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「僕の子ども絵日記」 ボツ画4枚

(2011年)12/6、NBC長崎放送さんの情報番組「あっ!ぷる」で「僕の子ども絵日記」を紹介していただいたのですが、プロデューサーさんが大変才能のある方で、スタッフさんもすばらしかったおかげで、とても良いものに仕上がっており、意外なくらい反響をいただきました。
お陰様で、十数年ぶりに教え子数人からも連絡をもらい、うれしい思いをさせてもらいました。

「僕の・・・」には本になる直前にスペースの関係でボツになった絵がありまして、それは「タイムスリップ軍艦島編」に付けられるはずだった「私の好きな軍艦島の○○」です。

まずは「ドルフィン桟橋と人道トンネル」

軍艦島への上陸を現在も尚、はげしく困難にしているのは軍艦島付近の早い潮流と深い水深。通常の防波堤などは、おそらくあっという間に波にさらわれてしまいます。(島全体が波を被ることすらあるのですから)
絵に書いているように1代目、2代目と流された後、技師達が造り上げたのが、このドルフィン桟橋です。
初めて軍艦島に行った時は、まずこのドルフィン桟橋と人道トンネルがどういう構造でつながっているのかを見たい、ということでした。


2番目に軍艦島、高島と長崎港を結んでいた「夕顔丸」

三菱長崎造船所が初めて造った鉄鋼船で、その製造方法は砂浜に杭を打ち、熱した鉄板を人力で曲げるという信じられないような作業でした。もちろん接合はリベットでつないであります。戦時中は揚子江を遡り、被弾もしたという夕顔丸は、島民から絶大なる信頼を得ていました。
出来ることならば永久保存して欲しかったのですが・・・


3番目は2号棟

私の「故郷」であるアパートはとっくの昔に取り壊され、「私の故郷は永遠に失われた」と思っていたのですが、軍艦島に初めて来て、アパート群を見た時、「ここに残っていてくれたのだ!」と感激しました。
そんな中でも昭和25年に建てられた2号棟(画像白い建物3号棟の手前)は私の住んでいた「はやぶさ棟」と年代がほぼいっしょであるせいか、デザインも色合いも酷似しているのです。


最後に31号棟

イラストの中に書いてある通りなのですが、厳しい海域にある軍艦島の中で、もっとも強大な波が押し寄せる場所を受け持っているのが、この31号棟なのです。壁も厚く、窓も二重・・・。不格好かもしれませんが、強さゆえの美しさを感じさせてくれる建物なのです。


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今、世界遺産の構成資産にもなった「軍艦島」は、長崎市の観光の中で、揺るがない地位を築いている。
しかし、この「軍艦島」、残そうと思って残していたわけでは無かった。

三菱端島炭鉱(通称:軍艦島)が閉山となった後、「インフラ完備」というふれこみで、企業誘致を図ったのだが、いくら何でも立地条件が悪すぎて売れなかった。
そこで、壊すの金がかかるので、放っておいたとところ、「廃墟マニア」から目を付けられ、「昭和のリアル・タイムカプセル」みたいな場所としてしられるようになったというわけだ。
その後、観光的な価値があると知るや否や、現在のような場所に整備して、無断上陸を禁止した。


私自身は、一度だけテレビ取材クルーと一緒に内部に入ったことがあるが、自分が暮らしていた古い昭和のアパート(2号棟)の前に立った時などには、不思議な感覚に襲われた。それは「ノスタルジー」なんていうものではない。

都会の人は、こういうものを求めてやってくるのであって、どこにでもあるような商業施設や箱ものではない。

2番目に紹介した「夕顔丸」も残しておいて展示する等の先見の明があれば、長崎市の観光もまったく違うものになっていただろう。
(元記事:2011年12月07日 2022年12月8日追記)



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