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努力とは、(1年/松尾進之介)



おはよう、こんにちは、こんばんは。法政大学多摩キャンパス流しに遭った松尾進之介です。今回は、自己紹介という事で、私の事を軽く紹介させてもらおうと思います。

ハンドボール歴10年
竹の子会
中川西
法政二高
法政大学

私は小学校四年生の時に大阪府の住吉から引っ越してきました。(だから、エセとか言わないでね✌️)元々、外でずっーと遊ぶ子供時代で、年少から、サッカーと水泳を始めていました。その時の夢はサッカー選手でしたが、正直あまり上手くはなかったです笑。そんな私がハンドボールを始める事になったきっかけは、引っ越し先の小学校でハンドボールがあったからです。その出会いは当時、とても新鮮でした。投げる、走る、飛ぶ。サッカーでは味わえないこの三要素は、私が子供時代に求めていた言葉では言えない快感と合致したのでしょうか、体験してすぐに親に「やりたい!」と言った覚えがあります。

さて、ここからは題にある「努力とは」について少々語らせてもらえればなと思います。私は、中学生まではセンター一筋で、ハンドボールが大好きなこともあって、ずっと努力はして来ましたが、joc時代に人生の壁に直面しました。竹中友哉とかいう京都から引っ越してきた激ウマセンターの存在があったからです。その当時、私はセンターなら誰にも負ける自信は無いと思うほどでしたが、そんな自信はすぐにケチョンケチョンにされ、法政二高に入学後も一年しばらく引きずっていました。努力をしても意味がない。勝てない奴はうんといるのだから。いつしか自分にそう言い聞かせる様になり、私は試合に出ることは愚か、仲間からの信頼も無くなっていました。しかし、闇雲ながらにも努力(自主練や人一倍練習をこなす)をしていると一年生後半の時にコンバートした正サイドで自分の代からスタメンになれるチャンスが訪れました。そして、そのチャンスを逃すことなく、私は正サイドとしてしばらく試合に出続け、その後はチームのエースの度重なる前十字靭帯、半月板トラブルにより正45として国体まで走り続けました。今振り返ると、チャンスを掴む以前の私は、一度プライドをおられた事により、プレーに自信を持てずに、練習したことを出せていなかったことを覚えています。その意味で、闇雲ながらにも努力を続け、チャンスを掴んだのは試合で自信を持ってプレーをできたからだと思います。

努力とは、上手くなるためのものでもなく、結果にも直結しない。しかし、努力によってついた自信は、必ず己の武器となり結果に直結する。


この言葉は、私が常々意識していることで、法政二高時代にある生徒が言っていました。

負けたくなければ、他人より努力をするしかない

この言葉は、私の恩師が引退時におっしゃっていたもので、これも常々意識していることです。

結論まで長くなりましたが、要は、結果を出すには努力をするしかないんです。それも直接結果に影響もしないものではあるのものの、自信に繋がるためとにかくやるしかないんです。

国語力のない文章でしたが、最後までお付き合いありがとうございました笑。日本一必ず、獲ります。日本一の正サイド必ず獲ります。
ぜひ法政大学の応援よろしくお願いします🙇

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