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わたしたちがまともだったころ

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 何回めくらいだろうねえ、とつぶやく。何回おなじ過ちを繰り返せばわかるんだろうね。

「だから金曜日にTSUTAYAに行くのは危険だって」

 明日が土曜日で休みだからと浮かれた気分でいると、つい自分たちには無限に時間があると勘違いして五枚もDVDを借りてしまう。土日は泥のような生活をして、せいぜい一本観られればよいほうだ。平日になんとかしようと言い合うものの、二時間揃って過ごせることが思いの外あまりないということに五枚のDVDが入ったその黒いバッグに気づかされてしまう。段々その円盤の入った黒いバッグから目を逸らすようになる。金曜日の朝家から出る時、持って出るのを忘れる。

 土曜日の開店までに返却ボックスに投函すれば延滞料はかからないけれど、土曜日の朝にわざわざ早起きしてTSUTAYAに行こうなんて気が起きるわけはないのだった。

 夜になってから、わたしたちはふたりでいそいそと、その観たかったはずなのに観ていない映画たちを返しに行く。

 わたしたちがまともだった頃、わたしたちは、こういう過ちばかりを犯していた。

 わたしたちを隔ててしまったのは結局何だったのかなあ、と考えながら TSUTAYA の方に向かう橋を渡る。川と言ってもただの用水路みたいなもので、緑色の細長い草が流れにたなびいているのが見える以外は、透き通っているのか濁っているのかもわからない浅い川だ。

 それでも川はどこかに向かって流れていく。

 たかが二時間そこらで人生のすべてを知った感じになれて最高だよね映画は、とわたしが言うとあちらは、二時間そこらだからすべてがわかるんじゃん、と言ったことを覚えている。映画を観るたび思い出す。よいと思った映画ほど思い出す。人生のことを人生使い果たすほどごちゃごちゃ考えるからわけわかんなくなるんでしょ。二時間ぐらいがちょうどいいんだよそういうのは。

 こんな生活が永遠に続くわけないと、お互いにどこかでわかっていたからこそたちが悪いのだった。変わること、変わらないこと、変えるべきこと、変えないでおくべきこと、まったくそれらの区別ができなかったし、どの要素が自分たちの関係性を支えているのか、生活を維持しているのか、お互いの身体や時間を摩耗させているのかもわかっていなかった。そしてそのままで、ただただ今みたいな時間が永遠に続けばよいと思ってしまっていた。

 なんでこんな晴れた日にバイト入れちゃったんだろう、と呟きながら、もう昼下がりの川沿いを歩いて行く。途中にパン屋があって、よくそろそろ傾きかける頃の光で色あせて見える売れ残りを買って食べながら飲屋街までの道を歩いた。パヤパヤした感じではなく、古くてさびれているけれど、安くて美味しいパン屋だった。バイトが終わる頃には当然、パン屋は閉まってしまっている。パン屋が夕方には閉まってしまうなんてこと、全く認識したことはなかった。そして朝ごはんを食べるなんていう習慣だって、思いつきもしないというべきか、わたしたちには当然のごとくまだなかったので、それを買って帰って次の日の朝一緒に食べようとかいう発想はなかったのだった。あそこのパン屋さん、結構美味しいから今度食べてみなよ。というようなことは言ったと思う。食べたかどうかは知らない。

 わたしたちがまともだった頃、わたしたちは、色々な生き方や生活のリズムがあるのだということを知らなかった。

 試しに川の終わりを見てみようと思って歩いていくと、割とあっさり海にたどり着いてしまってがっかりしたような気持ちになる。手の中の、パンではなく、ビールのロング缶はまだ半分以上残っている。パン屋は潰れて地方にしかないコンビニになっている。国道、フェンス、バイパス、ちょっとした倉庫みたいなもの、そのレイヤーの向こうに狭く海が見える。フェンスから振り返って道を戻りながら、海に、あののっぺりした鉛色の海にでも足なんかつけてみたら何か思うかなあと想像してみる。

 結局それは想像で終わる。

 フェンスから離れて振り返りながら、あの国道、フェンス、バイパス、ちょっとした倉庫みたいなもの、そしてあのなんだかがっかりするのっぺりした海の向こうに何があるのかを想像してみる。海がある、島がある、街がある、風景があるけれど、そのいずれもがなんだかのっぺりした感じで思い浮かんできてしまう。どこまで行っても、何だか自分が知っているような風景しかないのだろうなという気がしてしまう。

 ビールは確実に減っていく。

 煙草、お金かかるからやめようかなあ、と言い合いながら絶対にやめることができないのを当時のわたしたちは知っている。お互いに注意しあうとかは?あ、ちょうどこれで最後の一本だからさ、すぐ吸っちゃってさ、もう絶対買わないようにすんの。コンビニとかもさ、行くとつい買っちゃうから行かないようにしてさ。そしたらアイスとかジュースとかも買わなくなるから、節約にもなるじゃん。こういうのは思い立ったときにすぐ始めると成功したりするんだよ。

 一口吸わせてもらって、自分と銘柄の違う煙草の煙を身体にくぐらせる。吐いた煙が縦に伸びて、公園の低い灯りの周りで混ざり合っているのがわかる。ただ煙が身体を通ってすぐに出てくるだけなのに、どうしてこんなにいい気分がするのだろう。煙が頭の中の余計なものを絡めとって、わたしの中をからっぽにしていくのがわかる。

