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少女の日記としてではなく、一人の人格ある人間のものとして「アンネの日記 増補改訂版(文春文庫)」を読む ⑥ 家族の「子ども扱い」に苦しみ、自己昇華しようとする

洋の東西、時代の新旧を問わず、親や大人による「子ども扱い」という差別や存在に対する敬意の無さは、アンネの日記の中に喝破されている。
しかし、彼女は己に対する厳しい見方を忘れず、その苦しみを越えて自己昇華しようとしている点に、注目すべきであろう。

一九四四年一月十二日、水曜日

親愛なるキティーヘ
ベップは二週間前から復帰しています。もっとも妹さんのほうは、来週からやっと学校に出られるようになるらしいとか。ベップ自身も二日ほど、ひどい風邪で寝こみました。ミープとヤンまでがそろって二日間、勤めを休みました。ふたりともおなかをこわしたんだそうです。
目下わたしはダンスとバレエに熱中していて、毎晩、熱心にステップを勉強しています。マンサのものだった淡いブルーの、 レースの縁どりのあるペチコートを使って、とびきリモダンな稽古着をつくりました。襟ぐりにリボンを通して、まんなかで結び、さらにピンクの畝織りリボンのベルトを締めれば、さあできあがり。運動靴をバレエシューズにしようともしてみましたが、こちらはうまくゆきませんでした。体がほぐれて、もとどおりの柔軟さがもどりかけています。練習のうちでいちばん苦しいのは、床にすわり、両手でそれぞれ足の踵をつかんで、そのまま両脚を空中に持ちあげる体操です。これをするためには、お尻の下にクッションをあてなくちゃなりません。そうしないとかわいそうなお尻が悲鳴をあげますから。
いまここでは、みんなが『雲 な き 朝』という本を読んでいます。思春期の子供の間題がいろいろ書かれているので、おかあさんはとくにいい本だと考えています。それでわたしは、内心ちょっと皮肉を言ってみたくなりました。「それよりも、おかあさん自身の子供のことをもうちょっと心配したらどうなの?」って―
おかあさんはどうやら、 マルゴーやわたしが両親とのあいだに、これ以上は考えられないほどすばらしい関係を保っている、そしてまた、自分ほどに子供のことを深く気づかっている親はいない、そう思いこんでいるようです。でもそれは、明らかにマルゴーだけを見ているからで、はっきり言ってマルゴーは、わたしのような悩みも持たなければ、思想なんてものも持た
ないと思います。とはいえわたしはおかあさんにむかって、お母さん自身の娘たちの場合、けっしておかあさんの想像してるような関係じゃないわ、なんで指摘するつもりはこれっぽっちもありません。指摘したところで、おかあさんはとまどうだけで、どう態度を変えたらいいかもわからないでしょうし、そのためにおかあさんを不愉快にさせたくもありません。とりわけわたしにたいする態度は、そうしたところで変わりっこないとわかってるんですから。たしかにおかあさんは、わたしよりもマルゴーのほうがずっとおかあさんを愛していると思ってますけど、同時に、わたしもいずれは段階的に変わってゆくはずだという考えも持っています。
マルゴーはこのところ、とてもやさしくなりました。以前とは別人のようですし、前のような意地悪なところもなくなり、ほんとうの親友になりかけています。もうわたしのことを子供扱いして、相手にしてくれない、なんてこともありません。

一九四四年一月十九日、水曜日夜・
親愛なるキティーヘ

どうしてそうなったのかはわからないんですけど(毎度おなじみのドジー)、わたしはいつか夢を見たときから、自分が変わったことに気づいていました。ちなみに、ゆうべまたペーテルの夢を見て、今度も彼のさぐるような目を感じましたけど、夢そのものは、この前のときほどきれいでも、鮮明でもありませんでした。あなたもご存じのとおり、わたしは以揃いマルゴーのパパとの結びつきによく焼き餅を焼いたわけですけど、いまはもう、そういう嫉妬心は影も形もなくなりました。いまでも、パパが不機嫌なときなど、理不尽な扱いをされてむっとすることはありますけど、すぐにこう考えなおすんです。パパたちがみんなこんなふうだからって、責めることはできないわ。パパたちはよく子供のことを話題にするし、若いひとの考えかたについても議論するけれど、なによりも、若いひとのことなんかなんにもわかちゃいないんだから、 って。わたしが渇望するのは、パパの愛情以上のもの、パパのキスや抱擁以上のもの。でもそんなことばっかり考えてるのって、わたしのほうこそ利己的なんじゃないかしら。
だれにでも親切に、気持ちよく接したいと望むのだったら、わたしのほうこそ真っ先にみんなを許すべきじゃないのかしら。もちろん、おかあさんのことだって許す気はあります。ところがなかなかそんな気になれないのは、おかあさんがなにかといえばわたしを笑いものにしたり、皮肉っばい態度をとったりするからです。
わたしも自覚はしています、自分がそうあるべき人間から、はるかにへだたっているぐらいのことは。はたしていつか、そういう人間になれるときがくるでしようか。
アンネ・フランク

追伸―パパからケーキのことをあなたに話したかと訊かれました。おかあさんへのお誕生日のプレゼントとして、事務所の人たちが戦前のような本物のモカケーキを贈ってくれたんです。ほんとにすてきな贈り物― でも、いま現在はわたしの頭のなかに、そういうことを考える余地はほとんどありません。 .



アンネの日記増補新訂版 p289 290 294 295



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