね。そんなことより、ママ……他人事みたいに言ってるけど、大丈夫?」
「なにが?」
「私だったらショックかもって。」
「ママは、<-on the shore->でお会いした時の由梨さんの様子を思い出して、由梨さんのことが心配になっただけ。」

「まぁ、何もなかったんだし、ママが平気なんだったら、まりかはそれでいいや。由梨さんも、過ぎてみれば、ただの憧れだったのかも?って……」
「由梨さんがそう言ったの?」
「うん。」
「由梨さんがそう言うしかなかった気持ち、まだ、まりかには分からないかな……。」

――ただの憧れだった――

かおりは、過去、本宮への恋心を打ち消す為に、唯一人その気持ちに気づいていた石崎に同じ話をしていたことを思い出していた。

壁掛け時計の針が、夕方の6時を指していた。

「パパと蓮が帰ってくるわ。ママは夕食の準備をするから、まりかは、寮に送る荷物の最終確認をしておいて。」

「はーい。」

15 第6章 波の彼方へ(1)ノスタルジア


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