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書き言葉として素晴らしい~岩波新書「高橋源一郎の飛ぶ教室ーはじまりのことば」

かつて私が作業をしながら愛聴していたのが、NHKラジオ第一放送で月から金までの午前中に放送されていた「すっぴん」という番組だった。
アンカーのアナウンサー以外に、日替わりのパーソナリティーがいて、私は木曜の川島 明が大好きだった。
翌日の金曜が高橋 源一郎だったのだが、一度もこの人のトークを「面白い」と思ったことはなかった。
むしろ金曜の高橋氏の日になるとガックリというのが正直な気持ちだった。

「すっぴん」が放送終了して久しいが、時折SNSの中で高橋氏のエピソードを目にするようになり、同氏に少し興味を持つようになった。
そしてある時、時間つぶしに書店をブラっとしていた時に、平積みしてある「高橋源一郎の飛ぶ教室ーはじまりのことば」が目についた。

私は1ページ目を読んで面白ければ、まったく知らない本でも買うし、1ページ目がつまらなかったら、たとえ有名な本でも買わない。
同書は、ラジオの冒頭のことばだけを集めたものであるが、とても面白かったので、即買って帰った。
まだ4分の1ぐらいしか読んでいないが、すでに満足感が高いと感じる程、面白い。
さすが作家だ。
ラジオの「話し言葉」は私にとってまったく面白くないが、「書き言葉」は、最高に面白い。
きっと、直に会って話すことがあるとすれば、非常に話が合って意気投合するか、まったくそりが合わないかのどちらかだろうと思う。

↓ 引用したエッセーなどは、非常にうっとりとするほど優れた、いいエッセィだと思う。
特に最後の「蜘蛛が紡いだ・・・」から始まる文章は、短い文章ではあるが、胸を打つ名文である。

私も私の描いた絵が、そんなものになれれば、それに優る幸せはないだろう。

2020年11月13日
失われた時を求めて

こんばんは。作家の高橋源一郎です。
少し前、数分しかない、ある短い動画がSNSの上で流れ、大きな話題になりました。
そこには、1960年代にニューョーク・シティ・バレエ団のプリマとして活躍した女性が出ています。
年老いた彼女は、アルツハイマー症を発症して記憶を失い、車椅子の生活をしているのです。
撮影された場所は、介護施設でしょうか。
動画は、 ヘッドフォンをつけた女性に、若い男性がなにかを促しているシーンから始まります。
それは無理だとでもいうような表情を見せる女性、そして、音楽が流れ出す。チャイコフスキーの『白鳥の湖』です。
彼女のヘッドフォンからも同じ音楽が流れていたのでしょう。
その瞬間、彼女の表情が変わり、手がゆるやかに舞い始めたのです。
老いて、細く、少し曲がっている指なのに、コントロールが完全にはできず、それゆえ少し震えてしまうのに、その指先までが美しい。
ほんとうに美しいとぼくは思ったのです。
圧巻は、彼女の表情でした。
もう八十を超えているかもしれない彼女の、その表情は、明らかに、若いプリマバレリーナのそれだったのです。
遥か遠くを見つめる彼女の視線の先には、確かに、かつて踊った劇場の舞台が映っているように見えました。
短い踊りの時間が終わると、周りから拍手が起きました。
若い男性が、良かった、と声をかけたようです。
すると、彼女は、少しためらった後、首をふりました。
あれではダメね、とでもいうように。
音楽が、記憶の中枢を刺激し、忘れていた過去をよみがえらせるというお話を、以前しました。
彼女もまた、耳の中で流れ出した懐かしい曲に、記憶をよみがえらせたのかもしれません。
いや、仮に記憶はよみがえらなくとも、彼女のからだはすべてを覚えていたのです。
蜘蛛が紡いだ糸も、蚕の作った繭も、それを作った蜘蛛や蚕が亡くなっても、残るように。
切り倒された古い樹の年輪に、その樹が過ごした時間が刻まれているように、です。
そこに行けば、すべてを思い出すことができるもの、自分がなにものであるかを教えてくれるもの、そんなもの、こと、場所が、あればいいですね。
それでは、夜開く学校、「飛ぶ教室」、始めましょう。

岩波新書 「高橋源一郎の飛ぶ教室ーはじまりのことば」p79、80

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