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長崎市民である我々は、「原爆の記憶が薄れつつある」と言うが、一方「東京大空襲」などについて、どれだけのことを知っているか?

我々長崎市民にとって、8月9日が近づいてくると、鼻の奥がツーンとするような感覚がある。

最近では、「長崎に原爆が落ちた日は?」と尋ねてもわからない若者が増えたとか、被爆の記憶が薄れてきたと危惧する声が良く聞かれるようになったが、一方で最近、今後心配に思うこともある。

それは、原爆のことを学ぶ一方で、「他の戦禍の事実」について学ぶ機会や関心が薄れているのではないか?ということ。
例えば、犠牲者の数では、長崎原爆をはるかに上回る東京大空襲。その主な日を知っているだろうか?

1945年3月10日の空襲では、想像も絶するような焦土作戦が遂行され、長崎の7万人を超える10万人が命を落としたのだ。
そのひとつひとつ、「絶命」の実相は、「空襲で焼け死んだ」などという生易しいものではない。
10万人以上の人間が、いきなり高温に熱されたオーブンの中に投げ込まれたような状態だったのだ。

東京大空襲の遺構は、ほとんど残っていないとされるが、その中のひとつ、墨田区と台東区を結ぶ言問橋には、空襲によって焼き殺された人間の脂が、黒い染みになって残っていると言われています。

東京大空襲が、そして「火の雨」と呼ばれた焼夷弾が、どういうものであったかは、次のwikipediaからの引用を読んでもらえれば、おおよそのことは判ってもらえるだろう。

東京都は、1944年(昭和19年)11月24日から1945年(昭和20年)8月15日まで、106回の空襲を受けたが、特に1945年(昭和20年)3月10日、4月13日、4月15日、5月24日未明、5月25日-26日の5回は大規模だった。

その中でも「東京大空襲」と言った場合、死者数が10万人以上の1945年(昭和20年)3月10日の夜間空襲(下町空襲。「ミーティングハウス二号」Meetinghouse )を指す(77年前)。この3月10日の空襲だけで、罹災者は100万人を超えた。

wikipedia

M69焼夷弾(AN-M69)。6.2ポンド(2.7㎏)ナパーム弾。1942年に開発されたM56尾部点火式爆弾の改良型。直径8cm、長さ50㎝、でM50焼夷弾と同様に、六角形の金属製容器にゼリー状のナパーム剤とマグネシウムが充填されてあったが、通常38発が収束されてE46-500ポンド収束爆弾(クラスター爆弾)として投下された。一定の高度でバラバラになって落下したが、他の焼夷弾との相違点は水平安定板がなく、代わりに1.2mの「ストリーマー」と呼ばれる綿製のリボンが落下時に尾部から飛び出して、姿勢の安定と落下速度の調整を行った。日本家屋の瓦屋根を貫通させるためには激突時の速度をあまり早くする必要はなく、ストリーマーによる減速で M50焼夷弾の1/4の速度に抑えられた。このストリーマーに火がついて燃えながら落下してくることが多かったので、あたかも“火の雨”が降ってくるように見えたという。六角形の金属製容器が建物の屋根を突き破ると、導火線が作動し5秒以内にTNT火薬が炸裂、その後に混入されたマグネシウム粒子によって、布袋に入ったナパーム剤を点火し、その推力で六角形の金属製容器を30m飛ばして半径27mもの火の輪を作り周囲を焼き尽くした。内部に詰められたゼリー状のナパーム剤から、この焼夷弾は「goop bomb」(ベトベト爆弾)と呼ばれていた。
アメリカ軍はM69焼夷弾の開発にあたって、1943年3月にダグウェイ実験場(ユタ州)での実戦さながらの実験を行っている。その実験というのは演習場に日本式家屋が立ち並ぶ市街地を建設し、そこで焼夷弾の燃焼実験を行うといった大規模なものであったが、日本家屋の建築にあたっては、日系人の多いハワイからわざわざ資材を取り寄せ、日本に18年在住した建築家が設計するといった凝りようであり、こうして建てられた日本家屋群には日本村という名前が付けられた。M69焼夷弾のナパーム剤で炎上した日本式家屋は、日本の消防隊を正確に再現した消防隊の装備では容易に消火できず、日本に最適の焼夷弾と認定された

wikipedia

長崎市民にとって、忘れようにも忘れられないB-29爆撃機「ボックス・カー」。しかし、広島市民にとって「エノラ・ゲイ」がそうであったように、名も無き1機1機のB-29は、大切な家族を失った方にとっても忘れられない名称なのである。

同時に、私たちは、戦争の加害という面にも目を背けてはならないだろう。
「世界史上、初の都市への無差別爆撃」は、日本軍が中国の都市に対して行ったものであり、ユーラシア大陸に最も近かった我が長崎県の大村にあった航空基地からは、多くの爆撃機が渡洋爆撃を行うために出撃し、多くの罪なき市民を虐殺する結果を引き起こしたのだ。

「戦争」を、そして「平和」を学習する場合、そのすべてのサイドから検証し、第三者的にとらえなければ、何の意味もないだろう。
「戦争反対」は、ほとんどの人間がわかっている。しかし、なぜ現実に今もこうして、戦争は引き起こされているのだろう。
「どうやったら、戦争に発展する前に、とどまらせることができるのか?」
戦争を引き起こさない為の「ソリューション」を構築することを主に学習を展開すべきなのである。


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