【雑記】奥歯が欠けただけ

 こないだ奥歯が欠けました。すごく硬いものを食べた記憶はなくて、朝仕事に行く前にシャワーを浴びていたら取れていました。欠けたというか、口から取れたものを見ていたら欠けていた、という感じです。
 特に何も関係ないけど、高校生の時に沖縄への修学旅行でサーターアンダーギーを食べた友達が急いでトイレに駆け込み、追いかけていったら鏡の前で欠けた八重歯をガン見していました。地域の特産物に物理的に負かされている友達にかける言葉が見つかりませんでした。友達がずっとブルーな気持ちを引きずったまま美ら海水族館で魚を眺めていたのを思いだしました。こういう出来事は不意に記憶の底から意識の表面に突き上げられます。

 本当に関係ないので話を戻します。結局何気ない日に歯が欠けたという話なのですが、欠けたものが奥歯だと分かった瞬間、なぜかそれから何もする気が起きなくなってしまいました。あまり恋愛経験がないので分かりませんが、失恋した時の虚無感と似ているのでしょうか。一言でいえば喪失感なんですかね。事実が遠く離れた出来事に追いついていくみたいにみるみる力が抜けてきて、その日の仕事から帰ってくるところまでは良かったのですが、そこから一切の気力が湧きませんでした。自分の真ん中にぽっかりと穴が空いてそこに大きな杭が打ち込まれて固定されたような感覚です。

 どうにか即日で歯医者を予約できたのですが(横になってスマホぽちぽちするだけでしたがそれでも少し力を入れました)、奥歯が欠けただけでこんなに凹んでいる不思議さと自意識過剰さにも自分が疲弊させられている感じがして、それもまた不思議でした。結局欠けた原因は虫歯で、幸いにもそれが親知らずだったのでただの抜歯で済みそうです。それが分かってからはまた徐々に身体に力が入るようにようになって、心ここに在らず状態は終わりました。でも二日くらいはかかったかと思います。

 自分は骨を折ったこともあるし、爪を剥がしたこともあります。自分の身体の一部が傷つけられた経験はそれなりにあるのに、どうして奥歯が欠けるという損傷は身体全体からみた矮小さに比べて特質的なショックを心に運んだんだろう、とよく分からないことを考えていました。自分は友達のサーターアンダーギー事件を見ているからか、歯が欠けることくらい自分にも往々にしてあり得ることだと思っていました。多分身体のどこかに傷が入るだけではあのような猛烈な感情には直結しないのかなと思います。
 別の理由が他にあるとしたら、失くしているから……? 「欠ける」に包含される意味のうち、「傷がつく」ではなく、「失う」の方だということです。自分はナチュラルに人に対して失礼な言動をとってしまった時に、よく”失った“心持ちになります。失ったのはおそらく他者からの評価や好印象です。(人を傷つけて置きながら自分も猛烈に消えてしまいたくなるのは自己中心の極みのようですが……。)特に、良かれと思ってやったことが反道徳的なトラウマ級の失敗だったりすると、もう元には戻れない、失ってしまったと感じるのです。思えばこの喪失感と奥歯が欠けた後の消沈は若干似ているかもしれません。
 ただ奥歯が欠けただけですごく複雑なことになっていますね。

 それでも、皿が割れたとか指輪を失くしたって時に同じ気持ちになるかと言われればそうではないと思います。同じ「失った」なのに、全然違うのはなぜですか。愛着とか替えがきくとか、そこらへんの差なのでしょうか。

 ベッドで抜け殻になっていた時、「蛇にピアス」という小説が頭に浮かびました。ルイという少女が舌をスプリットタンにしたり恋人と同じ刺青を彫ったりして身体改造しまくるという話なのですが、ルイが大がかりな龍と麒麟の刺青を入れ、完成せた途端、生きる活力を失ってしまいます。ルイは食欲が失せビールを飲むことしかできなくなります。これは金原ひとみさんという作家が2000年代に初めのほうに出した作品で、当時の若者の感覚が投影されているのだと自分は思っています。
 
 自分と作中のルイが同じレベルの感情になっているなんて微塵も思っていませんが、少しルイの気持ちが分かったような気がしました。
 そうは言っても、身体に何か(ピアスや刺青)を加えるのと失うのとは当然違うはずなのに、どちらも空っぽな着地をするのはなんでだろう。と、椅子で考えていました。

 

 

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