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長崎/人物・歴史・エトセトラ

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2021年8月の記事一覧

長崎のキリシタンにとって苦難の時代に現れたパリ外国宣教会の神父たちは、「神以上の」存在となった

1986年に公開された「ミッション」。 イエズス会の南米への布教と植民地化への軋轢を描いた作品ですが、記事のタイトルを見ている内に、この映画をもう一度見たくなって、ネットで観ました。(しかし、レンタルDVDにも無いし、手頃な有料配信も無かったので、youtubeの英語版を観ました) 公開当時、自分は東京におり、仕事を辞めたばかりでしたが、何となく惹かれるままに小さな映画館で観たのでした。 今回、やっとこの映画の真髄が掴めた気がしました。 実に35年もかかっています。 こ

街の元気の素

坂の街 長崎の小学校。 子ども達は、学校が終わると「また明日ね!」と言って、両側にある坂の街へと帰っていきます。

上五島へ~浦上天主堂の被爆煉瓦を使った鯛ノ浦教会

浦上天主堂の被爆遺構が撤去されたのは、いろんな事情があったにせよ、非常に残念なことだったと思うのですが、その時の被爆煉瓦が、この塔に使われていた・・という事実は、最近まで知りませんでした。 ここ鯛ノ浦のキリシタンたちも、禁教時代には、筆舌に尽くしがたい、はげしい迫害に遭っています。 地元の郷士が刀の試し切りの為に6人もの信徒を斬殺した「鯛ノ浦の六人切り」という事件などは、いかに当時の信者たちが「ヒト以下」に扱われていたか、を今に知らしめています・・・ どういったいきさつで

対馬の石屋根

新聞の連載を持っていた時、対馬を舞台に描く回で、どうしても背景にしたかったのが、「石屋根」でした。 対馬で石屋根というと、「椎根(しいね)の石屋根」という言葉がセットとなっているほど、厳原町椎根地区にある↓下の石屋根が超有名です。 しかし、言ってはナンですが・・・ 私は、この石屋根はあんまり好きではありません。 なぜなら「現役として使われていない、保存された石屋根」だからです。 私が好きなのは、↓このような「現役の」ものなのです。これは石屋根ではないですが。・・・(厳原町

ポルトガル人とカトリック信徒が礎を築いた天然の要塞都市「長崎」に来てみませんか!?②

ポルトガル人とカトリック信徒が礎を築いた天然の要塞都市「長崎」。その坂の街の様子を続けてご覧頂きたいと思います。 城壁のような急坂から下方を望むと、こんな感じです。 角度が違えば、見える景色も様々です。ここは港を望む坂段。 カトリック修道院と幼稚園を望む坂段。 小学校を望む坂段も。 もちろん他の地方と同じく、子どもたちの姿はこの街の「希望」であり、「未来」そのもの。 しかし、坂の街から1軒、また1軒、と家が減り・・・ 坂の街の児童公園からも子どもの姿が消えました

長崎26聖人記念像を創った舟越 保武の最後の傑作となってしまった「聖ヴェロニカ」

私が実際に出会った「彫刻」の中で、群を抜いて、すばらしいと思うのが、「長崎26聖人記念像」を制作された舟越 保武(ふなこし やすたけ)さんの「聖ヴェロニカ」。 粘土を盛りつけていく塑像とは、あきらかに違う彫刻の研ぎ澄まされた感覚が作品から放たれていて、その洗練された美しさは、息を呑むものがありました。(2008年、長崎県立美術館にて) また彫られた石は、「諫早石(いさはやいし)」という長崎産のもの・・ということも、深く感じ入るものがあります。 舟越さん74歳の作です。

多くの修学旅行生が訪れる城山小学校は被爆校で唯一、廃校が決まっていた

長崎へ修学旅行で訪れた小中学校生たちがフィールド・ワークを行う際、必ず向かうのが、原爆資料館と平和・爆心地公園、そして城山小学校であると思われます。 この坂は、表通りからは裏手にあたるため、修学旅行生たちもあまり通らない「平和坂」です。 その平和坂の上り口にある被爆木、「双子クス」。原子爆弾が投下されるまで、城山国民学校の校門に至る2本の坂道には大樹が立ち並び、夏には見事な緑のトンネルを形づくっていました。 しかし、わずか500mという至近距離で原爆が炸裂したため、このあた

The dropping of the atomic bomb was like a "human experiment to obtain data on killing power" made by the "madness" of war.

The title may be associated with a biased view. However, now that I was born and raised in Nagasaki and started to be aware of the curtain on my life, I felt the need to draw a conclusion. Perhaps this conclusion will be overturned in the

What was the war? NHK Special "Confidential Information Not Used to Atomic bomb Destroy"

I would like to summarize the NHK special "NHK Special" broadcasted on Saturday, October 29, 2011, to the digest as intact as much as possible. Through the program that was a documentary program on the atomic bomb explosion, I wanted to thi