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馬のシアワセって、何だろう

永遠に答えが出ないことなのかもしれませんが、時々「馬にとってのシアワセって何だろう?」と考えます。

宮崎県都井岬の御崎馬なら、そんなこと考える必要も無く、そのまま生き続けることがシアワセなのでしょう。

しかし、私が絶滅から救いたいと願っている対州馬は、自然の生態系の中で生きているわけでは無く、必ず人が関わる中で生きています。

ですから、この命題は、「人が関わる動物にとってのシアワセって、何だろう?」と言ってもいいかと思います。

生きていくのに必要な食べ物を与えられ、繁殖活動が出来たとしても、人に決して心を開かない馬を少なからず見てきました。

一日中、ほぼ四角い枠の中に閉じ込められている馬もいれば、人間と一緒に労働に従事する馬、乗馬の為に色んなゲストを載せる馬と様々です。
何がシアワセかを絞ること自体が無理なのかもしれません。


しかし、やはり元々が草原を自由に駆けていたという事を考えると、やはりある程度の自由が利く場所で生活し、一生のうちに一度くらいは繁殖活動を経験させてやりたいという思いがあります。

私の場合もベースにはそういった考えがあり、狭いながらも放牧というスタイルで飼育していました。

馬の能力と魅力を広く知ってもらうことで保存活動の輪が広がっていった後は、仕事を引退し、繁殖のためにパートナーと巡り合って欲しいと思っていました。

馬を人間が飼育すること自体が、色々と馬の生活に制約を与えることになります。

馬が好きだからと言って馬を飼い始めたものの、忙しさのあまりほぼ餌を与えるだけでは、馬のシアワセとはどんどん離れていくように思います。

一方、馬を猫っ可愛がりしたり、思い通りにしたいと強制・束縛を繰り返すことも然りだと思います。

一番大切なのは、根底に馬という動物の存在(being)を認め、命への敬意(respect)を払いながらも規律を持ち、愛情を持って誠実に接することだと思います。

それは、馬に限らず、犬猫など人間が関わる全ての動物、いや人間相手にであっても必要なことだと考えます。

(その関係性は、とっても深淵なるものであり、そのもっともドラマティックなストーリーのひとつが、上野 栄三郎博士と秋田犬 ハチ公なのでしょう。馬についても、「スーホの白い馬」を始め、数々の伝承・語りとなっています)

そのような態度・精神で接してもらえた馬はシアワセと言えるのではないか、これが私の現時点での答えです。

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