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長崎/人物・歴史・エトセトラ

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2021年12月の記事一覧

愛敬 恭子 著 「被爆哀歌」

長崎に生まれ育った者として、幼い頃より膨大な被爆体験を読んだり聞いたりしてきたが、この書は「被爆体験」にとどまらず、人生や人間の生きるエッセンスをほぼ網羅している秀逸な一冊で、長崎や被爆に直接関係の無い方にもぜひ一読をお薦めします。 もちろんその時代前後の実相を伺い知るのに最適と言って差し支えないものだと思います。 また大切なご家族や存在を亡くされたり、病いや育児、健康や経済生活など多岐にわたる精神的な悩みを抱えている様々な世代にも強く一読をお薦めします。 私は本当に偶然

百万トン・ドックと南極観測船 宗谷に、つながる松尾造船の始まりは、旭大橋のたもと

長崎市弁天町にある三菱電機体育館。高台にあるこの体育館は、地元の人にとってなくてはならないレクリエーションの場ですが、この場所こそ松尾鉄工(後の松尾造船)の創設者、松尾孫八の邸宅跡です。 当時の海岸線は、この崖辺りで、画像に見えるバスの走っている場所は渚であったと思われます。 長崎港を眼前にのぞむこの場所は、かなり眺望のいい一等地であったと思います。現在の高台からは、高層マンションなどに阻まれて、まったく海岸が見えない状況となってしまっています。 この先を進むと高台から下

子ども 日本風土記〈長崎〉より③ 「おとうさんが事故で死んだ」

2021年現在のWikipediaによると、 『 長崎造船所タービンローター破裂事故(ながさきぞうせんじょタービンローターはれつじこ)は、1970年(昭和45年)10月24日に三菱重工業長崎造船所で試験中の蒸気タービンローターが破裂した事故である。死者4名、重軽傷者61名が発生した。同事故の原因究明と対策はその後の製鋼、熱処理、検査技術に進展をもたらした。 事故当日、三菱重工はスペインENDESA社向けの33万kWタービンローター初号機の過速度試験を行った。ローターは胴部