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猪という動物を知っていますか?

猪。イノシシ。
古くから日本に馴染みのある動物で、十二支のひとつ。「猪」の字が入った苗字も大変多いですね。

最近では「鬼滅の刃」に登場する「伊之助」でも、その存在が注目されるところでしょう。

ところが、「猪」に関するイメージと言うのはwikipediaでは凶暴性が誇張され、ネット上ではハンターが捕獲したり、被害に遭った件ばかりが目に付くようです。

wikipediaに投稿・編集する人というのは、何らかの被害に遭ったり、恐怖感を覚えた人が圧倒的に多いでしょうから、致し方ないかと思います。ネット上も然りです。

長崎のような地方に住んでいても、実際に猪に遭遇する機会があるかと言えば、ほとんどの人がそんなことはありません。
猪のイメージが「猪突猛進」「狂暴な野生動物」「恐い」といったものであるのは、致し方ないことです。

実際、私自身も結構最近までそうでした。

対州馬を山中にある放牧地で飼い始めた頃、猪がごく近くまで出没する形跡に恐怖を感じました。

まるで「小型重機」で掘り返した様に、辺りをえぐり、餌となるミミズや根を探しています。
けっこう大きな石も簡単に掘り返されている、その強大なパワーに驚きました。

「こんな動物に襲われたら、たとえ馬でもひとたまりもない!」と思い、対馬の保存会などにアドバイスを求めたりして対策しました。

付近には個人の畑や果樹畑があり、そこも無残にやられていました。
当然、所有者は怒り、罠を仕掛けたり、ハンターに依頼したりしたようでした。

しかし、私は「罠」というものが生理的に嫌いで、放牧地のすぐ近くに捕獲檻が置いてあったりするのは、耐えられませんでした。

 私自身、牛肉も豚肉も鶏肉も食します、その陰で実に多くの命が人知れず失われていることは勿論わかっています。直接手をかけずに、その恩恵だけに預かっている身勝手さも観念としては理解しています。

しかし、「牛や豚と違って、猪は、狂暴な害獣だから殺して駆除していいのだ」という考えで多くの猪が殺されていることは、それは違うと思っています。

先日、こともあろうか、新しい対州馬の放牧地のすぐ脇で、狩猟免許を取ったばかりで、猪駆除に躍起となっている人物が、くくり罠で猪を捕殺しました。

ワイヤーで脚を挟み、逃げられなくなった猪を「槍のような鋭利な道具で、突き殺す」のです。すぐ近くに民家があるので、猟銃は使用できないからです。

私は現場を離れましたが、おそらくその恐ろしい断末魔は、近所の住宅街に響き渡ったでしょう。


私の猪に対する見方が変わったのは、馬を飼い始めてからでした。
最初はものすごく警戒していた猪も、結局何の害も馬には及ぼしませんでした。

第一に食物がまるで違い、利害は一致しません。争う理由が無いのです。

他に放牧地にはイタチや野鳥なども多く現れましたが、同じく利害は一致せず、馬はたとえカラスが背中にとまっても平気な顔をしていました。

静寂な自然の中にいると、かすかな物音も馬や野生動物はキャッチします。
馬の世話をしている時に何度か猪の姿を見かけましたが、危険が及ぶ前に猪はすぐに森に帰っていきました。

よくお年寄りが山でイノシシに遭遇し、襲われたりするのは、猪が退路を失うような状況まで人間側が気付かず進んでしまった為、やむを得ず猪が攻撃したのだと思います。

ある時は、馬を曳いたまま、子連れの猪とばったりと遭遇しました。
うりん子は慌てて茂みに逃げ込みましたが、母猪は、子どもを守る為か、正対したまま動きませんでした。

身体の大きな馬を進めると逃げるかと思い、少し進んだのですが、母猪はその姿勢を変えず向き合ったいました。

猪の強い母性を感じたので、これ以上進むと危ないと思い、馬と引き返しました。

それ以来、私の「猪に対する見方と感情」が変わりました。
もちろんその後、馬が亡くなった今も一度も猪に怖い思いをさせられたことはありません。


この冬、里山は記録的な木の実の凶作で、熊や猪たちの餌が無かったといいます。

その為に、多くの熊も人里に降りて餌を探さざるを得なかったようで、多くの事故が発生し、多くの熊が駆除されたというニュースがひっきりなしに流れました。

もちろんお年寄りや小さな子どもさんがいる家庭にとって、身近な場所に熊や猪が出る可能性があるということは、かなりの恐怖です。
正しく怖がることは絶対に必要です。

しかし、一方で「一年365日、24時間、コンビニに行きさえすれば食べ物を手にし、飢え死にすることのない」人間と、そうではない他の動物の命ということを考えることもとても大切なことと思います。

私たちは、もっと「動物」について観念やイメージでなく、よく理解することが大切なのだと考えます。


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