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軍艦島になり損ねた島 ~ 中ノ島

軍艦島ツアーガイドをしていた時、軍艦島のすぐ横にある島(岩礁)、中ノ島について説明する際、「軍艦島の埋め立て前は、あの中ノ島よりも少し小さな島だった」と言うと、けっこう驚く人がいました・・・

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ツアーでは、軍艦島の手前にあるので、中ノ島について説明を始めますが、ゲストの皆さんは、見えてきた軍艦島の姿に釘付けで、おそらく説明も耳に入っていません・・・

関西や関東など、遠くから来た人も多かったので、それは無理からぬことですが・・・

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これは、炭鉱があった頃の中ノ島の姿です。おそらく軍艦島の北端から撮られています。
2本あったという竪坑のやぐらや、おそらく発電所か製塩工場の煙突、そして住居群が見えています。
中ノ島鉱は軍艦島よりも早い明治17年に三菱社が買収し、操業を始めますが、わき水が多く明治26年には操業停止となった、短命の炭鉱でした。

閉山後は、公園や、軍艦島で人が亡くなった時の火葬場として使われました。また軍艦島で亡くなった無縁仏も多数、この島に埋葬されたそうです。そういった意味では、鎮魂の島であるわけです。

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写真を見ると、驚くべきことに、住宅や施設群は、外洋側に面して建っています。
海が荒れた時の恐怖感は、いかばかりだったろうか、と思うと、明治の先人たちのフロンティア・スピリットに対して、感嘆するばかりです・・・
ツアー客のほとんどが、そういったことを気にとめることもなく、通過していってますが、香焼島、横島、伊王島、高島といった途中に見える島々も、かつて先人たちが希望をかけて採掘に挑み、生活を守ってきた場所なのでした。

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