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少女の日記としてではなく、一人の人格ある人間のものとして「アンネの日記 増補改訂版(文春文庫)」を読む ⑯ アンネの一番の望みは、彼女の死後実現したということ

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                            

1944年4月5日水曜日
(前略)というわけで、 いまはすっかり立ちなおり、気分を一新して勉強に励んでいるところ。ばかにならないように、将来ジャーナリストとしてちゃんとやってゆけるように。
そうなんです、だってそれこそわたしのなりたいものなんですから!文才はあると思っています。わたしの書いたお話には、ふたつばかりいいものがありますし、《隠れ家》のことを書いた文章には、ユーモアもうかがえます。日記には、表現力豊かな言いまわしがたくさん見られます。
とはいえ……ほんとうに才能があるかどうかわかるのは、まだまだ先のことでしょう。
「エーファの見た夢」は、わたしの書いたお話のなかではいちばんよくできていますが、奇妙なことに、その着想をどこから得たのか、自分でもよくわかりません。「キャディーの生涯」にも、けっこういい部分はありますけど、全体としては、たいしたものじゃありません。
わたしの作品にたいする最良の、そしてもっとも手きびしい批評家は、わたし自身です。
どこがうまく書けていて、どこがうまくないか、自分でもちゃんとわかります。書くことを知らないひとには、それがどんなにすばらしいことだかわからないでしょう。
以前、絵の下手なことをわたしはずいぶん嘆いたものですが、 いまでは、せめて文章を書くことができて、よかったと思うことにしています。
かりに、本を書いたり、新聞記事を書いたりするだけの才能がなかったとしても、そう、自分ひとりの楽しみとしてだけなら、書くことはいつだってできますものね。
といっても、そうあっさりとあきらめるつもりはありません。うちのおかあさんや、ファン・ダーンのおばさんや、その他大勢の女性たちのように、毎日ただ家事をこなすだけで、やがて忘れられてゆくような生涯を送るなんて、わたしには考えられないことですから。わたしはぜひともなにかを得たい。
夫や子供たちのほかに、この一身をささげても悔いないようななにかを。
ええ、そうなんです、わたしは世間の大多数の人たちのように、ただ無目的に、惰性で生きたくはありません。周囲のみんなの役に立つ、あるいはみんなに喜びを与える存在でありたいのです。
わたしの周囲にいながら、実際にはわたしを知らない人たちにたいしても。わたしの望みは、死んでからもなお生きつづけること! その意味で、神様がこの才能を与えてくださったことに感謝しています。
このように自分を開花させ、文章を書き、自分のなかにあるすべてを、それによって表現できるだけの才能を!。
書いていさえすれば、なにもかも忘れることができます。悲しみは消え、新たな勇気が湧いてきます。とはいえ、そしてこれが大きな問題なんですが、はたしてこのわたしに、なにかりっぱなものが書けるでしようか。いつの日か、ジャーナリストか作家になれるでしようか。
そうなりたい。ぜひそうなりたい。なぜなら、書くことにいって、新たにすべてを把握しなおすことができるからです。わたしの想念、わたしの理想、わたしの夢、ことごとくを。
もう長いあいだ、「キャディーの生涯」には手を加えていません。心のなかでは、物語がどう発展してゆくか、手にとるようによくわかっているんですけど、なぜだかそれがペン先から流れでてきてくれないんです。もしかすると、 ついに完成させられないかもしれません。行きつく先はくずかごか、それともストーブのなかか。そう思うとぞっとしますが、そこで思いな
おします。たった十四で、ろくな経験もないのに、人生哲学についてあんたに書けるはずなんかないじゃない、って。
というわけで、わたしはまた勇気を奮いおこして、新たな努力を始めるのです。きっと成功すると思います。だって、こんなにも書きたい気持ちが強いんですから!
じゃあまた、アンネ・M・フランクより

アンネの日記増補新訂版 p432~434


「アンネの日記」のひとつの核心的な部分と言って、差し支えないだろう。
もし小学校から、大学のような教育機関において、「アンネの日記」を取り上げるのであれば、下の一節だけ取り上げて、論じてみるのも大変意味があることでは無いだろうか。

『 うちのおかあさんや、ファン・ダーンのおばさんや、その他大勢の女性たちのように、毎日ただ家事をこなすだけで、やがて忘れられてゆくような生涯を送るなんて、わたしには考えられないことですから。わたしはぜひともなにかを得たい。
夫や子供たちのほかに、この一身をささげても悔いないようななにかを。
ええ、そうなんです、わたしは世間の大多数の人たちのように、ただ無目的に、惰性で生きたくはありません。周囲のみんなの役に立つ、あるいはみんなに喜びを与える存在でありたいのです。
わたしの周囲にいながら、実際にはわたしを知らない人たちにたいしても。わたしの望みは、死んでからもなお生きつづけること! その意味で、神様がこの才能を与えてくださったことに感謝しています。
このように自分を開花させ、文章を書き、自分のなかにあるすべてを、それによって表現できるだけの才能を!。
書いていさえすれば、なにもかも忘れることができます。悲しみは消え、新たな勇気が湧いてきます。とはいえ、そしてこれが大きな問題なんですが、はたしてこのわたしに、なにかりっぱなものが書けるでしようか。いつの日か、ジャーナリストか作家になれるでしようか。
そうなりたい。ぜひそうなりたい。なぜなら、書くことにいって、新たにすべてを把握しなおすことができるからです。わたしの想念、わたしの理想、わたしの夢、ことごとくを。

アンネは、この日の日記を、次のような文章で締めくくっている。

『 そこで思いなおします。たった十四で、ろくな経験もないのに、人生哲学についてあんたに書けるはずなんかないじゃない、って。
というわけで、わたしはまた勇気を奮いおこして、新たな努力を始めるのです。きっと成功すると思います。だって、こんなにも書きたい気持ちが強いんですから!』

アンネがこの日日記に綴った強い想いは、4か月後ゲシュタポによって逮捕連行された日、隠れ家生活を支えた一人であるミープ・ヒースによって拾い上げられた日記帳の中に遺され、今日私を含めた世界中の読者にインスパイアを与えている。
「死んでからもなお生きつづけること」。アンネの願いが叶っていたことは、大きな希望と言っていいだろう。



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