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「努力」とは

皆さん、こんにちは。
8月も終盤に差し掛かりますが、暑さが和らぎそうな気配はなく、毎日猛烈な暑さが襲ってきています。

そんな暑さの中、私は夢中でボールを蹴り続けています。

サッカーが終われば、私もそれなりにいろいろと自分の時間にあてているのですが、
最近、私は元プロ野球選手で元メジャーリーガーでもあったイチロー選手に関わる様々な対談動画をよく見ています。

プロスポーツ選手が語る言葉は、とても魅力的で自分に勇気を与えてくれることが多かったので、そういったものを見たり聞いたりするのは昔から好きだったのですが、最近は前にも増して食い入るように見ている気がします。

そういったものを見る中で、よく耳にする言葉があります。
それは、
「努力」
という言葉です。

スポーツにおいて、「努力」という言葉は切っても切り離せないものがあります。

より上手くなるためには「努力」しなければならない。
試合に出るためには「努力」しなければならない。
結果を出すためには「努力」しなければならない。

そして、
「努力」したからこそ試合に出れた。
「努力」したからこそ結果を残せた。

「努力」したからこそプロになれた。

「努力」し続けたからこそ、プロの世界でも活躍し続けることができた。

他者や他の組織との競争が大前提で、その中で頂点を目指す、確固たる地位や価値を築こうとするのであれば、
動機はなんであれ、向上心を持って何かしらのアクションを起こし続けることは不可欠です。

それを一般的に、「努力しているな」と人はそれを見て思うのではないのかなと、感じています。

このように書いていて思うことは、
「努力」を定義することは難しい、ということです。

そもそも、「努力」とは、具体的にどういう行動を指すのかハッキリしないな、と感じています。

「努力」とは何なのか。

「努力」と聞くと、私の中では、
自分の好きなこと、自分が情熱を注いでいることに対して、自分自身に物足りなさであったり、自分自身の理想に近づくためであったり、そのために自分に何が必要なのかを考えながら最大限行動することだと、考えています。(この表現も大分曖昧だと感じています。)

そして、その先にあるのは、
自らが主体的に、何かしらに「価値を残すこと」・「貢献すること」があるのだと思います。

人の行動それ自体、何かしらの目的は含まれていますが、
「努力」というのは、それ以上に自ら強い目的意識がないとできないことだとも思っています。

その努力の目的は、人によっては自覚しているのかもしれないし、自覚していないのかもしれない、まさに人それぞれだと思います。

ただ、私の考える「努力」というものは、
現時点で「努力」という行動に移している時に、その努力の目的を自覚していない方が、
自他共に認める「努力」になり得る可能性が高いと考えています。

もう少し噛み砕いて言いますと、
「努力」(と思われる行動)をしている本人は、その時には「努力している」とは思っておらず、それが当たり前のことだと考えている、ということに近いです。

もちろん、その本人の行動の目的には、
自分自身が向上すること、自分が周りに価値を残すこと、貢献することに、
最終的には結びつくはずです。

ですが、その行動の目的を持ってはいるものの、強く意識せずに、今の自分ができること、そこにその時、集中し続けているのです。

行動の目的、努力の目的を強く意識したまま、かつ今の自分ができることにその時は集中し続けることができる人もいるかもしれませんが、
その場合、「努力」することが目的になってしまうパターンが多くなってしまうと考えています。
いわゆる、「努力のための努力」です。

そうなってしまうパターンが多くなってしまうことから、努力の目的を自覚していない人の方が、
結果的には、「努力」することができる、そして、自分の目的に沿った目標まで到達できるのだと考えています。

なので、「努力」というものは、行動し続けている最中にわかるものではなく、少なからず自分や他人が振り返った時に、それが「努力」なのかそうでないのか、ハッキリとわかるものなのではないのかなと、思います。

このように書いてきても、「努力」という具体的な行動は掴めないです。
ですが、これからも「努力」とは何なのかを考え続けると思います。

また改めて、今回とは違った角度から、「努力」とは何なのかについて書ければなと思います。

そして、今回のブログでは、「努力というものは必ず報われるのか」ということにまで踏み込めませんでしたが、そのテーマについても、次回以降のどこかで書ければと思っています。

最後まで読んで頂き本当にありがとうございました。
引き続きどうかよろしくお願いします。

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