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学校教育に決定的に欠けているものの一つ ⑫  「物事の真髄を探求する精神とマルチな能力を身に付ける機会」

「フィード・バック」
教育の世界ではかなり昔から頻繁に使われている言葉だが、実は現行の教育制度では、この「フィード・バック」は有効に機能していない。また現代ではこの「フィード・バック」は、「肯定或いは否定して発言者に伝える」という狭義にのみ使われているようだ。

しかし本来、英語のfeedbackは、「食べ物を与える」という意味の「feed」と、「返す」という意味の「back」が組み合わさった単語である。転じて、フィードバックする内容は、返される側にとって活かせるものや糧になるものを示す。

つまり教育学においては、行動や反応の結果を参考にして修正し、より適切なものにしていく際に使用する。

本来、①「ねらい(教育の目的)」→②「過程理論」→③「学習者の分析」→④「方策の決定と資料の収集」→⑤「実践」→⑥「検証(評価)と課題の把握」→⑦「①に照らした改善点と新たな方策の決定」という順序でフィードバックは行われるべきである。

しかし、実際にはそうなっていない。何故なら①から④はほぼ考慮されず、⑤からの教育課程が既にびっしりと編成されているからだ。

⑥と⑦は、既成の①~⑤に対してのみ行われる。つまりベースが間違っていたとしても改善される余地が無いのだ。

また①~⑤は、年間スケジュールが隙間なく埋まっていて、恐ろしいスピードで流れていく。学習者の興味・関心はおろか、理解などそっちのけで消化していくしかないのだ。

もしその部分に異論を唱える教育者がいたとしたら、当然ながら自然淘汰される。



少し論点を変えて、実際の場合でみてみよう。

私は、今大怪我をした猫を保護し、世話をしている。
連れて行った動物病院の医師は、私の高校の後輩にあたる人物。まるで監獄のような?進学校であったから、この医師も優秀な成績を修め、獣医学部を出て開業したのだろう。

人気のある獣医師で、評判もよく、私も実のところ信頼を置いている。

怪我は後ろ脚2本をおそらく交通事故でやられ、1本はほぼ切断されていた。
もう一本も肉が削げ落ち、骨や腱がむき出しになるほどのもので、ダメージの大きい方は切断処置となった。
もう一本は、わずかな可能性にかけてギプスでぐるぐる巻きにすることになった。

元々、この猫は飼いネコでは無く、時々うちの庭に姿を見せる子猫だったのだが、さすがにこの大怪我で放っておくわけにもいかず、ケージなどひとそろいをホームセンターで買ってきて、看病と世話を始めたというわけだ。

ところが、切断した方はともかく、ギプスで巻いた方の脚がいっこうに良くならない。と言うか、どう見ても悪化している。
ギプスから出ている脚先はパンパンに腫れあがり、端からは血膿のような液体が流れ出して異臭を放っている。心なしか表情も弱く、心もとない。

一ヶ月半の間に、何度か電話したり、傷の辺りをカメラで撮って画像をメールに添付して医師に送ったりした。
そして医師の判断で2度ギプスを新しいものに変えた。
しかし、やはり状態は悪化していた。

私は後輩である医師にギプスを外すことを提案した。「もうこの状態では、ダメかもしれないが、ダメもとでギプス無しで様子をみたい」と。かえってギプスのせいで内部が化膿し、傷を悪化させていると思ったので。

そして医師も外すことに承諾し、かくしてギプスを外して連れ帰った。
その後まだ数日しか経っていないので、結論を述べるには早いが、見た目にも傷の状態と猫の表情は好転したようであった。

医師の処置は、医学的にはまったく正しいし、100点の治療なのだろう。
でも、何かが足りない。

私はオペと投薬だけで動物の治療は完結するはずなく、プラス動物本来の自然治癒力が絶対的に必要ではないか?と考える。それは馬を飼養した経験から出たものである。

だとしたら、ギプスを外し、猫自身の自然治癒力に任すべきではと。
それは、ベースとして、動物(生命)に対し、リスペクトという側面もあるのだと思う。

しかし、後輩である医師には、「フィード・バック」で言う①~④が無く、⑤からがスタートなのである。
何故なら彼自身が高校から大学と「暗記→復元学習」しか体験したことがないからであろう。彼がどれだけ一生懸命になっても治験やマニュアル、他の石からの情報治療に関するマニュアルなどが基本ベースであり、スタートであるからして、それ以外の①~③という思考パターンにならないのだ。

人間の体はよく、小宇宙に例えられる。
まだまだ人間の及ばない部分は無限にあるはずだ。

だからこそ、後輩医師は、物事の真髄を探求する精神とマルチな能力を身に付ける機会を獣医学部の学生時代に保障されなければならなかったのである。

また、「病気や怪我のことは専門家である医師にしかわからない」という先入観は、時に「他人に丸投げ」になってしまう。
本当に大切なことは、まず自分自身で①から考えを構築していく必要があるはずだ。
ネットが発達した現代では、十分にその素地が整っている。

残念ながら現行の教育システムでは、このようなフィード・バックに関する学習思考(パターン)は形成されないだろう。








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