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【脳梗塞】急性期の病院から転院、そして。

バタバタが続き、noteに向かう時間がなかったので、遡るカタチで記します。

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7月9日、休日出勤から戻って夕飯の支度を済ませ、夕飯出来たよ、と母を呼びに行った時は、母は脳梗塞で倒れてから6時間以上経っていた(MRIよりの主治医の推測)。
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それからしばらく経った8月22日の朝、最初に運ばれた急性期の病院から、ほかの病院へ転院となりました。
このコロナ禍の中、電話がすんなり繋がり救急車で運んでもらい、次にお世話になる病棟も、4択くらいの選択肢を示された中で、選ばせてもらい、希望した病院につないでもらいました。世の中の状況を鑑みると、とてもありがたく思います。
ご多分に漏れず、面会の制限中ではありましたが、転院の時はもちろん、転院先の病院を決めるために相談員に呼び出された時も、ちょっとだけなら、と母とふたりの時間を作ってくださいました。せっかく行っても、正直分かってるんだか分からない感じでしたが。

身内だから、頷いた様に見えるのか、本当に分かって頷いているのか。転院前の相談に行った時は、それでもきっと分かってるに違いない、と思えたけど、転院時の付き添いの時は、せっかく久しぶりに会えたと言うのに、うとうとしだしたり。それでも、耳は聞こえていると信じて、庭のぶどうが色付いたんだよ、とか一方的に話しかけていました。

気分を害する方がいるかもしれませんが、耳が聞こえて、頭もしっかりしているのに、言葉が発せず、目も見えず、体も半身全く動かない。病院に最初運ばれた時は、そんな状況だった(分かる?と言えば頷くし、グーチョキパーできる?と声かけると右手はグーチョキパーが出来た)ので、母が高齢と言うこともあり、半端に分かってもどかしい時間をずっと過ごすなら、いっそこのままボケて自分の置かれてる状況を理解できない方が本人は辛くないんじゃないかと感じてしまっている自分がいました。なので、うとうとする時間が長くなっていくのも悪くないとさえ感じています。

病院の担当医も看護師さんも、相談員の方も、みんな温かい感じがしました。
でも、話す言葉の端々には、変に期待を持たせるような事は敢えて言わず、こちらで最期を迎える事になるんだろう、という雰囲気が伝わってきました。
延命措置は望まないが、本人が痛い、苦しい事は、できるだけ取り除いて欲しい旨、耳が聞こえているようなので、音楽を聴かせてあげたくて、音楽プレイヤーを用意した旨を伝えました。音楽プレイヤーについては、相談員から聞いているので大丈夫です。対応できます。と、操作方法をメモしながら確認してくれた。

1週間はコロナの症状がでないか、隔離。転院前の病院でも実費でPCR受けて陰性だったんだけどね。希望すれば、髪の毛をカットしてくれるし、歯科医師が週一で口腔メンテもしてくれるという。正直、総入れ歯で歯はないんだけど、ご飯食べれないし(経鼻栄養)唾液が十分でないから、お願いした。

一緒に付き合ってくれた次男と、良い病院だねえ。って話しました。

そこから1週間くらい経って、もうすぐ隔離終わりだね、って言う頃、病院から電話が入った。

母がコロナ陽性だと言う。

ずうっと1週間ひとり部屋だったよね?

転院前、PCRは陰性だったよね。

ベットから本人動いてないんだけど。

つづく。

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