ホイッスル・ダウン・ザ・ウィンドについて
ホイッスル・ダウン・ザ・ウィンドやっとこ幕が開けてヤッター!!って観に行ったんですけどこれ地域と時代背景知識がないと伝わらない部分ない?っていう話です。
ちなみにネタバレしかないです。観た人向け。
ちなみに東京公演週一ペースでチケット取ってて2枚GOOD BYEしたのでマイ初日がマイ楽になってしまいましたので1回観ただけで言ってるのでなんかおかしいかもしれないです。
まずミュージカル版ホイッスル・ダウン・ザ・ウィンドって舞台が1959年のルイジアナなんですよね。これは舞台化にあたって原作から改変された点です。
元はイギリスの話なのになんでそんな業が深い時代と地域にしたんだ・・・って観る前から思ってたんですけど、めちゃくちゃその地域と時代を生かした話になってましたね・・・
1959年のルイジアナがどういう地域かっていうと、要は人種差別がバッチバチの保守的な地域です。ここで言う人種差別って黒人差別ね。
そもルイジアナってのは2020年の現在でも人種差別がヤバめで本当ですか!?!?みたいな地域なんですが、南部も南部で黒人奴隷による綿花栽培でアメリカで最も裕福だった時期すらある誇りがあったりするもんで未だに白人至上主義の感覚が強く残ってる地域なわけです。
ちょっと違うけどパレードをご覧の方はパレードの舞台のジョージア州がルイジアナ州の2つ隣って思うとなんとなくわかるかしら。
で、そんな地域の物語に出てくるエイモスとキャンディがどういうキャラクターかってのがこの記事の主題なんですが、白人至上主義の強いあの地域で白人の男の子と黒人の女の子のカップルなんですよね。
一回観ただけなんで不安なんですが、キャンディとあとおそらくエドワードは黒人という設定なんじゃないかなと思いました。いやエドワードは忠告しただけで違うのかも。でもキャンディは黒人だということを明言してます。
ホイッスル・ダウン・ザ・ウィンドを単純に観るとエイモスってとんだクズ野郎じゃねーか!って印象を受けると思うんですが、っていうか実際にクズ野郎なんですが、「黒人のキャンディを人間扱いしてる白人」なんですよね。ここが伝わるかどうかがめっちゃ重要だと思うんですよ。
パンフレットでも書かれてるけどまず白人と黒人が付き合うというだけで問題っていうか犯罪という黒人を人間だと見做してない地域で、黒人のキャンディをひとりの女の子として扱ってる男なんですよエイモスは。
エイモスがクズであればクズであるほどその一点が光り輝くのでエイモスはクズであることに意味がありさえするキャラクターなんですよね。
でもそこがわかりにくくねーーー???っていう。
そもそもホイッスル・ダウン・ザ・ウィンドはザ・マンとスワロー、エイモスとキャンディが対になってる作品なわけですが、人種差別意識が理解できないとどう対になってるかわからなくない?わからなくない?
キャンディにとってエイモスはジーザスなんですよ???クズだけど。
エイモスが謎のクズだからわかりづらいけど、そもそもザ・マンとエイモスどっちも「種類は違えどクズだけど誰かの救世主になってる」キャラなんですよね。
そしてなんやかんやありつつ最後に2人とも「本当のことを言ってるのにスワローに信じてもらえない」っていうオチに辿り着くわけっすよ。
エイモス最後に変なタイミングで女々しいというか情けない発言しますけど、あれはその対比のために必要なセリフなんだと思うんですよ。
というわけでまだいろいろ言える点はありつつもザ・マンとエイモス(2組のカップル)が対ってのはかなりハッキリしてると思うんですけど、1959年のルイジアナとキャンディが黒人であるという点でピンとこないとわかんなくね???っていう。
1幕開けでも2幕開けでもわざわざ1959年とかルイジアナとか文字として情報が提示されるのはそのためなんだよな...と思ったんでした。
エイモスのキャラ観と引いては物語自体の解釈にすごい関わってくる点だと思うので熱く主張したいところでございました。
パンフレットとか見るに製作側的にもその辺重要視してるみたいだし伝わるといいなぁ。あと普通に公演が続きますように...一回観れてよかった......