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「芸術」としてのサッカー



みなさん、こんにちは。

4月があっという間に過ぎようとしています。
ついこの前2023年が始まったかと思えば、
もう4月。
新年度になり、大勢の新入生・新入社員が新生活に心躍らせていることと思います。

出会いの季節でもありますが、
同時に別れも多い季節でもあるかと思います。
別れと言えば、つい先日、1人のプロサッカー選手が現役引退を表明し、ピッチから別れを告げました。

そのプロサッカー選手は、メスト・エジル。
元ドイツ代表のプロサッカー選手で、
2014年のブラジルW杯ではドイツ代表の一員として優勝を経験し、主力としてチームを牽引した選手の1人でした。

彼のプレーは本当に、見ていてワクワクさせられました。
トラップやパス、ドリブル、全てが見ていて惚れ惚れさせられる。
サッカーの「楽しさ」・「美しさ」を体現してくれるような選手だと思っています。

抽象的な言葉でしか表現することが出来ず、
かと言って抽象的な言葉でも的確に言い表すことは出来ない。
サッカー用語で言うところの「ファンタジスタ」という表現が近いとは思いますが、
やはり実際に彼のプレーを見ないことには、
理解し難いと思っています。
(なので、プレー集の動画を載せますのでもし良ければ見てみてください)


そのような選手が引退してしまったということが本当にショックでした。
現役でプレーを見ることはもう出来ないのか、
ということと、
このような選手がまた1人減ってしまったのかということ。

ちなみに、このような選手は今のサッカー界では絶滅危惧種ではないかと思います。

戦術理論やトレーニング理論が発達したこともあってか、
身体能力が高く、「速い・強い・上手い」選手が育つ傾向にあり、
エジルのような選手は出て来ていないな、という印象です。

平均的に能力は高いので、そこに多様な戦術に対応できるのであればまさに、「万能」な選手。
そのような選手が評価され、目指すべき対象になっているような印象も受けます。

SNSの発達によってプロのクラブチームの練習や戦術理論を簡単に見ることができる、調べることができる。
トラップやパス、ドリブル、シュートなどの細かい技術、戦術・一つ一つのプレーを細かく理論化して論理的に出来るようにしていく。

そういった傾向があってか、
エジルのような選手がなかなか生まれにくい、育ちにくくなっているのかもしれません。


ただ、最近思うのは、
万能な選手が「良い」という風潮に流されすぎてはいないか。
理論や方法にこだわりすぎてはいないか。
ということです。

サッカーに限らず、世間一般的に、
方法や技術を理論化して論理的に説明することが評価を集めていて、注目され「すごい」という認識が高まっていると思います。
サッカーも例外なく、基礎技術から理論化して論理的に説明して、
「なので良い、優れている」「なのでこうしていきましょう」と。
枝葉の技術や戦術に囚われすぎているのではないのか、
全て平均的に万能的にこなせる選手が良し、ということに重きが置かれていないか、と思っています。

果たして本当にそこが大事なのか?
サッカーの魅力や楽しさはそこに詰まっているのか?
最近のサッカーの風潮やトレンドを見て知ると、どうしてもそこの違和感が拭えないです。

そして、違和感を抱くと同時に、あることを思います。
サッカーは「芸術」である、と
プレーの一つ一つで、言葉では表現できない美しさ、心に訴えかけることができる感動を与えられる。
それは理論の枠にとどめることが出来ない「自由」な表現から生まれる。
それは「サッカー」することを心から楽しむからからこそ生まれる。
芸術を生み出す人は、既存の枠組みに全く囚われない独自の世界を持ち、それを貫いている。
そして、その芸術を心から愛して楽しんでいる。

本当に大事なのはそこなのではないかと、私は思います。



エジルをも越える芸術としてのサッカーの体現者として、
元ブラジル代表のプロサッカー選手、ロナウジーニョの右に出る者はいないのではないかと考えています。
このブログを読んで頂いた方には、是非ロナウジーニョのプレー集を見て頂きたいです。


私の言わんとすることが、感覚的になんとなくわかるかと思います。笑


また、エジルやロナウジーニョのような選手が現れてくれることを願ってやまないです…!



最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
これからも自分のペースで、表現していきたいと思います。

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