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愛敬 恭子 著 「被爆哀歌」

長崎に生まれ育った者として、幼い頃より膨大な被爆体験を読んだり聞いたりしてきたが、この書は「被爆体験」にとどまらず、人生や人間の生きるエッセンスをほぼ網羅している秀逸な一冊で、長崎や被爆に直接関係の無い方にもぜひ一読をお薦めします。

もちろんその時代前後の実相を伺い知るのに最適と言って差し支えないものだと思います。
また大切なご家族や存在を亡くされたり、病いや育児、健康や経済生活など多岐にわたる精神的な悩みを抱えている様々な世代にも強く一読をお薦めします。

私は本当に偶然、この本に巡り合いました。

古本屋では、時々レアな郷土史がみつかるので、この本も何気なく目に留まり、買っていたのでした。105円でしたし。
しかし、その後長い間開くことも無く納戸の書庫に眠っていました。

そしてまた、まったくの偶然からこの本を読む機会が「降りて」きました。
偶然につぐ偶然から、この本を読むこととなりました。

結果、この本は私にとって非常に重要な本の一冊となりました。

大袈裟な言い方では無く、この書は単に戦前戦後の実相を伝えるだけではなく、「人生哲学や人の生きる意味にも、大きな示唆を与えてくれる書」であり、時に何かにつまづいた時には、手に取って何度でも読み返したくなるような本なのです。

愛敬さんは原爆投下前、爆心地に近い地区にお腹に身籠った母親と二人で住んでおられました。父親は出征中でした。

そんな時、父親の知人のつてで、長崎市郊外の長与村(今の長与町高田郷)に荷馬車を使い疎開しています。これは父親の人徳が功を奏したのでしょう。(高田郷は、現在私が住んでいる場所から目と鼻の先になります)

その後、長崎は原爆に見舞われました。瀕死の重傷者たちは皆、病院や鉄道のあった長与町、時津町に逃げてきましたから、愛敬さんと母親は多くの、もはや老若男女の区別もつかないような姿の瀕死の被爆者に接することになります。また、当然この時、かなりの放射線被爆をしています。

後に愛敬さんは看護士の道を歩まれ、看護学校の教師となるなど、看護士の養成にご尽力されていますが、その根底にはこの時の体験が少なからずあったことでしょう。

終戦となっても、父親は電気工として有能であったため、ソ連軍から解放されず、ご家族と再会できたのは昭和24年のことでした。
その間、愛敬さんと母親、そして生まれたばかりの幼い妹は納屋のような場所に住みながら極貧生活に耐え、地元の子ども達から「疎開もん」扱いを受け、いやがらせにも遭っています。

ようやく引き揚げてきた父親は、極寒のシベリアで多くの仲間が還らぬ人となる中、やっと生き延びて帰ったのですが、元の職場である三菱電機からは、「長くソ連にいたから共産主義にかぶれている」という根も葉もない差別によって再就職を拒まれています。

体を壊していた父親はなかなか仕事に就くことができず、長崎市の飽ノ浦教会の上の斜面地に掘っ建て小屋のような家を弟に建ててもらって暮し始めますが、その後も永い間、貧しい生活に苦しんでいます。
中学を卒業する時も高校進学する費用を工面できず諦めていたのですが、母親が三菱病院での准看護師養成事業を見つけてきて、そこに入所(看護を学びながら病院の雑事をすることで給金も貰えた)しています。

この時の母親の「もし夫に先立たれたとしても、資格さえ持っていれば何とかなる」という進言が、愛敬さんの人生に大きな影響を与えています。

その後、愛敬さんは結婚されていますが、ご長男さんがダウン症という障害を持っておられ、7歳の時に亡くされるという辛い体験をされています。

ちなみにご長男さんをつれて長崎大学病院で初受診した時、診察にあたった医師がまるで長男さんを医学標本のように扱って、周りにいた学生たちに説明したという酷い待遇をしたことから、当時の医療体制・精神に対して、強い反骨精神を抱き、その後の、ご自身の看護職養成過程の改善の為に役立てられています。

ご長男さんの障害についてはご自身の被爆が影響したのではないかという思いがご自身を苦しめたのですが、その後も妹が末期癌となられ、医療側の立場の人間として告知できぬまま看取ることになり、更に辛く哀しい体験をされています。

子どもの為に身をやつして働いて育て、看護の道を拓いてくれた母親は痴呆という状態で亡くなられています。

しかし、父親は若い頃大変な苦労をしたにも関わらず、その人徳は生涯消えることは無く、高齢となっても施設の友だち、自治会の仲間に囲まれ、ある日、食堂で食事中に他の人がふと気づくと亡くなっていたという最後をとげられています。

戦争、核、貧困、差別、医療制度、障害児教育、癌の告知、老人の痴呆、自治会、老人養護施設、終活・・・・など、この世に生きる人間には悩みが尽きません。
時にそれは生きていることさえ辛くさせることもあるでしょう。
そんな時にこそ、手に取って読み返してみて欲しいのが、この愛敬 恭子さん「被爆哀歌」なのです。


若き日の愛敬さん



愛敬さんとご長男、一稔さん


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