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大人になってからの、読書会

先日友人と神保町をぶらり歩きし、古本を入手してカフェで一緒に読んだ。人と一緒に同じ本を読むということは、大学の授業以来ではないだろうか。(私は文学部でフランス文学を専攻していた。)先生もいなければ正解もない読書会ではあったが、いろいろな解釈を聞くことができとても充実した時間になった。そのときは中原中也の評論を読んだのだが、もちろんカフェでちょっと読書会をやるだけでは時間が足りない。

ということで、オンライン読書会が開催されることになった。mocriでカフェでやったのと同じようにそれぞれ意見を言いながら読み進めるというものだ。「我が詩観」という評論を読んだのだが、当たり前といえば当たり前だろうが、詩人はもとから詩人というわけではないということに気づいた。詩人も研究に研究を重ねて、自分の詩を生み出しているのである。(今回読んだ中原中也がそうであるだけで、ひょっとしたら感覚的に詩を書ける人もいるのかもしれないが)そう考えると、自分が文章を書くのが苦手というのも、あまり書いていない、研究していないからそう思うだけのような気がして、頑張ろうという気になる。

それはそうとして、中原中也は詩に傾倒しすぎてなのか、ウソをついて大学に行っていると親に言いながら実は行っていなかったという、なかなかクズな?エピソードの持ち主である。wikipediaを見てみると面白いかもしれない。

今後も中原中也を題材に、読書会をする予定である。大人になってからする読書会というのは、やらされ感がなく自主的にするものなので、とても面白い。

今回読んだ「我が詩観」は青空文庫にも載っているので、興味がある方はぜひ。「我が詩観」の文字がリンクになっているので飛べます。神はあるか?ユマニテとは?などなど、いろいろ論じています。

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