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長崎/人物・歴史・エトセトラ

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2022年1月の記事一覧

寝台特急あかつき

昭和世代にとって、街のシンボルとも言える建物などが消滅していくことは、まるで自分のアイデンティティーの基が揺らいでいくような思いがします。 そのようなもののひとつに寝台特急「あかつき」があります。 あかつきは、2008年3月に廃止されました。 丁度、この頃、毎週長崎駅近くに用事があり、確か19:20頃出発するあかつきを見送りに行ってましたが、引退間際こそ注目されたあかつきも、まだその頃は、ガランとしたホームに見送る人もなく・・・乗客もほとんどいない。という感じでした。運転士

長崎市・昔の写真 「 大黒恵美須市場 」2012年1月20日

☆彡 10年前に撮った、大黒恵美須市場の写真。 狭い通路の両側に魚屋や居酒屋など店舗が数十件つらなっていて、二階が住居になっています。 被爆後、店舗・住居を無くした多くの被災者のために、岩原川を暗渠として造られた市場は、「長崎らしい」光景として好きだった所。 おそらく新県庁の移転先に近いことから景観を損ねるということで、様々な理由をつけて撤去・解体された地。 この中の数人とは未だにお客さんとして交流があります。 (2022年1月現在記)

長崎原爆投下時、疎開など人々の移動の際の主力は、馬だった

これは長崎に限ったことではないのですが、終戦間際は、戦艦や戦闘機の燃料すら不足していたくらいですから、本土の一般人が使用できるガソリンなどの燃料はまったくありませんでした。 ですから、本土空襲が激しくなって、都市から周辺地へ疎開する場合に、主力となったのが「馬車」でした。 原爆投下前に母とともに市内から長崎市北部にあたる長与町高田郷に疎開した愛敬 恭子さんの著書「被爆哀歌」には、その時の様子が綴られています。 愛敬さん母子が疎開して47日後に原子爆弾が投下されます。

長崎の花売り馬

平成9年2月まで最後の現役・荷運び馬として頑張っていた馬と練習ではあるが、歩いたことがありました。 長崎市西山木場の馬場からずっと西山ダムまで。