見出し画像

生きている間に、人に必要な言葉をどれだけ発することができるか。また、言うべきでない余計な言葉を心の中に仕舞っておけるか。


いろんな時代の、いろんな境遇や立場の人が自叙伝などで必ずと言っていいほど書いているのが「その時、〇〇から言われた言葉」です。

それは時にプラスになるものも当然ありますが、圧倒的に多いのは「言われて傷ついた、ショックだった言葉」。つまり心無い言葉ですね。

こういう「悪い言葉」のたちの悪い特性は、発する方がそういうダメージを相手に与えているという自覚が無いことが多いということです。

心無い言葉をコンスタンスに投げつけてくる相手が、職場などであれば、改善の見込みがない場合、最悪物理的に離れるという手段が取れますが、これが「断ち切ってしまう」ことができない親、保護者だったりすると厄介です。

また、毎日嫌でも顔を合わせることを強制される学校において、これをやられるとそれは確かに「殺人的な」行為に他なりません。

私は外国人相手に日本語を教える日本語学校の校長をやりましたが、文法や会話だけを教えるのではなく、「言葉をどういう風に使うべきか」また「どういう言葉の使い方をするべきではないか」ということを併せて教えるべきだと感じてきました。
そして、自分の授業時間がある時には、そのことを教える授業をやりました。

もし、学生が「使うべきでない」言葉を発した時には、「何故、それを使うべきでないか」という内容で時間をとってじっくり話しました。


日本の学校教育カリキュラムには、そのような項目はないし、そのようなことを教えたりする時間的な余裕は一切ありません。

しかし、私は、「他人の人格や尊厳を傷つけたり、侮辱したりするような言葉」「多数派と違っていることを馬鹿にしたり差別したりするような言葉」の使い方をする時には、短時間でもいいので刹那的に厳しく指摘する習慣をつけるべきと思います。(感情的でなく反射的にかつ、相手にわかるように行う。あとをひかないことが大切です)
それはもう幼稚園や保育園の段階からあってしかるべきと思います。

その延長線上に、「他人やSNS上で、他者に対して発すべき言葉や、言う必要の無い余計な言葉、また胸の中にしまっておくべき言葉の使い方」を学ぶという大切な学びがあるのだと思います。



※「チップ」は有難く拝受させて頂きます。もし、この記事が多少でも役に立った、或いは「よかったので、多少でもお心づけを」と思われましたら、どうぞよろしくお願いいたします。贈って頂いたお金は1円たりとも無駄にせず大切に使わせて頂きます。