 いや、俺は俺の思うことを言うけど、というか俺は俺の思うことしか言えないわけだけど、一緒に暮らさなくなったって何も変わらないと思うんだよね。二人でぶつかった壁なんだから、二人で超えていかないといけないんじゃないかなって。お金のことはなんとかなるでしょ。

 わたしたちがまともだった頃、わたしたちは非合理の塊だった。

 今もコンビニのレジで目に入ると一瞬気分が揺らがないでもないし、友達と飲んだりすると一本だけ吸わせてもらったりするのだけど、仮にそうして吸ってしまってもすぐに吸わない自分に戻ってしまえる。

 昔と違って、ただただ昔の記憶を呼び覚ますためだけに煙を身体に入れているということに気づいてしまっている。匂いというのは強烈で、忘れたように感じていても簡単にかつての記憶を数珠つなぎに呼び覚ましてくる。それは空間ごと浮かび上がってくる。吸って、吐き出して、過去と現在を何度も行き来しているうちに、自分が何をしているのかよくわからなくなって火を消してしまう。

 意志が弱くて吸うのをやめられないのではない。意志が弱くて吸うことを憚ってしまう。吸いたくなっても吸うまでその欲望を維持することができないのだ。

 背伸びして吸っていた煙草を、背伸びするまでもなくただ単純に自分の年齢相応になっていると気が付いた瞬間に急激に冷めてしまったことで、わたしは背伸びしたくて背伸びしていただけなのだということが、思い込みではなく事実になってしまう。

 やっぱり俺みたいな人じゃない方がいいよ、ふつうの人とふつうの結婚をした方がいいよ、俺はそういう人生じゃないと思うから、というようなことをあちらが言ったので、ふつうじゃなくていいのにと言ったけど、わたし自身、ふつうじゃないままでいることがどんなに難しいのかわかっていた。別に家に帰ってこない日があっても浮気されても楽しかったらそれでいいよ。お金だってほんとになんとかなってきたじゃん。ふつうじゃなくていいよ。

 そんなこと言ったって、そういうわけにはいかないでしょ。

 色々な個人が色々な生き方をしているということを頭で知っていても、わたしは結局なんとかお金を稼ぎ、そのお金でビールを買い、煙草を吸い、携帯代や電気代を払い、病気になったら病院へ行き、ある日死んでしまうまでそういうことを続けていく流れに巻き込まれてしまっていることを、心のどこかで自覚していた。ふつうじゃないままで生きていけるほどの覚悟がないこと、自分にはちゃんとこの時代と社会の欲望が備わってしまっていることを自覚していた。

 たぶん、俺は、変わらないから。変えようと思って無理してみても、結局変われないまま無理するだけだから。

 わたしたちがまともだった頃、わたしたちは、わたしたちみずから次のフェーズに進んだ。

 崖ってどこからがギリギリなんだろう、と私はすごく狭い歩道を自転車とすれ違いながら歩いていく。

 例えばあの角から、まだこの街で暮らしているかもしれないあちらがふいに現れたとしても、多分わたしは大きく取り乱すこともなく、うつむいて避けたりすることもなく、やあやあ元気久しぶりじゃんみたいなことを言って簡単な世間話をした後、行き来する自転車の圧に気圧されて立ち去るのだろうなと思う。

 だから出来れば、あちらが先にわたしに気づいて、やはりうつむいたりなどして、気づかぬふりで通り過ぎてほしいとわたしは思う。少ししてから振り返ってみたりしてほしいと勝手なことを思う。

 わたしが気づいていないだけで、これまでもそんなことがあったのかもしれないと想像してみながら角を曲がる。

 道の先のTSUTAYAはもう潰れていて、ドラッグストアになっている。ビールの空き缶を自販機の横のゴミ箱に捨てて、中を一周してみる。什器の位置が違うけれど、確かにここはTSUTAYAだった場所で、わたしたちが七泊八日で借りられる準新作を選んでいたコーナーには、化粧品が並んでいる。アイシャドーのポップアップ広告に映っている若い女の子の顔を眺めていると、ふと、ここにあったはずのTSUTAYAがつぶれてしまったのは、ネットフリックスやアマゾンプライムでしか映画を観なくなってしまったわたしが延滞料金を払わなくなったわたしのせいなのだという確信が胸の中に降って湧いたあと、まばたきの間に泡になって消えていく。

 わたしは時間を重ねて歳を取り、経験に基づく知識とか、世間一般の常識とか、何か様々なものを身につけていくようでいて、やはり元々備わっていたはずの何かを摩耗しながら生きている。

 わたしたちはみんな、ひとつしか持っていない身体を使って生きていくしかないわけなので、それが汚れたりすり減ったりすることは当たり前のことなのだ。なんとかやっていきながら、なんとかやっていく方法を身につけ、なんとかやっていき続ける。

 帰り道、川の流れに逆らうようにして来た道を戻っていく。

 わたしたちがまともだった頃、わたしはまともがわからなかった。

 ときめきが足らんなあ、とつぶやいてみて、その言葉のからっぽさに自分でビビる。ときめきって一体なんだろう。喫煙所に誰か他の人がいても、私はこれを呟いただろうか、と自問自答する。息を吸って、吐く。

 信号が青になったのを確認したあとで、煙草の火を消して横断歩道を渡る。変わった、変わらない、変わった、と白線を踏んだり踏まなかったりしながら思う。信号が点滅する頃には歩道にたどり着いている。



表紙ビジュアル制作/houzaki yuwa 

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