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ビアー

※すみません、トーフビーツさんについてのツイートから来ていただいた方、件のエッセイなこちらです
「希望について」

※縦書きリンクはこちらから https://drive.google.com/open?id=11yRrX0VfRTwkOY-HukpWFsY9ltb1shdv

 坂道の多い町の、坂道をぐいぐい登っていった先にある大学に通っていた。大学の上にもまだずっと坂道が続いていて、ついぞそれ以上上ることはないまま卒業してしまった。

 満員のバスが苦手だった。見知った人と目が合うと、それだけでたちまちイヤホンから流れる音楽に集中できなくなった。ただの耳栓になってしまうのだ。
 それで、毎日歩いて学校に行っていた。夏場はTシャツの色が変わるくらい汗をかいたし、冬はエフェクターの入ったボードケースを持つ手が冷たく悴んだ。しんどくなかったと言えば嘘になるけど、その通路を思い出すとその頃聴いていた音楽が頭の中に蘇ったりするし、その頃聴いていた音楽を聴くとその道を歩きながらくさくさ考えていたことを思い出したりするので、一言でこう、ということが言えない。

 イヤホンが友達だった。現実で聞こえてくる声や音を塞いでいたのも事実かもしれないけど、少なくとも当時は、これが自分の生きがい、と思っていた。いつも頭の中で音楽が鳴っていた。

 三回生になり研究室に入ると、すごく忙しくなった。
 単位を取り終えれば何もすることがない、と聞いていたはずだったのだけど、まったくそんなことはなかった。ただ、勉強するというのはこういうことなのか、という遅すぎる大発見もあって、苦ではなかった。夜遅くまで研究室に残ることもあり、何年もそこにいる博士や院生とも話をするようになって、少しづつ世界が開いていくのを感じた。学部に友達もほとんど出来なくて、ただ孤独だけを感じていたのだけど、そのいくらかは自分の側が扉を閉めていたのだという気づきもあった。
 それでも帰り道、「え、ホースくんバス乗らないの?」と言われながらバス停で別れた。さよならと言った後に、耳にイヤホンをつけて歩いた。サン・キル・ムーンの、ゴースツ・オブ・ザ・グレート・ハイウェイや、XTCのブラック・シーなど。

 研究室に、中国から来ている大学院生の黄さんという人がいた。四角くてフレームのない眼鏡をかけて、髪の毛を短く刈った、すらりと背の高い人だった。中国の都市開発における外資系企業の影響について研究していた。外資系企業が軒を連ねるある中国の海沿いの街では、街並みが近未来的になる一方で、急速に格差が広がっている。ブルーカラーとホワイトカラーがくっきり分かれた都市環境になっている、ということだった。たどたどしいというか、極端に無駄のない日本語で、ゆっくりと低い声で研究の進捗発表をしていたのを覚えている。

 ある日、黄さんと二人きりで研究室に残ることがあった。確か、リチャード・フロリダのクリエイティブ都市論という本の勉強会の準備をしていたのだと思う。

 たまたま研究室を出るタイミングが同じになって、は、と思った。二人でコピー機のパソコンを切り、電気を消した。このままでは、と思った。エレベーターに乗り、どちらかが何も言わずに1Fのボタンを押した。バスで帰らないことを、変に取られてしまうだろうか、と悩んだ。坂道の下に広がる街に明かりが灯っていた。じゃあ、と言うタイミングを見計らっていたら、黄さんもバス停とは反対の、僕と同じ坂道を下る方へと歩き始めた。
 生ぬるい夜だった。

