耳は無く、目も鼻も口も、どこにあるかわからない。
前か後かすらも、はっきりとしないようなケロイドを負った小さな子どもが、新品の鉛筆とノートを受け取ると、「うれしそうに」帰って行った、というくだりが何とも切なく哀しい。
「原爆投下はむごたらしい人体実験」だという見解も、私と同じである。
「勝山小学校前の文房具屋さん」は、もしかすると私が大変よくしてもらった、今は無き勝山市場の鶴田商店のお身内の方かもしれない。
「若い世代に体験を話しても、十分に伝わらず、むなしくなる」戦争が、今現在、ウクライナで起きているのだ。
我々は、その現実を一体、何%受け止めているのだろうか?