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長崎/人物・歴史・エトセトラ

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2022年12月の記事一覧

上五島へ~男はつらいよ 寅次郎恋愛塾のロケ地

上五島行きで、ぜひとも訪れたかったのが、昭和60年、夏に公開された映画「男はつらいよ 寅次郎恋愛塾」のロケ地になった場所です。映画が撮影されてから、もうかれこれ25年ぐらいが経っていますが、渥美 清さんが立ち、眺めたその場所にどうしても行きたいと思っていました。 ポスターにもなっている教会は、丸尾教会です。周りは随分と変わったようですが、教会の白さと海の青さだけは変わっていないようです。この丸尾地区のおこりは、外海地方から迫害を逃れて移り住んできたキリシタンの子孫たちだそう

映画「にあんちゃん」の中に見る、昭和34年の鯛之鼻炭鉱の風景③

こういうキャプチャーはいかがなものことは思いますが、「にあんちゃん」はVHSも廃盤になっているようですし、DVDとして復刻するかどうかも現時点ではわかりません。 昭和44年に閉山してから、(2011年当時で)早や44年。鯛之鼻で働いていた、或いは暮らしていたという方もだいぶ年齢が上がってきていると思われますので、少しでも見ていただく機会になればと考え、このシリーズをUPしています。今回は鯛之浦のいろいろな風景を紹介したいと思います。 ↓ めずらしいと思われる木製の炭函。

映画「にあんちゃん」の中に見る、昭和34年の鯛之鼻炭鉱の風景②

松浦市福島町原免(はるめん)鯛之浦。・・・現在では民家の1軒もなく、かつて人が暮らしていたということを想像することも難しく、ましてやここに賑わった炭鉱町があった・・・とは到底信じられないような状況になっています。 わずかに残るコンクリートの構造物や、緑に飲み込まれつつある廃屋だけが当時の名残をとどめるものとなってしまっています。 今回は、この場所にあった鉱業所や社宅街の様子などを紹介したいと思います。 「にあんちゃん」では、冒頭お父さんがなくなった葬儀のシーンで炭鉱住宅

映画「にあんちゃん」の中に見る、昭和34年の鯛之鼻炭鉱の風景①

炭鉱町の象徴とも言えるのが、ボタ山ですね。ちなみに北海道の炭鉱ではズリと呼びます。 ロケ地であった鯛之鼻炭鉱のボタ山は、海に面した場所にあるせいか、勾配がゆるやかであるように見えます。 原作の「にあんちゃん」では『あんちゃん(長兄)は、すいせんボタのさおどりをして・・・』とあります。水洗により分けられた粗悪な石炭を、炭函(炭車)に積み込んで運ぶという仕事をしていたわけですね。 手前に見える丸い輪が、炭函をひっくり返して石炭を下に落とす、チップラーというものです。 チップ

心が帰れる場所 長崎浜屋 屋上プレイランド

人には、絶対に「心が帰れる場所」が必要である。 それが、生まれ故郷にあるということは、本当に幸せなこと。 うちにとって、そのひとつ、もう本当に残り少ない場所のひとつが、長崎浜屋の屋上にあるプレイランド。 先日、高齢の母とラインでやり取りしている時に、私が2,3歳の頃、2つ上の兄が住吉幼稚園に通いだしたすぐの頃、母が私だけを連れて、このプレイランドで遊ばせたらしい。 何でも、兄と一緒だと、いつも兄の乗りたいものばかりになってしまうので、一度兄がいない時に、ゆっくり好きなもの

映画「にあんちゃん」の中に見る、佐賀県肥前町高串からの鯛之鼻炭鉱の灯

安本 末子さん原作の本「にあんちゃん」を映画化した「にあんちゃん」からのキャプチャーです。 今では無人の野となってしまった長崎県福島・鯛之鼻に存在した鯛之鼻炭鉱の貴重な風景を紹介する意味で、このキャプチャーを掲載しております。 夏祭りに帰ってきた長兄とにあんちゃんが港から沖を望むシーン。 このシーンは現・佐賀県唐津市肥前町田野の高串港で撮影されています。 となると、沖に見える対岸の灯は実際の鯛之鼻炭鉱の灯、ということになります・・ 高串港では、夏祭りのシーンが撮影されてい

平成25年度で閉校した 南島原市立津波見(つばみ)小学校は「孝子の里」である小さな集落の中心

南島原市加津佐町津波見(つばみ)名。島原半島の観光地である小浜温泉のある雲仙市と南島原市の境付近にある小さな集落であり、半島の南端である口之津へ向かう251号線からは集落がよく見えない為、その存在を知らずに通り過ぎる観光客も多いと思います。 251号線沿いに立っている「本朝二十四孝の一人安永安次生誕の地」と記された看板から山側に入るとすぐに集落が現れました。 その中心に建っているのが、南島原市立津波見(つばみ)小学校です。 コンクリート造の校舎の前には、平屋の木造校舎がま

親しみの持てる街の要素って何だろう? ~ 2012.1月半ばの大黒・恵美須市場にて

あんなにも明るい笑顔で迎えて、声をかけてくれた方のお店が遂に閉まってしまいました。 もうこの扉が開かれることは二度とありません・・・ 2011年12月の同じ場所 同じ場所を撮っているとは思えません・・・ 「自分の住んでいる街に親しみを感じる」「好きになる」また「誇りに思う」っていう要素とは何だろう?と考えてしまいます。 所得番付47都道府県中、いつも下から2~3番目という長崎であれば、「豊かさ」や「便利さ」はあがらないでしょう。 かつて「坂道だらけで大型商業施設の入り

「僕の子ども絵日記」 ボツ画4枚

(2011年)12/6、NBC長崎放送さんの情報番組「あっ!ぷる」で「僕の子ども絵日記」を紹介していただいたのですが、プロデューサーさんが大変才能のある方で、スタッフさんもすばらしかったおかげで、とても良いものに仕上がっており、意外なくらい反響をいただきました。 お陰様で、十数年ぶりに教え子数人からも連絡をもらい、うれしい思いをさせてもらいました。 「僕の・・・」には本になる直前にスペースの関係でボツになった絵がありまして、それは「タイムスリップ軍艦島編」に付けられるはずだ