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表裏 人柄わかる 年賀状

プラスもあれば、マイナスもある年賀状を卒業しようと決めてから、数年。

完全に辞めることはせず、自分と相手にとってプラスになる間柄の人とだけやりとりしようと決め、そうでない方には、「時代の流れに沿い、年賀状を卒業することにしました。今まで長い間、ありがとうございました。」と書き添えて送りました。

ここ数年、教員時代の仲間で、根はいい連中なのですが、表にも裏にも一切肉筆が無くダイレクトメールのような?賀状を毎年機械的に送り付けてくる数人にも同様の文と、「ひと言でいいから、何か書き添えた方が〇〇先生の魅力が伝わると思いますよ!」ということを書いて送りました。
その後、やっとDMは止まりました(笑)。
長年のもやもやがやっと解消されました。

「たかが年賀状」と思われる方も多いかもしれません。
しかし、「されど年賀状」なのです。

『 門松は冥土の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし 』という一休の狂歌もありますが、元日は誰にとっても意味のある日には違いありません。
そこで目にすることになる年賀状は、受取り手が穏やかになるものや、嬉しくなるようなものにしたいものです。

見事な年賀状の贈り方をする人もいます。

そんな一人は、私が教師となった最初の学校の教え子。
この人は、自分が学級担任になったことはなく、たった一年だけ教科担任として教えたことがあるという間柄なのですが、40年近く経った今でも、ていねいな年賀状を送ってくれます。
昨年は、ご不幸があり、年賀状は来なかったのですが、喪中はがきの中に、
「皆様の年賀状は大変楽しみにしておりますので、お待ちしております」というような文言がありました。
教え子とは言え、流石だなと感心しました。


もう一人は、90歳を越えた母方の叔母。神戸に住むこの叔母は、私の家が貧しかった頃、自分のうちも大変だったにも関わらず、クリスマスには必ずモロゾフのチョコレートを贈ってくれる人でした。
その叔母も、近頃大変弱ったと聞いていますが、今年の正月も震える字で「元気ですか」と書き添えて年賀状を送ってくれました。
その母、つまり私の祖母もそういう感じの人でした。
私の自慢の叔母です。

もう一人。Y先生。
教員時代の大先輩で、名物教師でした。
夏には上半身裸に下駄ばきという格好で出勤してきます。何か揉め事があると一升瓶を担いでいって、その生徒の父親と酒を飲んで解決するといった豪放な面と繊細な面を持つ人でした。
その先生もだいぶ高齢になられたので、ご負担を考え、「卒業」の年賀状を送ったのですが、まだ構わず「元気ですか?」という年賀状を送ってくれます。
きっと「まだ半端もんが、なんば言いよるとか!黙って受け取っとけ!」とでもいうようなことなのでしょう。




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