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長崎/人物・歴史・エトセトラ

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#長崎

私が紹介したい長崎 ④ ド・ロ神父が眠るキリシタン墓地が語りかけてくること

パリ外国宣教会の神父として、外海(そとめ)地方を拠点に活動し、生涯故郷フランスに帰ることなく、ここ出津(しつ)の地に眠っています。 旅行者はほとんど出津教会やド・ロ神父記念館を見学して、墓地には来ないと思いますので、ド・ロ神父が眠るカトリック墓地を紹介したいと思います。 「カトリック墓地が語りかけてくる言葉」をぜひ聞いてみて欲しいと思います。 墓地は、外海中学校(旧出津小学校跡地)の向かいの出津川を挟んだ山あいにあります。 墓地の前にはツーリスト用の駐車場があります。

私が紹介したい長崎 ③ 十字修道会の古い門と近くのカトリック幼稚園の聖母子像

まず観光客が行かない場所であるし、ほとんど知られていない。 十字架や秘密聖堂跡、ルルド、カトリック墓地など、この地区には、「浦上四番崩れ」と呼ばれたキリシタン弾圧にまつわる偉大な歴史ストーリーが満ち溢れている。

私が紹介したい長崎 ② 馬がつくった街からの夜景

撮影した場所は、観光バスはおろか、自家用車も駐停車できない場所である。 この夜景をゆっくり見るには、歩いてくるしかない。 従って、場所を詳しく書かない。 ここは、かつて馬方さんをされていた方が、「ここいらの家は、みんな建てる時に、馬が資材ば運んで建てたとばい。」と言われる場所である。 山裾や、坂の斜面地に坂段と呼ばれる小径が蜘蛛の巣のように張り巡らされた場所。 そこに浮かぶ灯は、ひとつひとつが、それぞれの家族が灯す、やさしい灯なのである。

さよならJR長崎駅前高架広場

2023年5月末にて、JR長崎駅前の高架広場が、撤去の為に通行不可となった。 「もう、お前の懐かしい長崎は、無くなっていくのだよ!」と言わんばかりに、自分にとっての長崎が、姿を消していき、哀しい。

長崎市の風景 本原教会の聖ペドロ・バプチスタ像と浦上の谷

本原教会の聖ペドロ・バプチスタ像と「浦上四番崩れ(カトリック大弾圧)」の舞台となった浦上の谷。 「マリアの山」「十字架山」「秘密教会跡」「浦上養育院」「お告げのマリア修道会十字修道院」「カトリックこうらんば墓地」「聖フランシスコ病院」など。 時代こそ変わっても、この谷間一帯こそが、「カトリックの郷(さと)」なのです。

仕事日記ブログのバナー集 (冬編)

池島アパートの一室を見せてもらう

軍艦島ガイドをしていた時、お客さんの中で「少しでいいから、アパートの中を見てみたい」と言われる方がけっこうおられました。 それはただの好奇心からくる、と言うよりは「自分自身が幼い頃生きていた時代を思い出したい」というようなものではなかったかと思います。私自身が初めて軍艦島に来た時も同じような感覚を持ちましたので・・・ 都会からツアーに訪れる多くの方が「あの頃は・・・」と懐かしそうに昔を語られます。その時代を思い出すとにより自分自身の「アイデンティティーを再確認する」というこ

上五島へ ~ 中ノ浦教会

長崎新聞の連載時代に、一個所だけ現地を訪れていない場所。 それが上五島でした。 端島や高島、池島といった炭鉱の島に魅せられ、その炭鉱とも縁の深かったカトリック教会(炭鉱マンには信者が多かったそうなので)。 先日歩いた北松では、炭鉱町は無くなっていても、点在するカトリック教会の場所で、かつての炭鉱集落の位置がわかりました。 ともかく、ここ上五島にゆくことになるのは、必然的なことに思えましたし、実際の上五島は予想をはるかにこえた、いい場所でした。 上陸した奈良尾港というのは、こ

