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飢餓に苦しむ人、1億とも言われる難民の人々に「寄付する」のではない。余分に流れてきている食料や金銭を、今生きている全ての人々の方へ「まわす」のだ

さびしいことに日本は、寄付する額が、他の国に比べて絶望的に?少ないと言う。

これは宗教観の違いだとする説明もあるが、それで片づけていい問題ではない。

当然、生活するということは、現実的なことだ。
生きていくためには最低限生きていくための食料を買う金がいる。
これは、世界中の全ての生きている人にとってそうだ。宗教や国籍、人種、文化は関係ない。

また人間は食料さえあれば、生きていけるというものではない。
社会の中で生きていくには、ライフラインの費用や住居に係る費用は最低限必要で、その他雑多な諸費用の他、家族や親族などを扶養し支える為の費用が必要だ。
将来のためのそれらの費用を蓄えておくことももちろん重要で、実際には少しでも貯蓄して蓄えざるをえないのが実情だろう。

しかし一方で、24時間で数万人の栄養不良の乳幼児が命を落としており、今この世界に「難民」と呼ばれる人が1億人以上もいることも知っている。

この恐ろしい数字に立ち向かうには、当然個人レベルでは手も足も出ない。
問題が途方もなく深刻すぎるのだ。

しかし、だからと言って何も考えなくてもいいということではない。
具体的に「寄付をしなさい」という単純なことではない。

また、「寄付をする。自分は、他人よりも少し良いことをしているのだ」という感覚は少し違うのではないかとも思う。
どこか上からの目線で、弱い立場に置かれている人を自分とは区別してみている心があるのではないだろうか?

そうではなく、『 今、自分のところに余分に流れてきている食料や金銭を、今生きている人々の方へ「まわす」のだ 』ということをどこか頭の隅に置いておけば、行動や言動は、必ず違ったものになってくるだろう。


そのひとりひとりの「小さな想い」が、やがて大きな潮流となって何かが変わってくることを期待するしかないのだ。




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