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全長303mの被爆建築物 - 三菱造船船型試験場

正式には「三菱重工業長崎研究所船型試験場」といい、全長303m、幅16.5mという細長い形は船の模型を使って性能を調べる為の試験水槽があるがゆえです。
全体的に戦前の姿をとどめる建物の中で、現存する最大のものなのですが、地味な存在のためかあまり知られていません・・・。

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爆心から1.6kmと聞いてもピンときませんが、下の図を見るといかに原爆の破壊力がすさまじかったかがわかるような気がします。これは原爆投下から一ヶ月後にアメリカ軍が上空から撮影したものです。

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あたり一面、形のあるものは吹き飛ばされ、熱線で焼き尽くされ、何もなくなっているのがわかります。中央が多くの死傷者を出した三菱長崎兵器製作所(現・長崎大学文教キャンパス)。右上に細長く枠だけが見えるのが船型試験場です。

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被爆時、屋根は爆風により吹き飛ばされ、建物はくの字にまがりました。

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へし曲がった鉄骨だけが残る兵器製作所のまわりには何も見えません。すっかり原子野と化していますが、船型試験場は何とかその姿を保っています。また奇跡的に中の試験水槽は無傷で残った為に、この建物は取り壊しを逃れ、修復・再生という選択を得ることができました。

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これが現在の船型試験場です。大改修が行われたものの、やはり壁が爆心地とは反対方向に傾いているのがおわかりでしょうか?青い扉と壁の間に傾きにより出来ている隙間を埋める処置が施されています。

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それでも尚、この施設は現役として使用されており、三菱長崎造船所で建造される船は全てこの試験場で、模型による試験が行われています。

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昭和18年にこの地に完成した建物は原爆という悲劇をくぐり抜けて今もその姿をとどめ続けています。

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被爆から66年経った今年も、平和公園や爆心地公園、原爆資料館には多くの方が訪れたようですが、おそらくこの建物を「被爆建造物」として目にされた方はほとんどいなかったでしょう。
地元の人からも忘れられつつある、この建物もやはりなんらかの方法でもっと注目・認識されるべきでしょう・・・

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