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長崎/人物・歴史・エトセトラ

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2021年3月の記事一覧

地方の公立小中学校統廃合(閉校)は、自ら貴重な財産を溝に捨てている

そもそもの発端が「財務省の圧力」というレベルで、この統廃合が進められた事は、今思えば到底容認できるものではありません。 2021年現在、世界的なパンデミックであるコロナ・ウィルス禍の為に、臨時的な財源をまわすことが可能であることを知ったからです。 「少人数では、クラス替えもなく、競争原理も働かない」という論調が根強いようですが、今の加速する少子化から考えると、所詮統廃合したところで、結局は「クラス替えもできず、競争心も湧かない」程度の規模にしかならないようです。 学校を

ベアトス様の墓 ~ 私の肺胞の中に残る空気

長崎市橋口町にある、ベアトス様の墓。カトリックであった日本人親子が殉教をした場所です。 「ベアトス」とは、ポルトガル語で、「敬虔な生涯と尊い死によって永遠の幸福を受けていると信じられている人々」のことを言うそうです。(詳しくは、2枚目画像の説明文を) また、ここは原爆落下中心から、わずか700mしか離れていない場所であり、画像をみておわかりと思いますが、碑の左側(爆心地側)が熱線により焼け、色が変わっています。 ところで、この碑のすぐ後ろに見える建物は、産院であり、私はここ

昭和15年 対馬在来馬検測記録より  全・対州馬写真

昭和15年東京農林学校による「対馬在来馬検測記録」による。 様々な馬の姿も興味をひきますが、馬を持つ人の表情や背後に写る子ども達の様子もまた興味をそそられます。 130番台の背後には、小さな子どもがよく写っています。この子どもたちもご存命であれば、2021年現在、85歳を越えておられることになります、 99番や117番の女性の笑顔は、特に印象的です。 ※順不同となっております。

民俗学者・宮本 常一さんと対州馬

私が尊敬してやまない故・民俗学者 宮本 常一さんの著書「 私の日本地図 ⑮ 壱岐・対馬紀行 」。 この本との出会いのきっかけとなったのが私の場合、「対州馬」でした。新聞の連載で対州馬の写真資料を探していて目に付いたのがこの本でした。 結局、求めていたような写真資料は得られなったのですが、その文章と宮本さんの人間性・人格の魅力に曳きこまれ、気がつくと愛読書の一冊になっていました。 この書を開く度に、厳原(いずはら)、浅藻(あざも)、豆酘(つつ)、曲(まがり)、千尋藻(ちろも

福山雅治の「桜坂」のルーツの1つでもある西海市・松島の「桜坂」

「桜坂」・・と言えば、福山 雅治のヒット曲ですが、そのイメージの素になった場所は、実は2ヵ所あります。 1ヵ所は、今やメジャーとなった、東京都大田区の桜坂。 そして、ここ西海市松島にある桜坂。 wikipediaというのは、一般人が都合のいいように書きこむものなので、「桜坂」を検索するとwikiでは「・・・なお当時は長崎県西海市大瀬戸町にある松島の桜坂や福岡県福岡市にある桜坂という説もあった」と、いかにも「便乗」みたいな立場になっていますが、絶対にそうではありません。