SDGs後の日本と世界の貧困
2030年以降の世界の問題、あるいは日本の問題は何なのだろうか。
なぜ2030年と年次切っているかというと、それがSDGsの達成期限だからだ。私が大学でフェアトレードとSDGsについて研究して以降の日本政府は、レジ袋の有料化を筆頭に実現に向けた政策や対策を抜本的に行い始めている。しかしレジ袋の有料化では「結局海洋問題の解決には結びつかない」「マイバッグ持参に割に合わない」などの声がSNSを中心に上がってきている。表面的には批判がたくさん盛り込まれているように見えるが、一方でこれは国民全体の意識がSDGsに向かっているという示唆でもあるので、私はとても良い傾向だと思う。しかしながら、自分の利益や損得でSDGsに取り組むか否かを考えているレベルでは、まだまだ認識不足だと言い切れる。プラネタリーバウンダリー(地球限界)から逆算すると、取り組まないことのほうが我々人類の長期的存続を考えれば圧倒的に不利益だということがわかるのに。
私は大学時代フェアトレードを専門として活動を行ってきたが、残念なことにこのフェアトレードでは解決に限界があることをフェアトレードタウンの活動を通して学んだ。なぜなら貧困や社会の諸問題の解決について関心や行動の意識が高い組織や団体は、非営利団体であることが多い。ゆえに活動資金が賄えず、行えるキャンペーンも小規模で不発に終わってしまうことがほとんどだ。ちなみにSDGsの前身であるMDGsは、営利団体の不参加や活動者が少なかったこともあり、世界の諸問題の解決をできず終い。諸問題を後進のSDGsにバトンを引き渡した。
そして私がここで問い正したいのは、これだけ関心を寄せるSDGsは本当に達成できるのかどうかということ。「影響の輪と関心の輪」という概念がある。自分にできることは影響の輪の範囲内、そうでない部分は関心の範囲内という分け方で大枠理解は間違っていない。この概念を通して私が思うのは、この理解の範囲内でSDGsを達成しようとしても、解決されない問題はMDGs同様残り続けれると私は考えている。なぜなら、そもそもできることだけをやってきた結果が現在の世界の状況だからだ。つまりやってこなかったことやできなかったことに足を突っ込む人が増えていかないと、SDGsは達成されない。例えば、本気で貧困を解決しようとするのであれば、まず食料の育たない地域で暮らしている人々をすべて、その場から連れてくる必要があると私は考えている。究極を言えば、貧困地域に住む人々全員を先進国に移住させる。これが最も確実で現実味のある貧困解決方法だ。すでに整ったインフラがそこにあり、言語は違うかもしれないが今ならスマホ1台あればどうとでもなる。そして日本やヨーロッパ諸国のように人口減少に一国経済が悩まされているような国々もたくさんあり、SDGs達成の観点と世界全体の最適化の観点から考えても異論があるとは思えない。しかしながら、それは非現実的だとか生きる権利がなんだとか言って実行する権力者は誰もいない。なぜなら自分の得にならないからだ。そもそもそのくらいにしか、貧困を解決しようとする気がないのがこの点からよく分かる。
しかし何度も念を押すようだが、我々はSDGsに取り組まなければ、次世代どころか我々の生命すら危うい状況にある。それをまず前提として認識しなければならないということを、この文面を読んだあなたには最低限理解してほしい。
ちなみにこの予測は、大学での研究、フェアトレードタウンの活動の現状やSDGsビジネスを通して自分が得ている実体験だけではなく、資本主義経済のマクロ的視点、文化人類学など多岐にわたる自身の知見から、現在の結論に至っている。当たるか外れるかの話などくだらない。2進数的質問のこの確率は50:50だからだ。現在社会に介在する諸問題は複雑であり、我々人間は10進数的に物事を考えなければならない。
小難しい言葉を並べてしまったが、結局私が何を考え生きているのかというと「SDGsで解決のできないあるいは2030年以後に表出化する諸問題を見つけ出し、それらの予防及び解決をしていくことに人生を捧げる」ということだ。ちなみにこれらの問題解決の中心を担うのが「デジタル化」だと私は考えている。