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定価で売った方がよいのか、チップ制がよいのか

先日、イオン系の商業施設に家族と買い物に行った折、待ち合わせに30分ほどあったので、初めて地階にあるコーヒー・スタンドに入った。店は半分が豆を売るスペースで、もう半分がカウンターなどでコーヒーが飲めるようになっている。

またスタバやドトールなどのように435円とか、10円、1円単位で無く「アメリカン400円」「本日のおすすめ500円」と、100円単位のメニューが目に入ったのが、まず気に入って、入ってみようと思う決め手となった。
カウンターと言っても、スナックのスツールのような椅子ではなく、ひじ掛けのある椅子である。カウンターの幅も広いので、スマホを立てかけ、noteで、おもしろそうな記事をザッピングした。

筒の中に丸められた伝票には、やはり「400」と書いてあったので、お店の人に声をかけ、100円玉4個を伝票の上に置いて店を出た。

何が言いたいのかと言うと、
「サービスに非常に満足したので、チップを払ってもいいくらいだった」ということ。
その時、「定価で400円払う」のと「チップ制になっていて、満足して100円チップを置いていく」としたら、経理上の利益はまったく変わらない、つまり利益率は変わらないのだが、「精神的な満足度というか、豊かさ」は全く違う。
もしこの時、この店がチップ歓迎みたいなシステムになっており、定価が300円であったならば、間違いなく100円以上のチップは置いていっただろう。
そして、その事実が私自身の気持ちを随分と高めてくれるに違いない。

昔、アメリカやヨーロッパに旅行した時、「チップ」というものがよくわからなかったし、何割出さないといけないのかとか、面倒くさいものだと思った記憶がある。
しかし、自分で商いをするようになってから、このチップ制の意味というものが、遅まきながら少しわかってきたような気がする。

海外のサイトを覗くと、スタバがチップ制を導入した折には、とても不評だったそうだ。
それはそうだろう。チップ制というものは、その人が、そのお店の人がやっている、その考え方とやり方が好きだから!という事が大前提なのである。



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