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やりたいこと

数分ぶりなのか、数時間ぶりなのか、数日ぶりなのか投稿する時間が定まっていないので、とりま沢山書いときます。

前回コミュニケーションというのは人を信じることだという私の意見と実際私は人を信じることが出来ているかみたいな話をして、ついでに私の友達付き合いの経験からして、今までは私のタイプに合う人を探していたけれど、一部の側面だけでも合う人を探すことにすればコミュニケーションが取れるのではないかという話を書かせていただきました。

(ちょこちょこ前回の記事に加えたい事があるのですが、思い付いたものだけ先に書いときます。人をどこまで信じれるかということに応じて、コミュニケーションの質が変わると思っているのですが、私の場合一つのことに対してしっかりその人を信じることができたら、少しずつ他の面でも信じることができると思っています。)

早速本題に入るのですが、前回の記事の「一部の側面だけでも」というところを詳しくしていきたいと思っています。

自分の一部の側面というのは、
自分が持っている意見ややりたいこと、趣味とかのこと。そして、私が特に合う人を探したいのは自分がやりたいと思っていることについて。

そこで問題となるのは自分のやりたいことは何かを明確にできるか。

自分が少し興味があることは沢山あるけれど、実際もうすでに行動が起こされていることが多い。自分がやらないとできない、自分がやってこそ意味を成すものが見つからない。

組織の運営の仕方とか、どんな感じなのかとかは今自分が活動している団体があるから、そこから学んでなにかしら、やりたいことができた時にすぐに動ける準備は出来ている。

自分のしたいことが分かることなんてそんなに早い時期に分かる人はいない。けれど、分かんない今が一番怖い。

今自分が知っているこれからの人生に対する考え方は二つある。
1. 夢を決めてその夢を叶えるために生きていく。
2. その時々にやりたいと思ったことをする。(1は夢に向かって直線的な生き方をすると思うけれど、2は寄り道をするみたいな感じかな?)

1のメリットは不安が少なく済む、安定できること。私は今の日本の教育制度は1を押し付けている気がする。18歳までにやりたいことを決めて大学を決めて、一度決めた夢をひたすら追う。そんな人生を想定した社会になっている。確かに、早めに夢が見つかっている人には問題ないかもしれない。だけれど、せかされて(ドリハラ等)自分がどう思っているかしっかりと向き合えずにとりあえずで進路を決めて、就職して、忙しくて何も他にできなくて、そんな人生はやだ。

だから私は自分のやりたいことが分からない今、2の生き方をしたいと思う。正直、そんな生き方をできる程人生は甘くないと思う。だけど、自分がどこまで好きなこと探し続けることができるか、好きなことにのめり込めるか、試したい好奇心が今は勝つ。

次回は私のやりたいことに関して。
では、また。