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夢を抱くヘタクソの4年間の挑戦(1年/二階堂恭世)

こんにちは。

法政大学現代ビジネス学科1年の二階堂恭世です。

初めてブログを書けと言われしかも出し遅れで242が確定している中でのブログという言い訳とシンプルに日本語が下手という言い訳をさせてください。優しい目で見ていただけたら幸いです。

僕の簡単な自己紹介ですが、私は中学生でハンドボールを初めて今に至ります。元々めっちゃ太ってて偶然僕の中学校はハンドボールの強豪校で卓球部に入り、デブルートを歩もうとしていた自分を中学校の顧問に拾っていただきました。

元々ハンドボールなんてやる気ななくて痩せるつもりで入ったのが始まりでした。毎日沢山走らされるしもちろん最初のランニングですらついていけないような部員でした。しかし一個上の先輩が全中ベストエイトになったのをベンチで見ていて、大舞台に憧れを抱くようになったのが始まりでした。
しかし皆さんご存じの通りコロナウイルスとやからにやられて学校スらなくなりましたね。あの頃の友達は嬉しそうにしてましたが自分は全く嬉しくなかったです。部活が出来なくなってしまったのでわたしたちハンドボール部は自主練することになりました。しかし集まってるのは中学生、もちろん真面目にやらないやつが多いのが現実でした。最初は数十人でしたが最後は5人適度で搾ってやるような結果でした。しかしとても内容が濃く、自分自身そこを通じて成長出来たものは大きいと思います。部活も勉強も両立してやっていた期間でした。

早起きして午前はハンドボールして1時間走って、お昼寝して塾の自習室に行ってそのまま授業受けて帰ってくる。ひたすらこれの繰り返しでした。そのおかげもあって偏差値も爆上がりし、ハンドボールも上手くなりました。
しかし世界はやっぱり僕の味方はしてくれませんでした。県大会も東北大会も全国大会も全て無くなりました。実際迷いましたね、ハンドボール続けるか。でもやっぱりハンドボールが中途半端になるのだけは許せなくて続けることにしました。

中学では無理をいい法政二高に行かせてもらいました。3年間サポートしてくれた両親には本当に感謝しています。そのせいもあってか、大学生になって一人暮らしをしている今まだ親離れがてきておらず、頻繁に連絡をとってしまっています笑

僕って190もあって怖いんですけど実はめっちゃ泣き虫で家族とバイバイする時はいっつも泣いてます。愛犬が悲しんでるを見たり、兄弟に悲しまれると本当に悲しくなります。時間があったら親孝行をしに実家に帰りたいです。

しかし私は高校で個人として結果を残すことが出来ず、自分自身悔しい思いをしたし、3年間支えてくれた家族には本当に申し訳なかったです。しかし私はそこから自信を持って努力したと言えます。1人でOBとして部活に参加し、大学での活躍をイメージして自分に自信が持てるように努力しました。僕って人一倍気がよわいんです。常に自信が無い人間を卒業するため高校では人一倍頑張った自信があります。やっぱりハンドボールって楽しいんですよ。
いくら自信なくてやりたく無くなってもやっぱり僕にとって欠かせないものだなってつくづく思います。

法政大学は今キーパーが少ない状況にあって、1年生ですが、リーグ戦では多く出場時間を貰っている試合もあります。この状況がずっと続くとは言えないし、新しくとんでもない1年生が入ってきたら私はもちろん試合に出れなくなります。大学は推薦で入れば努力を怠らず試合に出れるという安直な考えで通用するものでは無いともちろん分かっています。私もそうならないために努力を怠らないように頑張らなければなりません。自分はよくかおにボールが当たります。このブログを書いている1週間で約6回くらい当たってます笑もちろん顔あたったら1回練習から抜けたくなるのが本音です。しかしプレーし続けなければいけません。4年間で本当に自分が立てた目標を達成したいのならばこれをポジティブに捉えることは必須になってくると思います。

実際に私の最終的な夢は家族に笑顔になってもらうことだと思います。その中でリーグ優勝だったりインカレ優勝だったり、また個人で世代別代表に入ったりなどがあります。しかし試合などで結果を出すことが全てではありません。結果を出すために努力する姿を全力で親に見せていきたいです。この先の見えない4年間、一人暮らしのため支えてくれる親はいません。自分1人でここまでできるんだぞと親に示し、安心して社会人へと送り出せるような、お父さんお母さんの自慢の親、弟、妹の自慢の兄になれるように精一杯努力していきます。

こんな僕の4年間の結末の見えないストーリーをぜひ暖かい目で見ていただけたらなと思います。
これからもぜひ僕と法政大学ハンドボール部の応援よろしくお願いします!

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