 人気のない小学校の横を歩きながら「卒業したらどうするんですか」と尋ねると、黄さんは「まだ」と答えた。
「日本にいたいけど、中国に恋人がいる」と言った。いつか結婚しよう、ということになっているのだと、黄さんは淡々とした口調で教えてくれた。
 ええ、と、条件反射的に「黄さん、日本に彼女いますよね?」と言ってしまった。同じ領域の大学院生に、黄さんは恋人がいて、二人はいつも中国語で話をしているのだった。黄さんは口の端だけを歪めながら、「そう、日本に来てから好きな人ができてしまった」と、途方に暮れているみたいに言った。
「自分でも情けない話だけど」
 そうなんですね、そうか、そういうこともあるんでしょうねえ、と応えながら、青白い光の灯る児童公園を抜けた。坂下まで下っていくための近道で、黄さんも僕も、どちらともない自然な足取りでその道を抜けていった。
「それでは、中国に帰るんですね」と言うと、黄さんは「んん」と曖昧な声を出した後で、「本当は日本にいたい」と言った。今の恋人のことが好きだからだろうか。
 しばらく沈黙があって、黄さんは日本のことがすごく好きになった、と呟くように言った。
「ホースくんはどこか外国に行ったことがありますか?」と訊かれて、「ありません」と答えた。「旅行が好きではありません」とも言った気がする。
「日本が好きですか」と訊かれて、「わからない」と答えた。「でも、まあまあ好きですね、僕は」と言いなおすと、黄さんは「多分僕も、ホースくんが好きっていうのと同じように、日本のことが好きなのだと思う」と言った。
 今もその公園の、ぼやけた明かりが眩しい。

 坂道を下り切ったところにあるローソンを指差して、黄さんが買い物していいかと尋ねた。ご飯でも買うのかな、と思いながら付いていくと、アサヒのスーパードライのロング缶を手にとって、奢るから一緒に飲もうと言った。
 店の前ですぐにロング缶を開けて、乾杯をした。中国の乾杯ってほんとに全部飲み切って、杯の底を見せ合うんですよね、漫画で読みました、と言うと、こんなの一気に飲めないよと黄さんは笑った。僕の家はそこからほど近く、ロング缶を飲み切るのには足りなかったので、黄さんの歩くままに任せて後をついていった。
 話すことは少なくなっていって、しばらく黙ってビールを飲みながら、下るにつれて明かりの少なくなっていく坂道を辿った。
「日本のビアーが好きです」と、黄さんは言った。「日本、暑いけど、これがあるから」
 そうか、中国のビールとは味が違うのだな、と思いながらスーパードライを飲んだ。そんなことを、当時の自分を思いもしなかった。国によって、ビールの味が違うだなんて。
 当時はお金がなくて発泡酒ばかり飲んでいたくせに、「自分はサッポロ派」と思っていて、スーパードライは奥歯が軋るような感じがするなあ、と思っていた。黄さんはアサヒ派なのだなあ。確かに、こうしてきしっと冷えているのを、歩きながら飲むのにはいいかもしれない。

 学校から自分の家を通り過ぎて行った先にある神社を思い出す。うかつに猫に餌をあげたら、しばらくついてきて困ったことがある。ペットショップに電話して、飼い主を探したことがあった。

「ホースくんは、恋人がいますか」と、黄さんは尋ねた。
「いますが、遠くに住んでいます、黄さんよりは近くですが」と答えると、結婚するんですか?と黄さんはふたたび尋ねた。
 そうですね〜、とか、ははは、そうかもしれないですね、とか、とにかく何だか曖昧な返事をしたような記憶がある。
「大切にした方が良いです」と、黄さんはにやにやしながら言った。あんたが何を言えるんだ、と思いつつも、何だかその朴訥とした片言の日本語が良くて、時々思い出す。
 結局その人とは別れてしまったのだけど。
 黄さんは、家こっちだから、と言って、坂道の途中を右に曲がって行った。僕はもう一本先まで坂道を下って、左手に曲がってぐるりと迂回し、坂道を上って行った。ビールはいつのまにか空になっていたので、公園のゴミ箱に捨てて帰った。イヤホンはつけなかった、と思う。

 同期から研究室の先生を囲む会のお誘いをいただいたときに、黄さんは卒業してしばらく日本で仕事をした後、中国に帰って結婚したと聞いた。それはあのとき、中国に残してきていた恋人なのだろうか。
 そういうこともあるんだろうなあ、と思いながら、サッポロビールを飲みつつこれを書いている。

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