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長崎/人物・歴史・エトセトラ

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2021年1月の記事一覧

長崎の夜景

「世界三大夜景」に選ばれた長崎の夜景。それは大変にうれしいことです。 しかし子どもの頃、目にしていた夜景は下の画像のようなもので、今とは随分違っていたように思います。(画像は昭和30年前後頃の絵葉書より) まだ高いビルやマンションなどがなく、灯りのひとつひとつは家々のもの。それも青白い灯よりほのかなオレンジの灯が多かったように思います。 それがすり鉢状に港を囲み、山々の上の方まで続くというものでした。たとえ世界三大夜景であってもなくても、夜景はこの街の大好きなものであり

明治期に敷設されたJR大村線と長崎本線旧線は、鉄道人達の熱きスピリットと長崎の歴史を今に伝える貴重な遺産

平成26年当時、「明治日本の産業革命遺産 九州・山口と関連地域」が大いに注目されていました。 名称がそのまま内容を表していますが、明治期における急激な近代化を成し遂げる要因となった「製鉄所」「造船所」「炭鉱」「紡績工場」「砲台」「教育施設」「軍養成所」などがその構成要素であり、とりわけ大陸に近く、採炭地でもあった九州西部には多くの「構成遺産」が残されています。 言うまでも無く「鉄道」は、それらの構成要素をつなぐ重要な存在だったことは疑う余地がありません。 船舶もまた重要な役

追悼 今も地の底に眠る想い ~ 日鉄池野鉱 出水事故の手記より

佐世保市柚木地区に向かう旧道沿いに立つ西肥バス「池野」バス停。 この付近にはさして目立つものもなく、静かな住宅街となっていますが、かつてここに日鉄池野炭鉱があり、通りは国鉄柚木線に沿って続く賑やかな商店街がありました。 日鉄池野鉱は8つもの坑口を持ち、本坑の水平坑道(坑道の内、水平に伸びる部分)は幅8m、長さ1kmもあったと言います。 今ではそんなことさえ知る人も少なくなってしまったようです。 今回はいわゆるトピックではありませんが、「追悼の意」を込めまして、昭和15年に