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長崎/人物・歴史・エトセトラ

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2022年4月の記事一覧

原爆により全壊も、職員の必死の作業で資料消失を逃れた ~ 長崎市立西浦上小学校

1945年8月9日の原爆投下により校舎が全壊した主な学校は、私の母校である西浦上小学校、西坂小学校、そして瓊浦中学校などですが、瓊浦中学はともかく、西浦上小や西坂小が「被爆・被災校」として紹介されることはまずありません。 私などは、低学年のうちに転校したとはいえ、西浦上小に在籍していたにも関わらず、同校が全壊した被爆校であることも、慰霊碑が建っていることも耳にすることはありませんでした。不思議なことです。 何度もこの前を通りながら、一度もこの碑に手を合わせることをしなかった

戦争は当然「被害と加害」が1セットであり、セットで「平和学習」を行わない限り戦争の本質をとらえさせることは できない

以下は、私が2013年にブログに投稿した記事です。 私の生まれ育った長崎県は、地図をご覧いただければわかるように、中国大陸と最も近い場所に位置します。 従って、古来より大陸との往来も盛んであり、私の愛する在来馬「対州馬」もルーツは中国大陸のなのです。 一方、戦争の歴史においても、前線基地となったことは否めず、特に「世界初の都市への無差別爆撃を行った」中国・錦州、重慶などへの渡洋爆撃は、長崎県大村市にあった飛行場などからも多くの爆撃機が出撃していきました。(現在は自衛隊の