上五島へ~男はつらいよ 寅次郎恋愛塾のロケ地

上五島行きで、ぜひとも訪れたかったのが、昭和60年、夏に公開された映画「男はつらいよ 寅次郎恋愛塾」のロケ地になった場所です。映画が撮影されてから、もうかれこれ25年ぐらいが経っていますが、渥美 清さんが立ち、眺めたその場所にどうしても行きたいと思っていました。 ポスターにもなっている教会は、丸尾教会です。周りは随分と変わったようですが、教会の白さと海の青さだけは変わっていないようです。この丸尾地区のおこりは、外海地方から迫害を逃れて移り住んできたキリシタンの子孫たちだそう

心が帰れる場所 長崎浜屋 屋上プレイランド

人には、絶対に「心が帰れる場所」が必要である。 それが、生まれ故郷にあるということは、本当に幸せなこと。 うちにとって、そのひとつ、もう本当に残り少ない場所のひとつが、長崎浜屋の屋上にあるプレイランド。 先日、高齢の母とラインでやり取りしている時に、私が2,3歳の頃、2つ上の兄が住吉幼稚園に通いだしたすぐの頃、母が私だけを連れて、このプレイランドで遊ばせたらしい。 何でも、兄と一緒だと、いつも兄の乗りたいものばかりになってしまうので、一度兄がいない時に、ゆっくり好きなもの

平成25年度で閉校した 南島原市立津波見(つばみ)小学校は「孝子の里」である小さな集落の中心

南島原市加津佐町津波見(つばみ)名。島原半島の観光地である小浜温泉のある雲仙市と南島原市の境付近にある小さな集落であり、半島の南端である口之津へ向かう251号線からは集落がよく見えない為、その存在を知らずに通り過ぎる観光客も多いと思います。 251号線沿いに立っている「本朝二十四孝の一人安永安次生誕の地」と記された看板から山側に入るとすぐに集落が現れました。 その中心に建っているのが、南島原市立津波見(つばみ)小学校です。 コンクリート造の校舎の前には、平屋の木造校舎がま

「僕の子ども絵日記」 ボツ画4枚

(2011年)12/6、NBC長崎放送さんの情報番組「あっ!ぷる」で「僕の子ども絵日記」を紹介していただいたのですが、プロデューサーさんが大変才能のある方で、スタッフさんもすばらしかったおかげで、とても良いものに仕上がっており、意外なくらい反響をいただきました。 お陰様で、十数年ぶりに教え子数人からも連絡をもらい、うれしい思いをさせてもらいました。 「僕の・・・」には本になる直前にスペースの関係でボツになった絵がありまして、それは「タイムスリップ軍艦島編」に付けられるはずだ

帆場岳/拝み石 ~ キリシタンたちが、二百年にわたりパードレを待ち続けた場所

先日、娘が進学の為、長崎を離れる前に最後に一緒に登った山、帆場岳に登ってみた。 今回は、その時には行かなかった直登コースを行ったのだが、あれから一年ちょっとの間に、山は激変していた。 山頂付近に何らかの新しい通信施設を建造する為に、重機が上がる林道が無理やり造られており、杉林をなぎ倒し、登山道をズタズタにして横切っていた。 這いあがるようにしてやっと、頂上付近まで登ったが、そこに待っていたものは、カトリックの古い史跡であり、聖地でもある「拝み石」であった。 これは、画面の

仕事日記より 「ナガサキ、昭和40年代のサヨナラたち・・・」(2011年09月14日)

(2011年09月14日)記述: この間、ふと「長崎のニュース00年誌」みたいなやつをめくっていると、どうも昭和40年代の長崎というのは、やたら「サヨナラ」の文字が付く記事が多いような気がしました・・。 まず41年12月には「長崎競輪」の廃止。強く廃止の意向を示してきた県と、貴重な財源として継続を望んできた市との間で、法廷闘争の一歩手前まできた競輪問題でしたが、当時の諸谷市長は17年間続いてきた競輪事業の廃止を決断しました。場所は今の松山サッカー・ラグビー場にあたります。