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日本の英語教育は、相当根本から見直した方がいい

あるTV番組を見ていた。
ヒマラヤでシェルパをやって7,000mくらいまで登頂した経験もあるネパール人のシェルパ(族)の男性が、日本人のベテランガイドと一緒に富士山に登るという企画だった。
日本人のベテランガイドは、30年のガイド歴があり、当然富士山のことは知り尽くしていた。
しかし、ネパール人は、そもそもネパール語と英語を話すことができる。
富士山には世界中から登山にやってくるのだが、英語は世界共通語みたいなものなので、スペイン語やドイツ語などの海外からのネイティブも、会話レベルの英語は十分身に付けている。
そのシェルパの男性は、海外からの登山者を見つけると自分からすすんで声をかけ、その都度会話が弾んでいた。

深夜8合目あたりを過ぎたあたりで、天候が急激に悪化し、気温も下がった為、動けなくなった登山者たちが続出した。
ヒマラヤを知るシェルパにとっては、なんということはなかっただろうが、結構登山者の中には、軽装で経験も乏しい者が多く、生存すら危ぶまれた。
シェルパの男性は、いち早くその状況に気付き、心配そうな登山者を見つけては、声をかけて下山をうながした。
つまり、彼は登山をしながらも、つねに周りにも気を配っていたのだ。
30年のベテラン日本人ガイドと、初めて富士山に来たネパール人のシェルパの男性、どちらが富士山のガイドとして適しているのか、考えてみてほしい。

私が日本語学校の校長をしていた時、私は「日本の文化」や「コヴィー博士の7つの法則」といった題材でいくつか授業を行ったが、それらは英語で行った。日本語で行っても、到底理解できないからだ。
ネパール人は、子どもの頃から英語のみで学校で授業を受けてきているから、経済的には恵まれなくても、英語で会話することが誰でもできる。
しかし、日本人教師は、一切英語を使わなかった。いや、使えなかった。
私は彼らを見下しているわけではない。
しかし、残念ながら教師たちは、完全にアジアの留学生たちを下に見ているような言動をとった。
そのような時、「世界から見ると、はたしてどちらが上とみられているのだろうね?」と思った。
また「自分が母国語以外の言語をマスターした経験が無いのに、どうやって外国人に日本語を教えるのだろう?」とも。

日本の英語教育は、相当根本から見直した方がいい。


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